ショパン国際コンクール(1)一次予選1日目
ショパンコンクール第1日目(10月3日)
ショパンコンクールがいよいよ3日より開幕した。第一次予選は10月3日-7日までの5日間。1日16名(4日目まで前半8名・後半8名、5日目は前半8名・後半6名)が演奏する。ショパンの曲に込められた繊細な表情をいかに読み取れるか?早くも素晴らしい演奏が現れた初日から、「1音の表情をどこまで読み取るか」「1曲全体の構成力」の2点について、印象的な演奏をピックアップした。
1音の表情をどこまで読み取るか?
7番ルイジ・カローチャ(イタリア)
舟歌Op.60冒頭左手のバス音から右手の和音への受け渡しで、すでにこれから始まる物語を予感させる。水面下でうごめくような妖しい左手のパッセージは、自身の運命をも手繰り寄せるかのように響いてくる。再現部のルバートにはやや作為的な印象はあるが、それもここに配した意味があったのだろう。ノクターンOp.62-1は軽やかに、夢想のような切なさや脆いまでの儚さが表現される。シンプルなメロディの中に様々な表情を読み取る感性が素晴らしい。またエチュードOp.25-10はあえて煙かかったような荒々しいパッセージの後にやってくる中間部の透明感が強調される。特に再現部に入る直前の間は、絶品であった。Op.25-11も左右がそれぞれに生き物のように有機的に絡み合い、自然の姿を見ているようだった。
※使用ピアノ:ヤマハ(photo:Bartek Sadowski NIFC)
18番オローフ・ハンセン(フランス)
エチュードOp.25-7は中間部で繰り返される左手の下行音型が、問いかけのようにニュアンスを変えながら曲に意味を与えていく。自発的かつ内省的である。エチュードOp.25-5は詩を語るようにリズム特性よりもメロディを優先、これも解釈だろうか。Op.10-5は非常に軽いフォルテピアノのような響きで、蝶が羽ばたく一瞬をとらえたような演奏。バラード4番も同じ軽やかさで始まり、左手で流れを作りながら右手の単音で提示されるテーマはそっと添える程度に徹する。そこから羽衣を少しずつ重ねていくかのようにニュアンスを加えていき、テーマが複雑な和声になるにつれて表情が変わっていく。弱音にひそむ無数の音の層を描き出していくアプローチが興味深い。
※資料ピアノ:スタインウェイ
19番ジー・チャオ・ジュリアン・ジア(中国)
ノクターンOp.9-3は呼吸に合わせてテンポを揺らすことがあるが、音色の作り方などに現代的なセンスを感じる。エチュードOp.10-2はニュアンスと弾力性ある左手に、右手が刺繍のように軽快なパッセージがのる。Op.10-12はペダルも控えめに過度な感情移入をしないが、一瞬本音をふと吐露するような箇所の甘美な憂いが強調された。幻想曲Op.49はこの曲にある陰影や心像風景を消し、和声や響きの妙に光を当てるようなアプローチで、まるでコンテンポラリアートを見ているよう。内声を拾い出して新しい響きを見出したり、音色の配分も配慮されている。素っ気ない印象はなく、奏者自身の内面とも結びついており、不思議な感覚をもたらしてくれた。
※使用ピアノ:カワイ (photo:Bartek Sadowski NIFC)
16番イヴェット・ジョンジョルジ(グルジア)
舟歌Op.60はこの曲に心から共感して弾いているのが伝わる。ノクターンOp.55-2も深い思索があるわけではないが、フレーズが自身の呼吸とともに生み出されていき、それが磨かれた音で美しく表現された。エチュードOp.10-8は軽やかに、Op.25-10はオクターブの連打はやや弱いが、中間部は憂いの表情の中に美が見出され、それが研ぎ澄まされた音の質感を伴って伝えられる。本人も美しく、美を見出す感性に優れている。
※使用ピアノ:スタインウェイ
3番トマテウス・バイス(ポーランド)も、やもすると曲の形が曖昧になるが、長い呼吸の中でフレーズを大きく捉える。フレーズの収め方に優雅なニュアンスを与えようとする配慮が見られ、ノクターンOp.9-3ではそれが独特の表情を生み出していた。
1曲全体をどうデザインするか?
10番チョ・ソンジン(韓国)
優れた音色・音質を持ち、それが表現に奥行きを与えている。ノクターンOp.48-1冒頭はたっぷりと歌い上げ、充実したコラール、再現部は控えめにすることで全体的にすっきり洗練された構成力を打ち出し、最後は、上行する右手のフレーズが極上の美しさであった。エチュードOp.10-10、Op.10-1は卒なく美しくまとめる。幻想曲Op.49は特に静寂の表現が深遠で、レント・ソステヌートは瞑想的なコラールのように、コーダは激情と夢想の対比が際立ち、最後は全てをのみ込むような決意に満ちた和音で締めくくった。美しい幻想の断片の集合体のようであった。
※使用ピアノ:スタインウェイ(photo:Bartek Sadowski NIFC)
17番チー・ホー・ハン(韓国)
ノクターンOp.62-1は重厚感ある和音で始まる。フレージングも美しく、独特の美意識が貫かれている。エチュードOp.10-7は左手が推進力になり右手がふわりと軽やかに進行し、技術的な難しさを感じさせない。意外な内声を拾い出して、左右が絡み合う箇所も面白い。スケルツォ4番Op.54はプレストで軽くさらっと始まり、再現部ではくっきり行進曲風に、そのフレームワークの中で、中間部では一音一音の意味や音色のバランスなどを考えながらじっくり歌う。コーダの運びにもセンスがあり、すっきりしたさじ加減の構成力を見せた。
※使用ピアノ:カワイ
13番サスキア・ジョルジーニ(イタリア/オランダ)
ノクターンOp.62-2の左手1拍目を丁寧に追うことで、和声の妙味を出しながら全体の流れを導きつつ、そこに右手の美しいメロディが乗る。安定した左手に支えられ、刻々と移り変わる音の色彩感が美しく響く。エチュードOp.10-8は軽やかに、Op.10-11はテンポがやや揺れるが舞うように。バラード3番も全体を見通した音楽作りで、前の余韻を残しながら主題が次々展開されていく様が美しい。
※使用ピアノ:ヤマハ
11番アシュレイ・フリップ(英国)
ノクターンOp.27-2はふくよかなゆったりした左手の上に、右手で奏でられるメロディが豊かな起伏を描いていく。感情任せではなく、緻密に設計されたデザインを踏まえながら、あくまで自然に優雅に奏でられる。エチュードOp.25-11、Op.10-10、スケルツォ3番は謎めいた冒頭に魅せられるがやや雑な作りになったのが惜しい。しかし第2主題の転調などでの深みある表現は印象に残る。ノクターンほどの緻密さがあればなおよかっただろう。
※使用ピアノ:カワイ
卒なく美しい演奏も
9番イリーナ・チアスティアコーワ(ロシア)
ノクターンOp.48-2は心を掴まれる冒頭ではあるが、よく練られている部分とあまり意識されていない部分が混在している。バラード4番Op.52は美しく仕上げられているが、音楽と個人的な結びつきをより深めていくと、自分なりの解釈が生まれるのだろうと思われた。また姉の8番ガリーナ・チアスティアコーワはノクターンOp.62-1は重厚な冒頭と対比的に軽やかな再現部に続き、コーダは甘美さを含みつつしっとりと終える。エチュードOp.10-8、Op.25-6、スケルツォ4番Op.54も軽やかに鮮やかに難なく弾きこなしている。さらに音楽の奥底をのぞき込み、自ら何かを発見し、それを取り出して磨き上げるプロセスを経れば、本人にしか得ることができない美が生まれるのだろう。
※共に使用ピアノ:カワイ
本日の日本人参加者も健闘!
12番古海行子さん(日本)はノクターンOp.62-2から、心を込めての情熱的な演奏。全体の中で骨格と装飾的な部分が意識されるとより立体的になるだろう。エチュードOp.10-5は安定した拍感とテクニックで、美しい流れを作りながらの会心の演奏。幻想曲Op.49は序奏で葬送の表情がより出ると、その後の展開との対比が意識され、音に対する良い感覚が発揮されると思われた。18歳の物怖じしない堂々としたステージに温かい拍手が送られた。
※使用ピアノ:ヤマハ
(photo:Wojciech Grzędziński NIFC)
音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/