ピアノの19世紀

02 都市のピアノ音楽風土記  ロンドン  その1

2007/11/10

02 都市のピアノ音楽風土記  ロンドン  その1


イギリスのピアノ産業とピアノ音楽

 ピアノ音楽史における最大の謎といってよいのは19世紀イギリスではないでしょうか。ピアノという楽器の技術革新の最先端を開拓し、他国に先駆けてピアノ文化の先鞭をつけたイギリスですが、ピアノ音楽という面から見ると19世紀イギリスのピアノ音楽史はほぼ完全に欠落しているといってもよいでしょう。当時、世界で間違いなくピアノがもっとも普及し、ピアノ音楽を享受する人口も最も多く、楽譜がもっとも消費されたのはイギリスです。18世紀後半から末にかけてすでにピアノ製造産業が確立され、ブロードウッド、クレメンティ、カークマン、サウスウェルなどのメーカーが続々と新型ピアノを製作していました。フランスのエラールがブロードウッドの製作技術を受け継いで新型ピアノを製作し、それを1803年、ベートーヴェンに寄贈したことはよく知られています。ベートーヴェンはこのピアノを用いて「ヴァルトシュタイン」や「熱情」を作曲します。その後、ベートーヴェンはブロードウッドからもピアノの寄贈を受けます。そのピアノに深く感銘したベートーヴェンは、他人が楽器に手を触れることを禁じたほどでした。ピアノソナタ「ハンマークラヴィーア」は第1楽章から第3楽章がウィーンのシュトライヒャーのピアノを用いて作曲し、第4楽章はブロードウッドを用いて作曲しています。

 ピアノの普及は音楽雑誌の活況に反映します。最新のピアノ作品の出版内容や音楽情報に対する需要にこたえる形で、雑誌が刊行されますが、このジャーナリズムの発展という点ではイギリスは、すでに18世紀からヨーロッパにおいてすぐれて先進的な地位にありました。とくに重要なのは「スペクテイター」という雑誌で、近代のジャーナリズムの原点をここに見ることができます。音楽専門の雑誌や新聞の登場はすでに18世紀に見られるものの、広範な読者を対象としたものとなると19世紀を待たなければなりません。ジャーナリズムの発展という点でとくに興味深いのは19世紀前半です。次第に中産階級が形成され、ピアノ人口が増大しつつあるこの時期は音楽趣味や傾向の移り変わりをとてもよく示しています。


19世紀前期のイギリスのピアノ音楽と音楽雑誌

 19世紀前半のイギリスにおいてもっとも長い刊行期間を維持したのが、「The Musical Bijou(音楽の宝石)」で、1829年から1851年までの23年間刊行されました。ついで、1818年から1828年まで刊行された「The Quarterly Musical Magazine and Review(季刊音楽雑誌・批評)」、1828年から1833年まで刊行された「The Harmonicon(ハルモニコン)」、1797年から1802年まで刊行された「The Musical Journal for the Forte Piano(ピアノ雑誌)」などが刊行され、そのほか、刊行期間は短いですが、数多くの雑誌が刊行されていました。

 これらの雑誌が刊行された18世紀末から19世紀前期にかけての音楽趣味の変動はきわめて劇的です。以前にすでに述べましたが、その変動の指標はピアノ・ソナタです。以前に紹介したのはウィーンでの実例ですが、音楽のアマチュアの大衆市場という点から見るとロンドンはウィーンに先んじて時代の傾向を映し出しているところがあります。

 時代順に見て、1797年創刊の「ピアノ雑誌」を見てみますと、取り上げている新譜案内や音楽情報は圧倒的にピアノ・ソナタです。他の作品ジャンルとの割合から見ると8割以上がピアノ・ソナタで占められています。あとは変奏曲や序曲などの作品が並んでいますが、この雑誌の読者の関心はピアノ・ソナタにあったことは明白です。しかし、ここで気をつけなければならないのは、当時は現在以上に階級社会であり、音楽に対する趣味や嗜好も社会の身分や地位、所得層などと密接な関連を持っていました。おそらくこの「ピアノ雑誌」の読者は教養ある高い階層であったように思われます。というのは市民階級で好まれていた舞曲の作品数が極めて少ないのです。作曲家ではプレイエル、クレメンティ、ジョルダーニ、ハイドンなどの作曲家の作品が人気を得ておりました。

 しかし、1818年創刊の「季刊音楽雑誌・批評」になりますと、その状況は一変します。上記のようにその雑誌が社会のどの階層向けであったのかという問題はありますが、ピアノを自宅に購入できる階層を対象にした雑誌であるという点から見ると、この雑誌も裕福な中産階級向けのものであったと思われます。この雑誌に紹介されているピアノ作品のジャンルを見ますと、ピアノ・ソナタの数は激減します。それに代わってきわめて高い人気を博したのが変奏曲です。変奏曲に比べるとかなり少ないのですが、これに次いで各種の編曲、ディヴェルティメント、ワルツ、ピアノ・ソナタ、幻想曲、夜想曲と続きます。変奏曲がこの時期に人気を博したというのはウィーンにおける傾向ととても似ています。良く知られた民謡やオペラのアリアなどの旋律を主題にして作曲された変奏曲は、この時期の時代現象であったといっても過言ではありません。それはベートーヴェンの変奏曲を見ても明らかです。当時のイギリスでは、「埴生の宿変奏曲」や「グリーンスリーヴス変奏曲」、「むすんでひらいて変奏曲」などが人気を博し、さかんに作曲されました。

その2》へ続く

西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

【GoogleAdsense】
ホーム > ピアノの19世紀 > > 02 都市のピアノ音...