2015ショパンコンクールレポート

ショパン国際コンクール(37)新原典版とは?審査員・研究者リンク先生講演

2016/04/20
第17回ショパン国際コンクールリポートの番外編として、ジョン・リンク先生の来日講演リポートをお届けします。ショパンを深く理解する上で、多くの示唆を与えてくれるでしょう。(参考:審査員リンク先生インタビュー「深く洗練された音楽理解を」

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2月19日、ショパン研究者・ケンブリッジ大学教授・ピアニストで、昨年コンクール審査員を務められたジョン・リンク先生が来日し、「ペータース社新批判校訂版ショパン楽譜」についてのセミナーが行われた(於:ヤマハミュージックリテイリング横浜店)。ショパン研究者をはじめとする熱心な聴衆が会場に集まり、真剣に耳を傾けていた。

ショパンの楽譜には、草稿、自筆譜、写譜、校正譜、初版(フランス、イギリス、ドイツ)、再版、贈呈譜、生徒の楽譜への書き込みなど、多くの版が存在する。ショパンの校正方針が一貫していなかったり、その時々に湧いてくる楽想を譜面に書き残していたためである。たとえばノクターンOp.9-2には18ものヴァリアントがある。また幻想ポロネーズOp.61の20小節目3拍目左手は、フランス初版に用いられた自筆譜ではHisだが、ドイツ初版に用いられた自筆譜ではHであるなど、途中で改変を加えていることが判明している。単に♯を付け忘れたのか、同じレベルのアイディアが二つあったのか?それはショパンのみぞ知るところではあるが、それを推理するのも一興だろう。

つまりショパンにとって、作曲とは限りなく続く作業であった。だからいずれも「ショパンの音楽」なのである。その考え方に基づき、リンク先生を含むショパン研究者4名で構成される新批判校訂版編集者は、一つの原典資料を認定した上で、それ以外をヴァリアントとして、すべてを余白または校訂報告に記している(例:前奏曲Op.28-9)。また指使いも、ショパン自身が書き残したもののみを採用している。ショパン作品唯一の決定版として制作されるものではなく、"限りなく忠実に、可能性には柔軟に"、ショパンの美学を徹底して反映させるのがねらいなのである。

したがって演奏者は、様々な可能性があることを知った上でどの版やヴァリアントを選んでもよい、というスタンスだ。たとえばこの新版には、ワルツヘ短調Op.70-2が3ヴァージョン(うち1つのヴァージョンには、他3つの自筆譜に見られるヴァリアントが含まれている)が収載されている。リンク先生ご自身、繰り返しのたびに異なるヴァリアントを選んだりしているそうだ。大事なのはまず「全体の構想を考えること」、そして「選んだものが音楽的に成立するかを考えること」。自らショパンの音楽に向き合い、問いかけ、選び取る。そんな主体的な学びが求められる。

そこで参考になるのが、リンク先生が監修に携わっているオンラインアーカイブOCVE(Online Chopin Variorum Edition)。自筆譜や様々な初版のデジタルイメージが時系列的に示されており、作曲・校正の経緯が見られる。また小節ごとに全ての版を並べて表示することもでき、比較検討しやすいように工夫されている。ぜひ一度ご覧になって頂きたい。

最後にリンク先生は、2015年度ショパン国際ピアノコンクール審査員の立場から、このコンクールで良い成績を上げるための3つのポイントを挙げられた。(1)まず圧倒的なピアニズムを持っていること。それが長い期間持続できること。(2)ショパンに対する深い理解が窺えること。ショパンの美学を反映させていること。(3)イマジネーションがあること。深くショパンを理解し、それを自分のものとして表現していること。

どの作曲家でも言えることではあるが、ショパンにはこれだけ選択の可能性があることを考えると、演奏者の主体性や想像力が、より色濃く演奏に反映するといえそうだ。このような新批評校訂版やオンラインアーカイブなどが、一歩掘り下げた学びや研究を支えてくれるだろう。『ショパンの楽譜、どの版を選べばいいの?』(岡部玲子著・ヤマハミュージックメディア)なども参考にされたい。  



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◎写真:ジョン・リンク先生(中央)を囲んで。右より、ショパン研究者の多田純一さん、岡部玲子さん、NIFCファクシミリ監修者の武田幸子さん、ペータース社社長、筆者。

◎ショパン研究者インタビュー:「日本で愛されて百年、ショパン研究も進む」

◎著書ご紹介
・岡部玲子著:『ショパンの楽譜、どの版を選べばいいの?――エディションの違いで読み解くショパンの音楽』(ヤマハミュージックメディア・2015年)
・多田純一著:『 日本人とショパン〜洋楽導入期のピアノ音楽』(アルテスパブリッシング・2014年)『バイエル原典探訪〜知られざる初版譜の諸相』(小野 亮祐 (著), 多田 純一 (著), 長尾 智絵 (著), 安田 寛 (監修)、音楽之友社・2016年)



菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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