2010ショパン音楽祭(3)~芸術監督に聞く、ヨーロッパに残したショパンの遺産
芸術監督
スタニスラフ・レシェツィンスキ氏
(Stanislaw Leszczynski)
今回の音楽祭芸術監督を務めるスタニスラフ・レシェツィンスキ氏は、ショパンに関する文化遺産を管理するフレデリック・ショパン・インスティチュートのコンサート部門副ディレクターであり、過去にはワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のプログラミングやオペラハウスの助監督などを務め、ピアニストのエヴァ・ポブウォッカさんのご主人でもある。音楽や歴史に対する鋭い見識と、ユーモラスな人柄のギャップが印象深い。音楽祭リポート第3弾は、音楽祭のプログラムについて、8月1日のオープニングセレモニーにどのような意味が込められているのか、またピリオド楽器によるショパン完全録音プロジェクト等についてのお話をご紹介します。
フェスティバル会場のポーランド国立ワルシャワ・フィルハーモニー
この音楽祭は2005年に始まりました。今年のショパン生誕200周年を見据え、このポーランドの地で、ショパンの名を冠した意義ある音楽祭を開くことが主な目的です。
ショパンがヨーロッパの文化に与えた影響は計り知れません。これまでどれほどの共感、共鳴を得てきたことでしょう。また次世代の作曲家にも強いインスピレーションを与えています。
この音楽祭で重視しているのは、ショパンのスタイルを創り出した源を探すこと。そのため19世紀当時の音楽だけでなく、それ以前の音楽も演奏することで、ショパンが生きた時代のヨーロッパ、そして今日のヨーロッパにおいて、ショパンの音楽がいかに人々を魅了し、受け入れられているのかを追求しました。だから、音楽祭のタイトルを「ショパンと彼のヨーロッパ」としたのです。
ワジェンキ公園では5?9月の毎週日曜日に野外コンサートが行われる。
ええ、ショパン作品は勿論のこと、ショパンと直接関わっていない作曲家や、ルネサンスの音楽もプログラムに入れています。様々なアーティストや室内楽団、オーケストラを、(ショパン・フェスティバルという)象徴的な形でワルシャワへ招待し、ショパンの遺産に敬意を払うのです。
ですから、どのコンサートもショパンの足跡が垣間見えます。特別委嘱作品ポーランド現代作曲家パヴェル・ミキーティン(Paweł Mykietyn)がショパンの子守唄を借用した「子守唄」を作曲しました。10声のための曲で、とても魅力的でしたね。
またイル・ジャルディーノはイタリアとドイツのバロックを取り上げますが、そこにもショパンの足跡があります。ヴィヴァルディ協奏曲の中でカデンツでショパンのモチーフを偲ばせています。イタリア・バロックはショパンの音楽を知っていたら・・、もちろん、ジョークですよ!
この音楽祭では芸術の水準を最高に保つため、アーティストも世界最高水準のスペシャリストとして知られている方々を呼んでいます。またオリジナルに近い形で演奏を行うことを考慮し、ピリオド楽器を多く取り入れました。1849年製エラール、1848年製プレイエル、1815年製グラーフの複製も登場します。グラーフは、ショパンがウィーン時代に使用したもので、彼が「モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の中のアリア『お手をどうぞ(ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ)』の主題による変奏曲」を弾いたときに用いました。グラーフはシューベルトの楽器と呼ばれていますね。またショパンがピアノ協奏曲をワルシャワで弾いたときに使った楽器や、英国のブロードウッドなどもリクエスト中です。オリジナルを見つけるのは難しいのですが、これらは本当に素晴らしいですね。
ワルシャワ新市街
我々はこの音楽祭の当初から、ピリオド楽器を使用したショパン全曲完全録音のプロジェクトを進めています。これは録音史上、世界初の試みです。まだ全て完了しておらず、今後も新たな録音ピアニストを探しながら続ける予定です。共演オーケストラは、18世紀オーケストラ(フランス・ブリュッヘン設立・指揮)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団(フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮)、コンチェルト・ケルン、イル・ジャルディーノ・アルモニコ(ジョヴァンニ・アントニーニ指揮)などに出演して頂くことになっています。イル・ジャルディーノは、今回初めてショパンを演奏しました。
今回は声楽を特集しました。どのピアノの先生も、ショパンを弾くときは「歌いなさい、この曲のもっとも大事なのは歌うことよ」というでしょう?それは、歌うことが、自然に曲を展開・発展させていく手段だからです。ショパンは歌う曲が好きで、特にイタリアのベルカントに魅せられていました。ショパンはノクターンの音を変える時、どちらのほうがいいかアドバイスしてくれとベリーニに聞いていたんです。「ノルマ」はショパンが愛した歌劇で、聞くたびに涙を流したそうです。今回はイタリアのトップクラスのアーティスト、ヨーロッパガランテに演奏して頂きました。
芸術監督
8月1日のオープニング演奏会は、バッハのミサで開幕することにしました。実はこの日はポーランドの歴史にとって大きな意味があります。1944年8月1日17時──これはドイツに対して武装蜂起した日です。ドイツの侵攻に対して、ポーランドは自立して蜂起する道を選んだのです。
このとき、ショパンの心臓は今と同じくワルシャワ市内の聖十字架教会に安置されていました。いよいよヒトラーが全土への壊滅作戦をしいたとき、その2時間前にドイツ将校の一人が聖十字架教会に電話をかけ、「あなたの文化の象徴を安全な場所へ。さもないと教会ごと全滅してしまいます」と伝えました。それでショパンの心臓はワルシャワ近郊の小さな教会へ運ばれました。そのドイツ軍将校のおかげで、ショパンの心臓は生き延びたのです。
文化は、まさに人間と人間の関係をつなぐものです。だから私は象徴的な意味を込めて、フェスティバル初日に、ピリオド楽器でショパン最後のマズルカop.68-4を弾いた後、ベルリンから招聘したドイツ人のアーティストに、ショパンの心臓の前でバッハのミサを演奏してもらいました。この演奏に、誰もが感動していました。実はこのミサは、バッハがポーランド王のために作曲した曲です。当時、アウグスト3世がザクセンとポーランドの王であり、バッハは王のお抱え音楽家になりたかったんですね。
ショパンは、バッハやベートーヴェン、モーツァルトといった音楽の神の最高峰に位置し、文化の宇宙に属しています。マズルカの小品が、内容の濃さ、表現の幅、人類へのメッセージという点において、ベートーヴェンのチクルスにも劣らぬといっても過言ではありません。