ロンドンレポート

ベビーと一緒にクラシックコンサート No.2ウィグモアホールの事例

2014/04/21
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ベビーと一緒にクラシックコンサート ~No.2~ウィグモアホールの事例
ウィグモアホールの乳幼児向けイベントのパンフレット
ウィグモアホールの乳幼児向けイベントのパンフレット

既存のクラシック音楽のコンサートへ行くということが、赤ちゃんを持った母親にとってどんな意味を持っているかについて、第1回では見てきた。第2回からは、ロンドンで実際に人気を博している3つのコンサート企画について、紹介してみたい。まず一つ目は、ウィグモアホール(Wigmore Hall)が主催する乳幼児向けの2種類のコンサートだ。

1.ウィグモアホールの乳幼児向けの2つのコンサート

ロンドン中心部にある格式ある室内楽用コンサートホールであるウィグモアホールでは、一流の室内楽のコンサートに加え、教育プログラムも充実している。大人向けには、テーマを絞ったレクチャーやプレコンサートトーク、10代の若者から小学生までの参加型のワークショップは、様々な分野とのコラボレーションも含めた充実のプログラム。2歳から5歳対象の「チェンバー・トッツ」はホールでも地域の幼稚園でも好評の幼児向け室内楽コンサート&ワークショップ。ここに、2008年に「フォー・クライング・アウト・ラウド(For Crying Out Loud!)」という0歳児向けのコンサートと、「トドラー・ボップ(Toddler Bop)」という1、2歳児向けのワークショップが新たに加わった。

--- 情報 ---
■名称:
フォー・クライング・アウト・ラウドFor Crying Out Loud」
対象:
生後0か月~12か月の子どもと保護者
会場:
ウィグモアホール メインホール
日時:
年6日程度開催、11:00~11:45
料金:
大人1人6ポンド(同伴する乳幼児は無料、予約制)
参照:
www.wigmore-hall.org.uk/whats-on/series/for-crying-out-loud-0
■名称:
トドラー・ボップToddler Bop
対象:
生後1歳~2歳の子どもと保護者
会場:
ウィグモアホール ベヒシュタインルーム
日時:
年3日程度開催、10:15~11:00 /11:45~12:30
料金:
子ども1人あたり6ポンド(同伴する親は無料、予約制)
参照:
www.wigmore-hall.org.uk/whats-on/series/toddler-bop-0
ベビーと一緒にクラシックコンサート2
For Crying Out Loud!のチラシとプログラム
1.1 フォー・クライング・アウト・ラウド(0歳児)
コンサートホールに赤ちゃんを連れて!

「フォー・クライング・アウト・ラウド」は、生後12か月までの赤ちゃんを連れて行けるクラシックコンサートで、ウィグモアホールのメインホールで行われる。ネーミングは、英語表現で「まあ!」という驚きや、「お願いだから~してよ!」という時に使うfor crying out loud!を、文字通り、赤ちゃんが大声で泣くことをかけたのであろう。一流のコンサートホールでのコンサートだから、赤ちゃん連れでも静かにしていなければならないのかな?という不安も、このネーミングで「このコンサートは、赤ちゃんが泣いても、外に出なくてもいいのかな?」という期待に変わる。

ベビーと一緒にクラシックコンサート2(c)www.benjaminharte.co.uk For Crying Out Loud!開催時の玄関

ベビーカーは正面入り口に並べ、赤ちゃんと必要な荷物を持ってホールの座席へ。席に座ろうとして、今までコンサートに、こんなに荷物を座席まで持ち込んだことはあっただろうか?と思う。赤ちゃんに授乳するためのケープ、タオル、ミルク、あやすためのおもちゃ、おむつや着替えもすぐ手元に控えていなければ、0歳児の特性上、いざという時には、赤ちゃんを抱えてベビーカーの山から荷物をかき分ける余裕はない。隣と余裕を持って座り、泣き出したら通路にすぐ出られるように、通路から近い席を探す。どの親子も同じようなことを考えているので、余裕をもって各列に数組ずつ座り、それでもホールの前半に収まるくらいにしかチケットを発行していない。そのため、各シーズンに2~3回ずつあるコンサートは、すぐに売り切れる。6ポンドと料金が安いのも、万が一のことを考えると参加しやすい理由の一つだ。コンサート中は、母親は座席で授乳することもできるし、あやすために立ち歩いたり、ホールの後方に置いてあるプレイマットで赤ちゃんを寝ころばせて遊ばせることもできる。

コンサートは45分間。通常のコンサートと同様に、ホールのステージ上にアーティストが登場する。このシリーズの出演アーティストは、ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック(英国王立音楽院/RAM)の学生ミュージシャン。私が生後5か月の子どもを連れて初めて参加した時はピアノとチェロ、生後10か月の時はピアノカルテットだった。他にも歌やヴァイオリン、フルート、ジャズなど、色々な室内楽のコンサートが開催される。コンサート予約時には、どのミュージシャンが何を演奏するかはわからないことがほとんどで、何を聴きたい、というよりも、その「機会」を予約する、というところだ。

ウィグモアホール外観
ウィグモアホール外観
'一流のホール'が与える効果

ミュージシャンが曲目について簡単に紹介し、演奏を始める。音がホールの空間に充満し、自分の耳に飛び込んできた瞬間、じわーっと体全体を細かい刺激の泡が包み、思わず涙が溢れてきた。懐かしい。この感覚、どのくらいぶりだろう。そういえば、こんな感じだった。ホールで生の演奏を聴くということは。ブラームスのピアノカルテットなどと、選曲はいわゆる子ども向けではなく、大人向けだ。その時、気がついた。子どもに生の質の良い音楽の体験をさせようとホールまで足を運んできたけれど、これは実は自分のため、親の方のための機会だったのだと。

この時私は、子どもを産んで以来初めて「音楽的に'一人前の大人'として扱われた」と思った。私は、子どもの童謡を子どもらしく歌うことも大好きだ。それに何も不満は持っていない。しかし、家でも外でも聞くのも歌うのも童謡、歌っていなくても頭の中では四六時中、しみ込んだ童謡が鳴っている。そんな童謡漬けの生活の中で、クラシックの響きは一瞬にして心に新鮮な風を送り込み、自分に一人前の大人の時間とアイデンティティを取り戻させてくれたのである。これは、もともとクラシックのコンサートが好きだった人でなくても、似た感覚を覚えるのではないだろうか。

ウィグモアホールでのベビーコンサートの一番の特徴は、赤ちゃんを連れたまま、一流のコンサートホールの中で音楽が聴けるということである。前述のような、一瞬にして包まれるような音によるフラッシュバックも、音響のよいホールのなせる技だろう。そして、演奏者の立ち振る舞い、周りを包む荘厳なホールの内装と空気、大人の芸術的感覚を満たしてくれる選曲と演奏、それらが、音楽の世界に自分をしっかりと誘ってくれる。矛盾して聞こえるかもしれないが、一般のコンサートに赤ちゃん連れで入っていいと言われるよりも、全員が同じくらいの赤ちゃん連れという環境が、自分だけが他の大人と違って萎縮するのではなく、皆と対等な一人の大人として堂々と落ち着いた心持で聴くことができるのにも、 おもちゃも持参。噛まれたプログラム
おもちゃも持参。噛まれたプログラム
一役買っているのではと思えた。当のわが子は、ホールの装飾を見まわしたり、演奏が始まるとじーっと舞台を見つめ、意外と静かに聴いている。それに飽きると、プログラムを噛んだり、通路に座って他の子とおもちゃでじゃれたりしていて、結局一度もあわてて外に連れ出すようなことはなかった。腕に抱かれたまま眠ってしまう子もいた。

真の狙いは子どもを持つ親に機会を与えること

私が感じた意図は、主催者の意図とあっているのだろうか?このあたりの狙いについて、ラーニング部門のダイレクターのウルスラ・クリックメイさんに尋ねてみた。

ベビーと一緒にクラシックコンサート2

―このシリーズのターゲットは誰だと考えてプログラムしていますか?

「確かに、『フォー・クライング・アウト・ラウド』のフォーカスは、赤ちゃんというよりもむしろ連れてくる大人の方に置いています。小さな子供を持つ親に、質の良い室内楽や歌に触れる機会を与えることが目的です。そのため、プログラムも、これまでコンサートにたくさん行っていた人もそうでない人も楽しめるようにバラエティ豊かなものを提示するようにしています。とは言っても、子どもにストレスとなるような要素がないように心がけていますが、しばしば、大人も子供も同時に音楽の虜になる瞬間というものが起こるのが嬉しいですね。」

―ミュージシャンに選曲についてどのようなリクエストをしていますか?

「ミュージシャンには、次のような点を考慮して選曲して欲しいと伝えてあります。'プログラムはバリエーション豊かで楽しめるものか'、'室内楽に慣れ親しんでいる聴衆とコンサート初体験の聴衆と両方が楽しめるものか'、'曲の中に、赤ちゃんにとってストレスとなるような要素がある場合は含めないこと'、'長い集中力を要するものは注意散漫になるので、適度に短いものであるか'など。

概して、乳児から小学生までどんな年齢の子供でも、選曲のポイントは、いかにその曲が'シンプル'で'子どもらしい'かというよりも、ミュージシャン自身のその曲への思い入れや演奏によって音楽を伝える能力の方がずっと大事であるということが、経験上わかっています。ですから、大人が難しいと感じる音楽でも、子どもはオープンな耳で聴くことができるということも道理です。」

―ミュージシャンたちは、どのように決められているのでしょうか。

「このコンサートシリーズは、英国王立音楽院のオープン・アカデミーとの協力で実施しており、ミュージシャンは皆、そこの学生です。学生たちは、この機会にウィグモアホールの本番のステージでアンサンブルを演奏することができます。それは、彼らにとって願ってもない機会です。音楽院の側から推薦されたアンサンブルの中から、各ターム2~3組ずつホール側がオーディションして決めます。学生たちはオープン・アカデミーの長の指導と助言のもと、本番に備えます。」

赤ちゃんを連れてのコンサートは、確かに一人で聴くコンサートとは違い、始終子どもを気にかけつつ、音楽への集中度は100%とはもちろんいかない。どうせ行くのなら、子どもを預けて普通のコンサートに出かけた方が、ずっと音楽を楽しめるのではないか、という説も頷ける。しかし、実際は前回述べたように、親にとっては、必ずしも吹っ切れて純粋に音楽を楽しめる保証はなく、むしろ子どもを傍においておくことで、安心して楽しいものを楽しいと思える部分もある。一流のコンサートホールなのに、声をあげてもお互い気にならないし、立ち歩いても、プレイマットや通路で遊ばせても、皆、理解して微笑ましく見守ってくれる。そうした雰囲気だと、赤ちゃんがきらきらしたホールの装飾を見て喜んだり、音楽にのって体を動かしたり笑ったりするのも、「じっと、静かにしていて...!」と思うのではなく、音楽に赤ちゃんが反応してくれたことを、嬉しく思うことができるものである。そうして親が肯定的に受け止めてくれているせいか、泣きわめいて大変な子、それを必死に制する親、というのをほとんど見かけなかった。代わりに多く見られたのが、赤ちゃんが思いのほか静かに聴き入る様子を喜んで見ている、親たちの笑顔だった。

1.2 トドラー・ボップ(1~2歳児)
ターゲットは親から幼児へ

「トドラー・ボップ」は、1歳を迎えてから、「チェンバー・トッツ」に参加できるようになるまでの子どもたちが対象だ。0歳児の「フォー・クライング・アウト・ラウド」がメインホールでのコンサート、2歳から5歳児の「チェンバー・トッツ」がコンサートとワークショップを組み合わせたものであるのに対して、1~2歳児の「トドラー・ボップ」はワークショップメインの企画である。

開催場所もメインホールではなく、地下のベヒシュタイン・ルーム。通常のコンサートでは休憩時のドリンクをサーブしたり、プレコンサートトークやレクチャーでは椅子を並べて、子ども向けワークショップでは椅子を取り払い自由なスタイルで、と活用している。

打楽器も触れる(イメージ)
打楽器も触れる(イメージ)

「トドラー・ボップ」では、椅子を取り払った床に様々な民族系の打楽器が置かれ、部屋に入った幼児は、吸い込まれるようにその楽器の周りに集まり、座って触りだす。その状態から、自然とワークショップは始まった。リードするのは、主に「チェンバー・トッツ」で活躍しているワークショップ・リーダーとミュージシャンの合計2人。私が参加した日はメインのリーダーが話や進行を務め、ヴァイオリニストが演奏で参加という役割だった。

好きな打楽器を手にとって自由に音を鳴らしたり、ヴァイオリンの音も目の前で聴いたりと、楽器との距離がほとんどない状態でワークショップは続けられる。リーダーの誘導に従って、輪になって順番に各自の楽器の音を出して、どんな楽器の音がするかを確かめたり、ジェスチャーにあわせて速く/遅く、大きく/小さくと色々な表情の音を出したり、一音ずつ順番に音を出して隣に送り、それをゆっくりと送ったり、速く送ったり。お話をしながら、登場する動物の人形を探して部屋の中を歩き回ったり動きや音を真似たり歌ったりと、「チェンバー・トッツ」のワークショップの部分をもう少し簡単にした形で、参加型の要素が多く取り入れられている。

はいはいを始めるとホールでじっとはしていない
はいはいを始めるとホールでじっとはしていない

「フォー・クライング・アウト・ラウド」とは対照的に、「トドラー・ボップ」のターゲットは幼児そのものに移っている。1歳を過ぎ、自分で動き回るようになると、0歳児のように腕に抱かれたままホールの客席で45分間聴いているのは、だんだんと難しくなる。逆に、知的好奇心に従って、気になるものへ近寄ったりトライしてみたり、音や呼びかけに対して動きで反応できる、インタラクティブな遊びを非常に喜ぶ時期になる。それを生かしつつも、まだ話の構成を掴んだり、言語を通したコミュニケーションはまだよくできない段階なので、そのあたりは強要しない内容になっている。純粋に曲を聴くというのは、ヴァイオリンが短い曲を弾くのを聴く時だけである。「チェンバー・トッツ」を始め、多くの乳幼児施設での10年以上の経験とリサーチをもとに、この年齢層にあうプログラムの形が模索された。つまり、壇上からの演奏は、最もふさわしい形とは考えられず、よりインタラクティブで、遊ぶように打楽器を使ったり歌ったり、楽器や音を探索したりという、遊びの中で音楽やミュージシャンと関わる方法である。

1.3 乳幼児向け企画につながったモチベーション

ウィグモアホールの企画に、これら二つのベビー向けのイベントが新たに加わったのには、何かきっかけがあったのだろうか。ウルスラさんに伺ってみた。

ラーニングプログラムの冊子
ラーニングプログラムの冊子

―乳幼児向けの企画に至った背景を教えてください。

「ウィグモアホールは長年、可能な限り若い世代への活動に力をかけてきました。2歳から5歳までを対象とした音楽と動きのワークショップである「チェンバー・トッツ」は、この年齢層に対する、質のよい音楽づくりの機会の場が抜け落ちているという指摘に応じて1998年に創始されました。それ以来、各ターム7回あるワークショップはすべて完売続きで、2000年にはこのワークショップをロンドンの100近くのナーサリーで実施するコミュニティプログラムが発足しました。

『フォー・クライング・アウト・ラウド』はここに2008年に追加されたわけですが、これには私の個人的なモチベーションが関わっていることを認めざるを得ません。2007年に第一子を出産した際、私は、クラシックのコンサートに全く行くことができない現実に気付かされました。時間帯はいつも夜でよくないし、雰囲気も子供にはふさわしくない。いつ娘が泣きだすか、いつおむつの交換に立ち上がらなければならないか分からないのですから、とても通常のコンサートに赤ちゃんを連れて行くことなど考えられませんでした。

よりフォーマルでない音楽の場は色々と見つけることができました。ジャズのコンサートはもっと気取らない場合が多いし、ロンドンではよく見かける赤ちゃん連れの親子のための日中の映画上映も非常に楽しみました。(通常の映画を昼間に上映する回を設けることによって、一般客の邪魔にならずに赤ちゃんを連れて映画館に行けるというものです。)そこからアイディアを得て、日中にリラックスした雰囲気の中で開催され、とても小さな赤ちゃんにも適した、でも尚且つ大人が楽しめるようなプログラムを提供するコンサートを思いついたのです。幸運なことにシリーズはすぐにスタートし、私は二番目の赤ちゃんをいくつかのイベントに自分で連れてくることができました。」

―観客の反応はいかがですか?

「観客の反応はとても好評で、毎回最大100人の赤ちゃんが参加してきました。よくコンサートに行く人が孫を連れて来たり、他のシリーズではこのホールに来ることはなかったであろう人たちが、赤ちゃんと何か違うことができる機会を求めて来たりと、観客層は様々です。「トドラー・ボップ」は約2年前に、これら0歳児の層と、「チェンバー・トッツ」に参加できる層とのギャップを埋めるために1~2歳向けに考案されたものです。」

最後に、このようなお手紙を紹介してくれた。

『先日の火曜日、私達はウィグモアホールに5カ月の孫娘を連れて来るという素晴らしい経験をしました。このような類のイベントに幼い孫を連れて来る機会を与えてくださったことに非常に感謝しており、このアイディアを思いついた方にその気持ちを伝えたいと思いました。幸いにも、孫娘はお行儀よくでき、照明やチェリストやプレイマットを特に喜びました。コンサートの中で、全ての赤ちゃんが静かになった瞬間があったのに気付きました。それは、カーター・カリソン(※現代のロンドンの作曲家)のソナタの最中でした。ミュージシャンの方たちには、このような難しい環境の中で集中して演奏を披露してくださったことに敬意を表したいと思います。まさに試練の時だったと思います!彼らのサンデー・コーヒー・コンサートへのデビューを楽しみにしています。』

(取材・執筆:二子千草)


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