第09回 カルクブレンナーのピアノ・メソッド 1―アダンの伝統
今回は、先立つ一連のカルクブレンナーの紹介を受けて、1831年に彼が出版した《手導器を用いたピアノ・フォルテ学習のためのメソッドMéthode pour apprendre le piano forte à l'aide du guide-mains》(以下、《メソッド》)を紐解き、彼のピアノ奏法の奥義を探る。
L. アダンによって体系化された初期のピアノ奏法は、着実にその弟子に受け継がれた。彼は1798年から1801年にかけて、パリ楽院で、アダンにピアノを師事した。アダンの《音楽院メソッド》が1805年に出版されたことを考えると、そこにはカルクブレンナーに伝授された教えが反映されているといえるだろう。では、カルクブレンナーが受け継いだアダンの教義とは何だったのか。ここで、アダンのメソッドにあった次の一節を思い出そう(「第四回:アダン《音楽院ピアノ・メソッド》3~身体性について」参照)。
フォルティシモやフォルテで演奏するには力いっぱい鍵盤をたたけばいいというものではない。[...]この悪い奏法をすこし観察しさえすれば、彼らが調和した純粋な音の代わりに、ハンマーと鍵盤のカタカタという不快な騒音ばかりが聞こえてくることに気付くだろう。
美しい音を出すようになるには、如才ない方法による以外にないのであって、ピアノのときと同じようにフォルテのときに音を響かせるためには指の力だけを用いるよう慣れなければならない。
カルクブレンナーがその師、アダンから引き継いだのは、まさにこの点であった。つまり、腕の力を利用しない打鍵法である。カルクブレンナーは、手首の力を度外視して指の力だけで演奏すべきだ、とまでは言っていないにせよ、前腕の力を抑制することを目指していた。彼は、前腕を用いず、手首と指の機能性を最大限に生かした奏法を理想としたのである。
アダンが腕の力を利用した打鍵を忌避したのは、必要以上の力の付加よって、当時のピアノの機構から「カタカタ」という雑音が発せられるためであった。しかし、これは機能上の問題であるから、この楽器の欠点が解消されれば、彼の主張の正当性は失われる。
カルクブレンナーが1831年に《メソッド》を出版したとき、この問題はそれほど重視されなくなっていた。彼の《メソッド》には、もはやそのような楽器の欠点が言及されていないのである。アダンが1805年までに見ていたピアノは、30年のうちにかなりの改良が施されたのである。アダンが紹介しているピアノは、音域が5オクターヴしかなかったが、カルクブレンナーは6オクターヴ半のピアノに言及していることからも、いかにピアノの進化が急速であったかが理解される。だとすると、カルクブレンナーは、アダンのように、もっぱら楽器の機能上の理由で腕の使用を避けたのではなかった。
しかし、両者は、身体の大げさな身振りを避けている点で共通している。アダンは、ピアノ演奏の基本姿勢について《メソッド》でこのように語っている。
頭と身体の無意味な動きは避けるべきであり、殊に、しばしば難しい曲を弾くときにやりがちな大げさな身振りは控えるべきである。さもなければ、ピアノの演奏中に保たれるべき優雅な姿勢が崩れ、演奏の容易さを損なう癖がついてしまう。
カルクブレンナーもまた、自身の《メソッド》で演奏する身体の「静動性」を強調している。彼は、大げさなパフォーマンスで聴衆を魅了するのではなく、手首と指の力を生かして身体の動きを最小限にとどめ、エレガントな演奏姿勢を保とうとしたのであった。
では、彼は具体的に、いかなる手段によって理想的な演奏に到達できると考えたのであろうか。カルクブレンナーが主張するピアノ演奏法の主眼は、まさに「指の独立」にあった。これは、10本の指が鍵盤上で、バランス良く、均等に動くことを意味する。それぞれの指が完全に独立することによって、あらゆる音型の演奏が可能になるというのが彼の持論であり、そして彼はそれを実践していたのである。
彼がこのように指の独立を獲得するためのメソッドを書いたきっかけは、アダンの教育にあったようである。カルクブレンナーは、自身の《メソッド》の序文で、指の独立を考えるようになった経緯を次にように説明している。
初心者を阻むもの、それは、演奏するときに必ず見られる、極度の手のこわばりである[...]。往々にして、レッスンが始まって3ヶ月のうちについた悪癖は、一生かけても修正できないものである。
私は、この障害を避けることがまったくできなかった。私がパリ音楽院で一等賞を獲得した後でさえ、私の師であるアダン氏は、私がカデンツァ を演奏すると、決まって私を叱っていた。なぜなら、私の小さな指は、自身の手が不自由なのではないか、と思われるほどにこわばっていたからである。
こうして音楽院在籍以後数年間、彼の当面の問題は、何とかして手の緊張をときほぐし、指が完全に独立するような練習法を編み出すこととなったのである。そして、彼はついに、手導器の発明を着想するに至るのだが、続きは次回に持ち越すことにしよう。
上田 泰史
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、現在、同大学院修士課程に在籍中。卒業論文に『シャルル・ヴァランタン・アルカンのピアノ・トランスクリプション』(2006)。安宅賞、アカンサス賞受賞。
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