04 都市のピアノ音楽風土記 ウィーン その3
19世紀前期ウィーンのピアノ音楽(承前)
ウィーンは19世紀前期のピアノ音楽においてどのような役割を担ったのでしょうか。音楽の大衆市場が広まっていくプロセスは一様ではありません。社会階層や、社会的な富の集積、都市の総人口に対するピアノ人口の割合や、ピアノ製造台数、音楽に対する社会の関心、ピアノを演奏する男女の割合などのさまざまな要素がそこに関連してきます。その点、ロンドンはもっとも社会的な富の集積が行われた都市です。それに対して、ウィーンの産業化はかなり遅れておりましたが、ピアノ文化とピアノ製造に関しては他の都市よりもはるかに進んでいました。
まず、1830年までに創刊された音楽雑誌数を見ますと、パリが第1位で43誌ですが、ウィーンは40誌で第2位に位置しており、ほとんど肩を並べています。第3位のコペンハーゲンは13誌ですので、いかにパリとウィーンの音楽需要が多く、また多様であったかがわかります。
前回は、ライプツィヒとウィーンに拠点をもつ「音楽一般新聞」の掲載例を紹介しました。この新聞はウィーンとドイツに拠点を持つ出版社ですので、ウィーンだけの傾向を示しているわけではありません。そこで今回はウィーンで刊行されたピアノ雑誌を通して作品の傾向を見てまいります。
掲載期間が4年以上の雑誌を取り上げると、次のとおりです。
「ピアノのためのポプリ」(1804-1813、10年間)、「ピアノのための曲集」(1814-1822、9年間)、「ピアニストの音楽のミューズ」(1817-1824、8年間)、「フォルテピアノのための名曲集」(1812-1817、6年間)、「ピアノのための婦人雑誌」(1818-1821、4年間)、「ピアノフォルテのための音楽レパートリー」(1818-1821、4年間)
これらの雑誌を見ると、音楽雑誌の刊行はウィーン会議以降に急に盛んになったことが分かります。面白いことに女性のピアノ人口もウィーン会議以降に増大していったと見られ、1818年に「ピアノのための婦人雑誌」が創刊されています。女性のための音楽雑誌が最初に刊行されたのは、おそらくドイツのブランシュヴァイクで1802年に創刊された雑誌と思われますが、女性対象のピアノ雑誌が、ロンドンやパリよりも先にドイツやオーストリアで刊行されていることは重要です。というのはドイツやオーストリアでは、他の諸国よりも女性のピアノ人口が増大していたことを示唆しているからです。
さて、上に述べたウィーンのピアノ雑誌についていくつか具体的な内容を見てまいりましょう。 「ピアノのためのポプリ」は、そのタイトルからも推測されるように名曲集です。この雑誌はオペラの名旋律を集めたもので、とくに掲載が多いのがウィーンで人気のあったヴァイグル、ウムラウフ、ヴィンター、ギロヴェッツらの作曲になるオペラの旋律です。これらの作曲家はとくにジングシュピールの作曲で知られた人々で、「魔笛」の様式の音楽が19世紀に入ってもなお人気を博していたことを示しています。
「ピアノのための曲集」もオペラのアリアの編曲やピアノ小品集で、この雑誌は上記の「ピアノのためのポプリ」と入れ替わる形で登場しています。しかし、その内容はだいぶ異なっております。ジングシュピールの作曲家は完全に姿を消し、それに代わって、ライデンドルフ、ベートーヴェン 、ヴェーバー 、イズアールなどの作曲家が名を連ねており、アリアの編曲が圧倒的に多いのですが、ついで変奏曲やロンドが並んでいます。変奏曲はオペラのアリアを主題とするものが多いのがこの時代の特徴です。
「ピアニストの音楽のミューズ」は資料が不完全ですので全体は分かりませんが、フンメル やベートーヴェンの曲目が上位を占めています。1820年代のウィーンでもっとも人気を得ていたのはフンメルであることは重要です。フンメルとベートーヴェンはほぼ同じ時期にともにハイドン とアルブルヒツベルガー に師事していますが、その音楽はまったく傾向を異にしています。フンメルのピアノ音楽はやがてショパン やシューマン に受けつがれて。ロマン派の音楽の礎となっていきます。
「ピアノのための婦人雑誌」は、上にも述べたようにピアノ女性人口の増大をとてもよく象徴しています。その曲目はオペラのアリアなどの編曲や歌曲の編曲で占められています。女性のピアノのレパートリーはこの時代の音楽の傾向を考える上で重要な意味をもっています。というのは、19世紀から20世紀にかけてのピアノ人口は女性人口の増大と男性人口の減少の傾向を示し始め、それは市場に出回るピアノ作品集や作曲家の創作にまで影響していったからです。
前回、1830年の「音楽一般新聞」の楽譜案内を取り上げましたが、そこではオペラの編曲のほかは、圧倒的多数を占めたのは変奏曲と幻想曲でした。音楽雑誌によって誌面が異なるのは当然です。読者の社会階層の相違が音楽趣味に反映しているからです。「音楽一般新聞」は、音楽だけではなく広い教養をもった人々に購読されていたと思われます。その点、今回取り上げたピアノ雑誌はピアノを愛好する人々にとってずっと身近な媒体であったと思われます。自宅にやっとピアノを持つにいたった家庭がこれらの雑誌を購入したのでしょう。ウィーンでもオペラの編曲が人気を博し、市民社会の中にピアノのアマチュア文化が広く浸透していったことが手に取るように分かります。しかし、ピアノ・ソナタは明らかに主役の座を降りており、音楽のジャンルのいわば世代交代が進んでいることも読み取れます。
《目次》
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。