第04回 チェンバロからフォルテピアノへ
【演奏】 ♪ バッハ/イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971(第1楽章・部分) (MP3)演奏:武久 源造
♪ チェンバロ | ♪ クリストフォリ・タイプ ※久保田彰チェンバロ工房にて録音 (2006.5.3.)
それまで音楽の作り方は、一曲一曲が完結した世界の中で安定している、という形、つまりバロック的な作曲法が一般的でした。だから、色で言えば原色の対立、という感じだったのですが、この時代になって中間色を使うことがだんだん流行し始めたわけです。これに加えて18世紀が進むに連れ、自然な揺らぎ、気まぐれな変化、変わり身の素早さ、などの新しい特質が求められるようにもなったのでした。これは当時ギャラント・スタイルと呼ばれました。これを効果的に演奏するには、瞬時に強弱を変えられる楽器が必要です。ヴァイオリンや歌の人たちにとってこれは元々得意なことでした。しかし例えば、リコーダーにとってこれはやや難しかった。それで、リコーダーは横笛のフルートに木管楽器の人気者の座を奪われることになってしまいました。
鍵盤の世界では、クラヴィコードが持て囃されるようになります。なにしろ、ク ラヴィコードでは、強弱の変化は自由自在です。特に小さい音の分野では無限とも言えるほどの自由があります。ただし、クラヴィコードはどうしても、フォルテに限界がありました。かたや、チェンバロは音量の加減が難しい。
そこで、工夫されたのがフォルテピアノだったのです。これを発明したバルトロメオ・クリストフォリが最初に目指したのは、だから、けっして音量の大きな楽器ではありませんでした。そのことは、現在忠実に復元されたクリストフォリ・ピアノ を弾いてみれば一目瞭然です。その音はたいていのチェンバロよりも小さいのです。ただ音量の変化は自由に、しかも快適に付けられる。その点で実に優れた楽器でした。しかし、やはりフォルテには限界がありました。ピアノが発明されて50年間は、 この楽器に人気が無かったのも当然かも知れません。とても、クリストフォリの段階では、オーケストラと共演することは望めまなかったのです。しかし、これを何 とか、より豊かに鳴る楽器に改良する試みが不断に続けられました。この道のりは 大変険しく、紆余曲折が続きました。
ただ、その努力のプロセスには、バッハやヘンデルも大いに関わっていたと思われます。ここが我々にとって実に面白い陰影を持つのですが、それについてはまた改めてお話しましょう。
武久 源造
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