01 楽譜出版を通してみる19世紀ピアノ音楽 その2
01 楽譜出版を通してみる19世紀ピアノ音楽 その2
ピアノ・ソナタの変質 18世紀後半にピアノ音楽の文化が確立してきますが、19世紀の特にウィーン会議の時期つまり1815年頃を境にピアノ音楽の傾向が急に変化を見せます。前回、ウィーンの楽譜出版の傾向について取り上げましたが、ピアノ・ソナタが急激に市場価値を失っていき、ピアノ・ソナタの出版点数は1830年代ともなりますと一桁にまで下落していきます。それではいったい誰のためのピアノ・ソナタが作曲されたのでしょうか。もちろん、リストの、「ピアノ・ソナタ ロ短調」のようにヴィルトゥオーソが演奏したものもあります。しかし、リストが作曲したピアノ・ソナタはたった1曲で、ヴィルトゥオーソを誇示するにしては作品数が少なすぎます。 女性とピアノ 19世紀になってピアノ音楽のレパートリーが大きく変質していった理由として指摘できるのは、音楽のアマチュア、とくに女性の音楽人口の増大です。18世紀のたとえばモーツァルトの時代ですと、ピアノ演奏は、貴族のたしなみで演奏されることは多かったにせよ、多くは職業演奏家の手にゆだねられていました。しかし、市民の家庭にピアノが進出するようになり、自宅に特別室としての「居間」が設けられ、こぎれいなビーダーマイヤー調の家具と並んで、ピアノが置かれるようになりますと、ピアノは家族の楽しみの一つとなっていったのです。そこで好まれたのは難解なピアノ・ソナタではありませんでした。そして、ピアノ演奏の主役は女性の手に委ねられていくことになります。19世紀の市民社会において、女性のたしなむべき用件にピアノの演奏も加えられていきますが、女性に男性顔まけにピアノ・ソナタを演奏することは求められていませんでした。後に別の章で取り上げますが、ピアノは完全に女性のたしなみの一部とされ、音楽学校のピアノ専攻のほとんどが女性で占められる現象は、19世紀の社会のあり方に深く根ざしたものでした。 アマチュアや女性がピアノの主役となりますと、これらの人々を対象とした音楽作品が求められます。膨大な数の、愛くるしいタイトルの性格小品が大量に作曲された背景には、アマチュアのピアノ人口の増大が密接に関連していました。サロンでの夜会ではさかんにピアノの演奏が行われておりましたが、多くの絵にも描かれているように、サロンの華は女性でした。そもそもサロンは、有名なマリー・ダグーのサロンを例に挙げるまでもなく、多くは女性が主催していたのです。 都市による音楽趣味の違いとピアノ文化の多様性 好まれる音楽の種類は、都市によって何か相違や傾向があるのでしょうか。つまり、今日とは異なり、グローバリゼーションが浸透していない19世紀では、都市ごとの文化や社会の相違は非常に大きく、営まれている音楽の種類や傾向もきわめて多彩だったからです。さらに、ピアノの楽譜出版はピアノの普及と不可分の関係にありました。ピアノが普及するのは、富裕な中産階級の多く住む大都市です。それぞれの都市ごとにピアノの普及の度合いはかなり異なっていたと見られます。というのは、ピアノの生産台数がまだ限られており、値段も高価でした。ピアノを購入することのできる購買層は、今日と比較しますとはるかに薄く、限られていました。 《目次》 |
山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。