25曲を斬る!第14回 バラード
♪第15曲 Ballade バラード YouTube 演奏 友清祐子♪
会長:この曲から突然夜になる感じがしますよね。
藤田:misteriosoですからね。間違いなく夜です。ハ短調ですよ、しかも。
会長:「しかも」といいますと?
藤田:ハ短調といえば、ベートーヴェンの「運命」の調性です。これは古典派以降の作曲家にとって、特別な意味を持つ調性です。
会長:となると、この曲でもうそうとう意図的にこの調性を選んだと?
藤田:意図的ですよ、それはもう。ハ短調なんて、そう簡単に使えないですよ。恐れ多くって!
広報:使えないですか!
藤田:使えませんよ。使うってことは、もうそれなりの覚悟を持って使うということです。
広報:たしかに、速度標語にもAllegro con brioとあり、やる気マンマンですね。直前の14番「スティリエンヌ」との明暗のコントラストも凄いです。12番の「さようなら」で心に傷を負い、13番の「なぐさめ」で穏やかにもなりましたが、この「バラード」で、またドロドロしてきましたよ。今になって膿が出てきた、みたいな。
【譜例1】バラード冒頭
藤田:まぁ、非常に「魔王」的ですからね。この曲ね。右手は連打です。
会長:そうなんです!私はシューベルトの歌曲「魔王」を初めて聴いたとき、この「バラード」をシンクロさせていました。色や世界観なども。
広報:ああ、色ね。私、なんとなくこの曲、紫。
藤田:7小節目に現れる左手ナチュラルの「ラ」の音すごいよね・・・・・・なかなかできないよ、こんなの(ため息交じりの小声)。
広報:このラは、8小節目の減七和音から先取りする形で、手前の主和音に乗っけちゃったんですね。
【譜例2】 8~11小節
藤田:そうですね。ここは凡庸な作曲家であれば「ソ」を置いたりすると思うんですよ。それが、ラなんです。これは鋭いですよ。
広報:剃刀のようだね。
会長:なんでラをぶつけているんでしょうか?感情の突き上げのような・・・・・・なんですかね、これは。
藤田:なんでか・・・・・・と言われると。ううん、なんでですかね?ちょっと関係ないこと言いますが、ドビュッシーの「5本の指のために」というのがありますね(「12の練習曲」の第一番)。右手がド-レ-ミ-ファ-ソ-ファ-ミ-レという音型を繰り返すところに、左手は♭ラ、つまり短調系のくもった音をぶつけてくる。イロニーが感じられる表現です。ここではその逆ですよね。ハ短調に長調系の音をぶつけている。これはイロニーではない何ものかですね。
広報:私はデモーニッシュなもの感じます。やっぱり「魔王」的なんですよ。
藤田:少し戻りますが、3小節目から3:2のクロスリズムも見られます。右手が3つ刻むところに、左手では2つの音のグループ、つまりドシドとソラシがぶつけられる。ドシ、ドソ、ラシではないですからね、ここは。(【譜例1】参照)
広報:なるほど。そこからして悪魔がささやいてますよ。右手はふっふっふっという悪魔の笑いにも聞こえます。あ、なんだかベルリオーズの幻想交響曲っぽい感じもしますよねぇ。
会長:それなのに、中間部ではまた、爽やかなハ長調です。ソ‐ド‐シ‐ソというジグザグとした旋律線の動きは、「さようなら」の中間部にも見られますね。ブルグミュラーの中間部の特徴かな。
広報:前半の曲になりますが、「アラベスク」の中間部の右手もそのようなジグザグ・パターンですね。
藤田:この二つの旋律は反行の形に近いですね。
会長:あ、「アラベスク」と「バラード」って、そういえばイメージかぶってるなぁ。
広報:スタッカートの和音から始まるあたりも!旋律線の跳躍や、跳躍した音をsfやアクセントで強調するあたりも!
藤田:なるほど。となると「アラベスク」は前半の2曲目であったように、「バラード」は後半の2曲目という意味づけもできますね。
会長:本当ですね。この2曲は終わり方も似ています。ユニゾンが現れて、最後の和音をsfで鳴らして終わるあたり。
広報:まるで「バラード」は「アラベスク」の拡大版のようですね!
藤田:器楽ジャンルとしての「バラード」を確立したのはショパンです。ショパン以前の「バラード」は、言葉がついている声楽のジャンルでした。この25の練習曲集が出たのは1851年でしたよね。すでにショパンは4曲のバラードを作曲しています。ですから、ブルグミュラーがショパンのやり方を受け継いでいると見られる点は多々ありますね。
会長:おお。というと?
藤田:まずこの形式造形ですが、これ、普通に見ればA - B - Aという三部形式で簡潔しているように見えると思うんですよ。
広報:そうですね、そう見えます。
藤田:しかし!(声裏返る) 私が思うに、そのように解釈していいのか、と言いたいわけです。
会長:へっ
藤田:私、ちょっと初期のバラード研究をしたことがありまして。ショパンの「バラード」はソナタ形式に基づいているという見方があるのですが、私はそうは思わないんですね。バラードというのは、二つの主題が互いに関係し合い、つねに闘争を繰り返し、独立し、そしてさらに発展していく、と。そういうものなんですよ。
広報:・・・・・・ほう。
藤田:この曲には確かにAとBという二つの要素がありますが、これらはで簡潔してしまうのではなく、本当はさらに闘争を続けたかったようにも聞こえるんですよね。「バラード」っていうタイトルを付けていること自体、挑戦的なんですよ。ショパンやリストの作品に並ぶ「バラード」、しかもハ短調。これはもう力入ってますよ!そうそうスルっと弾いてはいけない。
広報:なるほど。すごいや。
藤田:だからね、結構さまざまに高度な技術を駆使しているというか・・・・・・・作曲家としての試金石的な、この曲である種自分を試した部分があるんじゃないですかね、ブルグミュラーは。
会長:ハ短調で、バラードで、作ってみたらどれだけのものが自分にはできるか、と。しかも2ページでっていう(笑)
広報:この小宇宙で、どれだけ追及できるかっていうね。じゃあA - B - Aで終息というのではなくて、さらに曲集の先を予感させるものがある、と。
藤田:ちなみに、最後のこのユニゾンは、ハ短調の旋律短音階ですが、ハ長調として受け取ることもできますね。
【譜例4】87~90小節に現れるユニゾン
広報:両義的ですねぇ。こんなにインパクトのある部分なのに。なにかA(ハ短調)とB(ハ長調)の戦いは終わっていないことを暗示させます。
会長:最後の終始音もいいんですよね。最高音がミ♭なのも、なんとなくまだ決着は付いていないかのような。
藤田:そうですね。この終わり方はショパンのピアノ・ソナタ第2番の終楽章が意識されているんような・・・・・・(ぼそりとつぶやく)。なにかこう、ピアニスティックな効果を技術的に確かめつつ、何らかのメッセージを乗せている。
広報:ショパンとブルグミュラーはパリの空気を吸った同時代人なんですからね。どこかで、ショパンへのオマージュのようなものも込めたのかもしれない。
藤田:うん、あるのかもしれない、それは。
広報:この前の曲「スティリエンヌ」でショパンっぽい3拍子で書いてみたし、ショパンといえば「バラード」かなっていう連想で。ありうるよね。ブルグミュラーはピアノ教師でしたし、ショパンというのは意識せざるを得ない作曲家だったでしょうね。
藤田:しかしまぁ、メッセージとしては何だったんでしょうね。いやさっきね、ベルリオーズっていう意見がありましたけど、その線で考えていくと、ちょっとこの曲は、絶望の果てに、毒をあおっちゃったかな・・・・・・っていう、恐ろしい想像が今、頭をよぎってしまいました。
会長:え、それは、どういうことですか?!
広報:あっ!もしかして、Aの部分では右手が「毒をあるべきか否か」と迷っているところに、左手が「飲んじゃえよ、飲んじゃえよ」と悪魔の声をむけてくる。19~23小節目でついに飲んでしまった。24~30小節の下行する音型で、死の淵へと落ちて行く。そしてBの中間部でハ長調の美しい幻想世界が始まる・・・・・・
会長:憑かれた感じ、ありますね。半音階で降りる音型なんかも。(【譜例6】参照)
藤田:病んでいく感じ。
会長:53~56小節目のユニゾンも強烈に響くんですよね。そしてまたAの和音が聞こえてくる。
【譜例5】53~56小節目のユニゾン
広報:毒が最終的には効かずに、現実に戻されてしまうんでしょうか。
藤田:まぁ非常にこう、ロマン派的な美学、黒いロマン主義をよく表している。
会長:なかなかに怖い曲ですね。やはり、オチオチ弾けません。
藤田:そう。だから、弾くほうもそれなりの覚悟で弾いてもらわないとぉ・・・(横柄な声音で)。 怪我するよ。
会長・広報:!!(笑)
広報:これはひとつ、私たちが警鐘を鳴らさないといけないですね。
藤田:そうですよ。これを弾くってことは、もうオトナだってことですよ。それだけの責任を持って弾いてちょうだいよ、と。だって、結構キビシイところあるんですよ。半音階で降りるところもわざわざanimatoって書いてるんです。フレーズの終わりなのに、「速度落としてんじゃねぇぞ」と言ってきてるわけです。その前のpoco riten.のテンポを回復したいのなら、別にin tempoやa tempoでもいいじゃないですか。それをわざわざanimatoって。「安心してんじゃねぇぞ」と。
【譜例6】41~46小節 下行音型とanimato
会長:ピアノの先生も、生徒に渡すときは「いい?!いける?!」って確認してほしいくらい(笑)「運命のハ短調よ。いける?!」って。そんな先生いたらいいな。
藤田:そうですよ。もうこの曲弾いちゃったら、過去には戻れませんよ、「すなおな心」は忘れてくださいよ、みたいな。そもそもこの曲集は、本来厳しいこと要求してるんです。原題は 25 Etudes faciles et progressives, conposées et doigtées expressément pour l'étendue des petites。これって 「小さな手をなんとか広げてやるための、易しく、しかしより難しくなっていく練習曲」ってことですから。「小さな手で弾くかもしれないけれど、それは広げますからね」と言っているんですよ。そんな甘くないですよ!
広報:うわぁ、甘くない。厳しい。メンタルも手も広げられる曲集なんですね!さすがに、なかなかの教育者です、ブルグミュラー。
繊細な感性、曲に現れる甘やかな旋律美から、「優しい」人物像を想定してしまうブルグミュラーだが、「バラード」からは彼のもつ"厳しさ"の一面がよく読み取ることができる。また、同時代のピアノ作品の様式に対しては、冷静な観察眼を持っていたようだ。小さな手と心を「広げさせる」べく、小宇宙へと落とし込んだ「バラード」。意欲的で、キケンな香りに満ちた作品だ。
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。