検証 《La Styrienne》は「舞曲」なのか?(06/03/24)

検証 《La Styrienne》は「舞曲」なのか?(06/03/24)

2006/03/24 | コメント(0)  | トラックバック(0)  | 

原語タイトル《La Styrienne》に対し、いくつかの版が「シュタイヤー舞曲(アルプス地方の踊り)」「スチリアのおどり」「スチリア舞曲」「シシリアのワルツ」など、「舞曲」としての日本語訳を付けている。全音版の楽曲解説は以下のように始まる。

「シュタイヤー地方の民族舞曲。具体的には拍子・リズム・音楽の内容などから、レントラーであると推察される。」

ここで出されている「シュタイヤー地方」とは、シュタイアーマルク州を指すのだろう。この地方はオーストリア東南部、アルプス山脈の東側の終端あたりに位置している。シュタイアーマルク州は英語名でスティリア Styria。そして、フランス語名でいうとスティリィ Styrieだ。
フランス語では地名のうしろに -ien (男性形)、-ienne (女性形)という接尾辞をつけて「どこそこに属する人、どこそこ生まれの人」を意味する。わかりやすいところで言えばパリParisに接尾辞 -ienne をつけた「パリジェンヌ」。パリの女性を指す言葉としてすでに日本語としても市民権を得ている。よって、シュタイアーマルクのフランス語名Styrieに女性形の接尾辞 -ienneをつけ、そして定冠詞(英語でいうところのTheにあたる品詞)のLa (女性形の定冠詞)を付けた言葉《La Styrienne》はどうなるか。おわかりだろう。言葉そのものから浮かび上がるのは、「スティリアの女」なのだ。

もう一つ、レントラーについても考えてみたい。レントラーをご存知だろうか。これは3拍子の踊りの音楽だ。というとすぐにワルツを想像されるだろうが、レントラーはなんとワルツの前身。もっとゆったりとしたテンポの、農民や狩人の生活に密着した、粗野で田舎っぽい踊りである。飛び跳ねたり、靴で床を鳴らしたり、ときには「男性の肩越しに女性を投げ下ろすといった難しい動作」(ニューグローブ音楽事典より)といったアクロバティックな側面もあったようだ。オーストリアや南ドイツを中心に19世紀に人気がひろまり、宮廷や舞踏会にも登場する。やがてレントラーは次第に田舎っぽさがそぎ落とされ、芸術性を帯び始め姿を変えていく。オペラや舞踏会に登場するころには「スティリエンヌ(スティリア風)Styrienne」と呼ばれるようになり、さらに都会風に発展した様式としてワルツが誕生する。

レントラーから発展した舞曲の一形式「スティリエンヌ Styrienne」。わざわざフランス語の呼び方がうまれた舞台裏には、洗練、あか抜けの過程があったわけだ。とすると、《La Styrienne》を「レントラーである」と限定することはできない。ましてや、洗練の過程を経たスティリエンヌを、ぐいっとレントラーに引き戻し、そしてオーストリアの一地方の名前にまでも引き戻して「シュタイヤー舞曲」、さらに括弧書きまでつけて「(アルプス地方の踊り)」といってしまうのは、音楽的発展の歴史の流れに逆らうことにもなりかねない。このように考えてみると、シンコーミュージック版「シシリアのワルツ」なども地理的観点・音楽史的観点から妥当とはいえないだろう。地名に関しては原語の音声的影響から誤解が生じたのだと思われる。

ここであらためて楽譜を見てみよう。ブルグミュラーがつけた曲想用語はというと、「Mouvement de valse ワルツの動きで」。あのつぶらな瞳のブルグミュラーが、四分音符=176という、けっして遅くはないテンポ設定で「都会っぽくひいてね」と語りかけてきてはいないだろうか。

======================================

以上の理由から、私は《La Styrienne》を「舞曲」としてしまうことに違和感を覚えます。ただし、問題は「正しい」か「正しくない」かではありませんし、また「正しくない」ものが悪いわけではありません。違和感を覚えるならば、それがどうしてなのかを考えることによって、この作品のもつ奥行きを少しでも感じ取っていくこと、そのことの面白さに触れていただけたらと思います。

みんなのブルグミュラー目次検証目次

飯田 有紗
1974年北海道小樽市生まれ。ブルグミュラーを北の大地で弾いてすごした昭和時代、もっとも得意とする曲は「さようなら」。個人団体「ぶるぐ協会」調査員(00002)、広報担当。 東京芸術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。20世紀音楽、武満徹研究。大学院修了後より同大学非常勤講師(「音楽研究センター」所属)、日本音楽学会本部事務を務めるかたわら、NHK-FM「あさのバロック」、季刊「エクスムジカ」演奏会評、東京交響楽団定期演奏会サントリーシリーズ解説等の執筆を行う。2006年3月よりPTNAにてブルグミュラー研究プロジェクトを開始。2007年12月シドニーMacquarie大学大学院 Master of translation and interpretation修了。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.piano.or.jp/mt/mt-tb.cgi/3437

コメントする