ショパン国際コンクール第三次予選・3日目
第三次予選もはや最終日!このステージでは表現力の多彩さ、パーソナリティの強さ、ステージ経験など全てが問われる。今回コンクールに出場したピアニストはそれぞれに素晴らしい才能を持つが、「ここぞ」という時に自然体でステージに臨むには、かなりの度胸と集中力が必要になる。この日の4人は、いずれもユニークな音楽観と強い表現意欲がステージを追うごとに鮮明になったが、それこそが表現者としての証だろう。すでに結果発表されたが、3日目の模様はこちらから。
ルーカス・ゲヌーシャス(Lukas Geniušas)は一次・二次予選でショパンの音楽が持つ造形美を描き出したが、三次予選ではさらに説得力を増す。幻想ポロネーズは静かな語り口で諭す牧師のごとく、再現部も派手に激高せずに、コーダでバスを鳴り響かせて重みを持たせる。ソナタ2番はこの曲にふさわしい規模でドラマティックに展開するが、時折大仰になりがちに。第2楽章はPresto, ma non troppoだが思い切りPrestoで第3楽章Lentoとの差をつけるが、それは必要な速さだったのだろうか。しかしエチュードop25は、12曲全曲の順番と表現内容を十分に考えた上で、1曲1曲に彫りの深い表現をする。no.5は明確なアーティキュレーションと美しいメロディラインの対比、no.6は下行音型を流麗に、no.10はそのまま弾くだけで十分美しい旋律は歌いすぎずにすっきりと、op.12は左手のアルペジオを強調し、前半に弾いた幻想ポロネーズ、及びソナタ第1楽章コーダの左手の強調を一瞬思い出させる。プログラム構成・演奏にセンスがあり、これからまだ伸びそうな余白を感じさせる大器の一人。(使用ピアノ:スタインウェイ)
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フランソワ・デュモン(François Dumont)は三次予選でも深淵な世界を描く。幻想ポロネーズも深い思索を感じさせ、その末に生み出された音は一言では言い表せない様々な表情を含む。ソナタ3番もフレーズの行間に多くの思考を含み、一瞬一瞬に意味が込められる。また楽章間、特に第2楽章から第3楽章の間も調性感を意識した絶妙な音作りで聴く者を離さない。さらにショパンが亡くなる5年前(1944年)に作曲された子守歌の演奏には、脈々と受け継がれる人間の誕生の神秘さえ感じさせる。(使用ピアノ:ファツィオリ)
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エレーヌ・ティスマン(Hélène Tysman)も、独自の表現世界を持つ。指示記号より自身の感性を重視する時があり、ソナタ2番第4楽章ではlegatoだが、ほぼノンレガートの空虚な音で非現実性を強調する。幻想ポロネーズは知的に構成され説得力があった。二次予選で素晴らしい演奏を披露した前奏曲op.28はno.13-no.24を演奏。やはりアプローチが詩的である。no.15「雨だれ」は心の奥底をのぞきこむような透徹された音、no.17は2曲前の滴の存在を再現するかのようなバスの響き、no.19からは音質に明るさが加わり、no.23は光輝く滴のような透明感に包まれる。no.24は鐘の音のように高らかにバスを響かせて締めくくった。(使用ピアノ:ヤマハ)
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アンドリュー・タイソン(Andrew Tyson)のマズルカ(op.30-3、op.33-2、op.41-4)は民族舞踊といった地域性から離れ、ユニバーサルなダンスに変貌する。リズム感やフレージングには独特のセンスがあり、それは幻想ポロネーズなどにも発揮された。楽譜の指示から離れ誇張気味の箇所も見受けられるが、色彩感やフレーズの流れなどは美しく、彼の感性で捉えたショパンは確かに新しい。行間を捉えるような読み込みの深さよりも、音楽の中で呼吸し共に楽しんでいる印象。正統派とは異なるが、聴衆を惹き込む力を持っている。違う作曲家でも面白そうだ。その他にノクターンop.55-2。(使用ピアノ:スタインウェイ)
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photo© Narodowy Instytut Fryderyka Chopina