第03回 チェンバロの音は大きい?
【演奏】
♪ バッハ/チェンバロ協奏曲第3番 ニ長調 BWV1054
第1楽章 (MP3) 演奏:武久 源造(チェンバロ) コンヴェルスム・ムジクム
※CD:J.S.バッハ協奏曲集(ALCD-1029 :ALMレコード)より/音盤情報はこちら
今回は、チェンバロの音量に焦点を当ててみたいと思います。チェンバロは一般に音が小さいと思われがちです。でも、一概にそうは言えないのだ、というお話です。
確かに、楽器によっては大変音の小さなチェンバロもあります。特に、フレンチ・スタイルと呼ばれている、華麗な装飾の付いた優雅なチェンバロ(フランスではクラヴサンと言います)は、たいていまろやかで繊細な音を目指して作られています。日本では特にこのタイプが好まれているので、「チェンバロと言えばフレンチ・スタイル」と思ってしまうほどに、数多く見かけられます。そのため、チェンバロの音が「かわいらしい」、「細い」、或いは単に「小さい」と思われているのかも知れません。
別の理由も考えられます。少し話が込み入っているのですが、チェンバロは元々、一台一台手作りで丹念に作られるものでした。今では我が国でも、このような歴史的な見地から、優れたチェンバロ職人によって一から、つまり、材料の木材を吟味するところから始めて、入念な仕上げに到るまで、手作業によって作られるのが当たり前となっています。しかし、30年程前、我々がチェンバロの勉強を始めた頃は、そんな贅沢はとうてい望めませんでした。その頃に一般的だったのは、ピアノ製造の技術を使って、機械的に大量生産されたチェンバロでした。これはピアノと同じように響板の上に弦を張って、それをフレームで支える、という形のものでした。ただし、響板は非常に薄く、弦の張力も低かったので、当然音は小さく、痩せた響きしか出せませんでした。これは、バロック時代の作り方に忠実ではない、という意味で「モダン・チェンバロ」と呼ばれています。現在でも、音大や放送局などでは稀に、このタイプのチェンバロが使われることもあるようです。
「歴史的に正しく」作られたチェンバロは、楽器全体が箱状になっています。この点、ヴァイオリンやチェロなどの弦楽器と同じなのです。弦が弾かれて出た音は、零点何秒かの間に、(これは殆ど一瞬に感じられますが)共鳴箱に広がって豊かな響きを産み出します。表面から見て、響板が薄いのは「モダン・チェンバロ」と同じなのですが、その響板の下、というか裏側が箱構造になっているのです。そうして得られた音は、けっして痩せた音ではありません。繊細なクラヴサンも、音量こそ小さいけれど、音の深みと広がりはヴァイオリンなどと比べてけっして見劣りするものではなく、むしろ大変ゴージャスな印象を与えるものです。
さらにチェンバロでは、弦を弾くのに用いる羽根軸を選ぶことで、音量を大きくすることも可能です。フランスでは柔らかな鴨の羽根などが好まれましたが、イタリアでははげ鷹が好まれました。イタリアのチェンバロは楽器の形状も細身で薄型、材質も軽い針葉樹を使うので、音がパリッと小気味良く出ます。これを力強く、反応の速いはげ鷹の羽根軸で弾きますから、インパクトのある派手な音がするのです。音量的にもフランスのクラヴサンより大きいと言えます。(イタリアンはチェンバロの原型とも言われ、16世紀以前に遡ることのできる形ですが、日本ではあまり多く見られません。むしろ、フレンチ以外では「フレミッシュ」と呼ばれるタイプが日本では多く見られます。フレミッシュも古い伝統を持ち、チェンバロの原型に近いスタイルとされています。形も内容も、ということはつまり音量も千差万別なので、ここでは詳述を避けます。)
ジャーマン・スタイルと呼ばれるドイツのチェンバロは、イタリアン・チェンバロを構造的に強化しようという試みの中から生まれました。各部の作りが重厚で、材料もポフラなどの落葉樹を使い、響板にもスプルースなどの密度の高い樹が好まれました。そして、それを弾く羽根軸には烏、それもアラスカ烏などと呼ばれる渡り烏の羽根が使われました。現在ではこの烏は狩猟禁止になっているので、我々の手には入りませんが、かつて私は、ワシントン条約で禁止される以前、一度だけこの烏の羽根軸を自分の楽器に使ってみたことがあります。それは驚くほど強くて固い、それでいて弾力に富んだ素材でした。それを使ったジャーマン・チェンバロの音は、音量的に大変大きく、古典派のオーケストラを向こうに回してもけっして引けを取るものではありません。
バッハは合計13曲の(オーケストラ付き)チェンバロ・コンチェルトを残しています。これをコンサートなどで演奏する場合、まず音量の大きなチェンバロを選ぶ必要があります。元々音量の小さなチェンバロであっても、羽根軸を交換することで、ヴォリューム・アップすることもできます。しかしやはり、バッハが使っていたようなジャーマン・チェンバロを使うのがベストでしょう。一般にはまだ、「チェンバロは音量が小さいので、オーケストラは遠慮して弾かなければならない」という風に信じられており、実際そうしなければならない場合もなくはないのですが、それはたいてい、楽器選択が不適切なためなのです。私のこれまでの経験では、優れたジャーマン・チェンバロを使った場合、バロック・オーケストラならば、目いっぱいに弾いて貰って大丈夫でしたし、かなり大編成のモダン・オーケストラでさえ、特に遠慮してもらう必要はありませんでした。
このようなわけですから、チェンバロはその種類と扱い方に習熟すれば、場所に合った音質、音量、視覚的な印象などまでも、奏者の考えで自由にアレンジすることができるのです。ただし、一つだけ不自由なことがあります。それは、いったん強力な羽軸を装着してしまうと、大きな音は出るのですが、それを瞬時に柔らかく繊細にすることができないのです。これが特にバッハ時代に大きな問題となりました。そのことがクラヴィコードやクリストフォリピアノの音についてと話は続くのですが、それはまた次回のお楽しみと致しましょう。
武久 源造
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://www.piano.or.jp/mt/mt-tb.cgi/3264
コメントする