25曲を斬る!第10回 やさしい花/せきれい
♪ 第10曲目 Tendre fleur やさしい花:YouTube 演奏:友清祐子 ♪
会長:「やさしい花」っていうと何を思い浮べます?
広報:原題はTendre fleurですね。フランス語のtendreというと、英語のgentleに近い感じですか?
藤田:いや、tenderですね。Love Me Tenderの。
広報:ああ、そうか。もうちょっと色っぽい感じですね。
藤田:そうですね。だから、この「花」っていうのは女性のことだと考えるのがいいでしょうね。
会長:なるほど。となると、この女性はもしかして・・・・私たちの検証では前回話に出た、9番の「狩猟」にすでに影を落とし、12番「さようなら」で登場する、あの女性なのではないでしょうか?(第九回をご参照下さい)
広報:!!
藤田:うわぁ。それはもぅ、前回の内容に引き続き、抱えきれないほどの悲しさですよ?!そこまで気付いちゃ、いけなかったんじゃないの?
広報:私ももうコックリさんやってるぐらいの怖さを感じてきました。
藤田:いいの?これ、気付いちゃっていいの?
会長:またこの、右手と左手のこの寄り添い方がね・・・。
広報:ああ、間違いなく女性と男性に思えてきました。やっぱり左手がブルグミュラーなんじゃないでしょうかね。右手がお相手の女性です。とくにこの中間部、左手のブルグ君が一生懸命女性に語りかけますが、女性はふわり、ふわりとしていますね。答えようかしら、答えないでおこうかしら、みたいな。
藤田:ああ。そうね・・・(しばし、言葉が出ない)・・・いやもう、2曲先の「さようなら」という結末を知っているだけに、今や非常に悲しく響きますね。ニ長調だしね・・・
会長:そうなんです!私も思ったんです。ニ長調ですから!
広報:??といいますと?
藤田:ニ長調というのはね、弦楽器のね、ヴァイオリンが非常によく響く調ですから。そしてヴァイオリンという楽器は、女性の象徴でもありますから。
広報:ああじゃあ、もうこれは間違いなく女性の曲ですね。
会長:・・・(ため息)・・・いやもう、胸が痛いね。痛すぎる。
藤田:・・・知りたくなかった。
広報:右手の女性がまたよく動くんだな。左手の男性はあまり動かない。
会長:そう。でも最後にはかなり接近するんですよね、右手と左手が。
藤田:(ため息)
広報:そうとう大人の曲ですよ。実はこの曲が一番泣ける曲になってしまいそうです。
藤田:この曲はもはや、書き方がどうのっていう問題じゃないですね。しかし、冒頭の表情記号もdelicatoですからね。
会長:そうdelicato!とても大切に思っていたんですね・・・。
(しばし3人、絶句)
広報:「やさしい花」は過酷すぎて、もうほぼみなさん、絶句なので、次に進みましょうか。
♪ 第11曲目 La bergeronnette せきれい:YouTube 演奏:友清祐子 ♪
広報:冒頭のリズムを、タカタン、タカタンと固く捉えるのでなく、あまり音を立たせずに一息でピョロロン、ピョロロンっとすばやく流す意識で弾くと、鳥っぽく響いてかわいいですね。メシアン研究がご専門の藤田さんの前で言うのもなんですが、メシアンの鳥の声のごとく、本当に鳥の鳴き声のように聞こえてきます。
藤田:ほんとそうね。写実的な感じがしますよね。メシアンの鳥もそうなんですが、音楽家はたまに、鳥にすごく象徴的な意味を持たせることがあります。単に音楽的に描写する以上の意味が、鳥によってはあるんです。例えば、ひばり。ひばりは朝に鳴く鳥なんですね。旋回しながら歌っていって、天上で歌い方を変えて、もう一回降りてくる。ですから、ひばりは精霊の象徴なんです。昔から天高く舞う鳥としてとらえてきました。
広報:それで「ひばり」をテーマとした曲が多いんですね。
藤田:ですから、セキレイも、何かの意味があるのかもしれませんね。メシアンの作品中にはセキレイは出てこないですが。
(この鼎談後の調べにより、セキレイはギリシャ神話の愛の女神アフロディテからの贈り物として登場する、「愛」の象徴であることがわかりました。)
会長:それにしてもこの「せきれい」、前の曲と併せて考えてみると、「花」と「鳥」という並びですよ。花鳥風月ではないですけど、何か、意味があるようにも思います。
藤田:これは、花である女性と、花に寄る鳥の男性、二人の自画像と考えるのはどうでしょうか。初版の楽譜がどういう組み方をしていたかはわかりませんが、「さようなら」の直前に、二人の肖像である2曲を見開きで置いたというわけです・・・。
会長:・・・「さようなら」の前の、二人の肖像画?!
広報:うわ。それ、辛いですね。痛いですね。
藤田:耐えられない辛さです!(自分で提案しておきながら、めずらしく声を張る)子どもが弾くには刺激が強すぎやしないか!
会長:もし「せきれい」がブルグミュラー自身の投影だったとすると、なにかこう、この曲調は、自分を道化的に描いているようにも思えますね。
広報:そうですね。軽やかな音型は、あえておどけて見せているようにも見えます。そして、曲自体の存在感は、控え目ですね。ああ、せつない。
藤田:となると、なおさら次の「さようなら」は、本当に重い曲です。
会長:「せきれい」から「さようなら」を弾き始めるまで、気持ちの持って行き方がこれまでよくわからなかったのですが、このドラマ性に気付いてしまった今、大変な重みがあるように思えてきました。
前回に引き続き、この二曲についての発見もあまりに切なく、3人は何度となく言葉につまり、ため息をついた。前半の頂点とも言える作品、第12番「さようなら」に向けて、密かに築き上げられていたドラマ性と、かわいらしい小品に隠された男女の姿。軽やかな花びらに、不安定に身を寄せきれない鳥は、まるで自嘲するかのように、小さく歌い始め、何かの主張を残すかのようにフォルテで終わったのだろうか。鼎談での話の流れから、今回は2作品続けての内容としました。
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。