第09回 装飾音について3

第09回 装飾音について3

2006/07/28 | コメント(0)  | トラックバック(0)  | 

【演奏】  ♪ モーツァルト 「ピアノソナタ第8番 イ短調 第2楽章」 (MP3) 演奏:武久 源造
※CD:「鍵盤音楽の領域vol.6」より (2000 ALM RECORDS:ALCD-1028)

 今回は、和声的装飾音をご紹介する番です。これは特に鍵盤音楽で、大変重要な働きをする技法です。リュートやチェンバロ、ピアノやオルガンのように、多くの声部を弾き分けることのできる楽器では、和声の流れを自由にコントロールできることが大きな魅力ですね。例えば、不協和音でどれだけの衝撃を与えるか、それをどれだけの時間をかけて解決し、その緊張をいかに緩和するか、そのやり方は無数にあり、同じ曲でも、演奏の度に変えて楽しむことができます。ここで大きな力を発揮するのが前打音、特に長い前打音です。

 前打音というものには、それこそ無数の種類があります。非常に素早く、拍の頭にぶつけるような前打音によって、強いアクセントを付けることができます。従ってこれは、リズム的装飾音に属します。拍と拍の間に、さり気なく滑り込ませるように前打音を弾くと、それは旋律を滑らかにするように働きます。バロック時代の多くの前打音はこのタイプでした。モーツァルトやベートーヴェンもこれを好みましたが、特にシューベルトは歌曲においてこの種の前打音のすばらしい実例を書き残しています。前打音を記譜するには特別な記号を用いるか、或いは、小音譜で表すか、または、普通の音譜で書き下すかのいずれかです。記号や小音譜の場合は、その前打音をどのタイミングで弾き始めるか、つまり、拍より前に出すか、拍の頭にぶつけるか、拍と拍の間に割り込ませるか、そして、それをどのくらい伸ばすか、といったことは、奏者の判断に任されているのです。これは我々が演奏の自由を楽しめるすばら しい場の一つです。しかし残念ながら、ある種の規則を機械的に当てはめて解釈されることが非常に多いようです。

 さて、前打音を和声的に機能させるためには、それを拍の頭にぶつけて、なおかつ、長く伸ばす必要があります。例えば最上声部にこれがある場合、まず前打音によってバス声部との間で鋭い不協和音を作ります。それをある程度以上長く伸ばしてから、徐に協和音に解決させるわけです。これは、バッハが活躍した18世紀前半に流行し始めた、当時としては新しい手法でした。しかしバッハの音楽では、まだ短い前打音が主流だったと言っていいでしょう。(ただし、これについては、今日の研究者達の間でかなりの混乱が見られます。)これが、バッハの次男エマーヌエルの音楽となると、長い前打音への偏愛が顕著に認められます。エマーヌエル・バッハの名著『正しいピアノ奏法』では、「前打音は主音の音価の半分かそれ以上の長さを持たねばならない」という意味のことが書かれています。しかもその言い方は、 かなり硬直した命令調です。これは彼が、当時ベルリンに集まっていた新世代の音楽家達の頭目としての地位を意識した結果であろうと思われます。実際には、エマーヌエル自身の音楽ですら、いつも前打音を長くすればいいと言うものではありません。まして、この「規則」を父親の大バッハの音楽に適用するのには大きな無理があります。それどころか、モーツァルトの前打音ですら、短く解釈した方がいいケースが多いのです。モーツァルトは、前打音を長く弾いて欲しいところでは、誤解の無いように、より長めの小音譜で書いたり、普通の音譜で書き下したりしてくれています。ですから逆に言えば、普通の音譜で書かれていても、それが実は装飾音であることがしばしばなのです。特に和声的装飾音は、音楽の本体の一部として溶け込んでいることが多く、そういう場合、「付加物」として、これを切り離して見ることはできません。 (続く。)


武久 源造

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