25曲を斬る!第09回 La chasse 秘められた痛み
♪ 第9曲目 La chasse 狩猟:YouTube(音声のみ) 演奏:友清祐子 ♪
広報:さて、狩猟です。ここでまたちょっと雰囲気がガラリと変わります。この曲から見開き2ページになる版も多いのではないでしょうか。そしてまた、出だしの和音でファンファーレというものに出会うんですね。まぁ活き活きとしています。構成にもメリハリあって、よく作られていますよ。
会長:いや、ちょっと待ってください。このイ短調の中間部(29~36小節目)、ドレンテdolente。ここは一体、何を思い描いているんですかね?
藤田:そうね。ドレンテってけっこう重いですよ。「悲痛に」ですから、楽典の回答的に言えば。そんなに狩がイヤだったのか?
広報:確かに、曲の展開としては面白いのだけど、何がいきなり起こったのか、想像しにくいですねぇ。
藤田:ここは謎ですね。本当にね。
広報:その前にハ短調に転調している部分(13~20小節目)がありますけど、ここはまだわかりやすいよね。例えば、奥深い森の中に入って行ったのかなぁ、とか。
会長:そうそう。
広報:でもこのイ短調のところはハッキリしない。何かの追憶のようにも思えるけれど、狩をしに来て、一体何を追憶しているのか?
藤田:しかも、表情をかなりつけろってわけでしょ?ドレンテという強い指示ですから。ちょっと天気が悪くなったぐらいには思えない表情ですからね。ここは。
広報:内省的ですしね。どうしたんだろう。情緒不安定?
会長:なんとなく、「死」のイメージすら漂いますよ。だって、「悲痛」なんですよ。痛いんですよ。
藤田:う~ん・・・
広報:失恋?
会長・藤田:???
広報:だって、胸が痛む状況なんて、失恋とかぴったりじゃないですか?誰かを忘れるために狩に来てるとか。
会長:う~ん。あるいは、狩につれてきた狩猟犬が、発砲事故で死んだとか?!あ、痛すぎるか。
藤田:それは痛すぎるね。やっぱりそれだったら、葬送のリズムが来るでしょう。タタタターン、タタタターン・・・とか。
会長:そうか。これどうしたらいいかな。
藤田:その前のハ短調への転調のところにも、ウン・ポコ・アジタートun poco agitato(少し激して)ってありますね。アジタートってところが何かひっかかります。
会長:いい所に気がつかれましたね。ブルグがアジタートを使うときって、相当なんですよ!
藤田:でしょう?
会長:私ちょっと検証したんですよ。アジタート使う曲をね。メンタル的に相当きてるような感じなんですよ。なんつったらいいかな。
広報:なんか背負ってる感じですかね。
会長:そうそう。
広報:う~ん、でもまだなんか、つかめない。
藤田:ストンと落ちないですね。
広報:とにかくすごく明暗のはっきりした曲ですね。躁鬱ぐらいな。
会長:dolenteのところはしかも、繰り返し記号がついていますからね。
藤田:う~~ん、わからないなぁ!!
会長:あ・・・今ふと思ったんですが、ここの悲痛の種というのは、もしかして、2曲飛んだ先の作品12番「さようなら」と関連しているといったことはないですかね。
広報:えっ!!
藤田:あっ!!
広報:もしや・・・別れの悲劇を予見している?!
藤田:その可能性はあるね。
広報:ある!
会長:ありますか?!
藤田:だって、見て下さい。この伴奏形は、確実に近い!
広報:和声もI-IV-Iという動きで同じ。あ、しかも、この旋律・・・。ミーラードーシーラと、ソーミードーラーソ・・・どこか相似関係にあるというか。
藤田:よく似ているね・・・調性的には明と暗のコントラストだ。ひょっとして、この2曲は結びついているのでは?だってそうじゃないと、おかしいくらいですよ。「狩猟」でこれほどのドレンテをおくのは、不自然になりますから。
会長:しかも、「狩猟」で登場したun poco agitatoが、「さようなら」ではモルト・アジタートmolto agitato(もっと激して)となって再び現れていますね。
藤田:やはり。関連性はもはや否定できないですね。明らかにこの「狩猟」の中でのイ短調ドレンテは異質なんですよ。これは、回想です。まさに、失われた時を描いているんです。
広報:え、でも、9番「狩猟」の方が12番「さようなら」よりも先に登場する曲ですよ?別れの予見、ということではなく、むしろ回想なんですか?
藤田:そこです。本当はもしかしたら、「狩猟」の中にこのdolenteの部分はなかったかもしれません。
広報・会長:ええっ!?
藤田:最初のページ、28小節目のすぐ後に、45小節目からの角笛のコーダがすぐに続いても違和感なく終われます。
広報:本当だ!むしろその方が、「狩猟」という曲の雰囲気としては自然な気すらします。13小節目ですでにハ短調への転調が置かれているわけだから、もうイ短調への転調は、構造的にはとくに求められていないはずです。
藤田:しかし、あえて登場したイ短調ドレンテは、あまりに突然で異質。
会長:ええ、すごく違和感があります。
藤田:これは明らかに書き足した可能性が強い。恐らくは、後の「さようなら」で、語り尽くせなかった深い悲しみを、秘密の暗号のようにして、後からこの「狩猟」の中に挿入したのかもしれない。
広報:なんという重構造!!そして、それほどまでの深い悲しみとは!
藤田:このリピート記号も、本当に繰り返してくれというよりも、「ここに秘密のメッセージがあるんだよ」という視覚的な効果をねらったものに見えてくるよね。
広報:確かにそうですね。曲の流れからしても、繰り返す必要性はあまりないんじゃないかという気持ちになる。1回でも十分なインパクトだし。
会長:実際のピアノのお稽古だったら、繰り返しは省略というパターンは多いんじゃないかな。子供の頃、繰り返して弾いていた記憶はない。でも・・・今となっては、繰り返したい所ですね。
藤田:そしてこの「狩猟」のラドミラ(36小節目)、と「さようなら」のラドミラ(16小節目、36~39小節では繰り返し登場)がね・・・。
広報:本当だ~・・・明らかに関係性を示していましたね。なんかもう怖い。
会長:気持ち悪い・・・なんて、言っちゃいけない。
藤田:先読みになりますが、「さようなら」の類似箇所、ハ長調の部分(17~24小節目)は、逆にイ短調の暗さの中に投げ込まれた、明るい異質の音楽ですね。愛する人と別れる以前の日々を回想しているのです。むしろここは、短調で行くことはやっぱりできない。そこまではできないんですよ。
会長:ああ、深い!なんという深い悲しみ!
会長:これは学会発表並みの発見なのでは?!「狩猟」は、もともとはきっと、その前までの曲と同様に、短い半ページの曲だったんですね。
広報:実際弾いてしまえば、調性関係的には自然だし、曲にメリハリも付くので、結果的には曲としてなんとなく弾けてしまう。
会長:でも、解釈をしていくと、ここは本当にわかりにくかったところ。そしてさらに「さようなら」という曲の重要性も増しますね。
広報:全部で 25曲ですからほぼ中間に位置するのが「さようなら」です。この曲はキーとなる曲なのかもしれないね。この鼎談での検証はまだ先になりますが。
藤田:これまで検証を進めてきて感ずるに、どうやらこの25の練習曲は、1曲ずつだけを見ていたのでは、完結できない要素がありますね。「狩猟」というこの1曲だけでは見えてこないものは、一種の、隠された引用ですよね。フェデリコ・モンポウの作品に、ショパンの前奏曲のテーマを用いた変奏曲(「ショパンの主題による変奏曲」)があるんですが、あの作品でも途中にエヴォカシオンといのがあって、そこだけ幻想即興曲のテーマが突然ポッと現れるんですよね。つまり、「ぜんぜん関係ない」っていう断絶が感じられる、そうした亀裂をあえて置くことで、生まれてくるものがあるんですよね。その効果を、ここでも思い出します・・・。
広報:背中がぞくぞくする話です。ブルグが墓から蘇って後ろにいるような気がします。
会長:ブルグミュラーからの強烈なメッセージに、われわれは今気付き、受け取ってしまったのですね。彼が「さようなら」一曲だけでは語りきれなかったほどの心の痛みが、気付いてくれと言わんばかりに、この「狩猟」に込められていたんですね・・・(半泣)。
「狩猟」と「さようなら」の関係性が楽譜から浮き上がった瞬間、3人はほぼ同時に絶句した。文字には置ききれない驚愕、狼狽、そして共鳴を感じ取っていただきたい。ブルグミュラーの亡霊がささやくかのごとく、異質に配置されたその音楽から、彼の抱えきれなかった悲しみを、私たちは今受け取った。「さようなら」へとつづく次回の作品はTendre fleur「やさしい花」。ここでも3人はまた、作曲家の心の内へとさらに一歩を進めることになるのだった・・・。次回もお楽しみに。
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。