25曲を斬る!第06回 Progrès 進歩
♪ 第6曲目 Progrès 進歩:Youtube 演奏:友清祐子 ♪
広報:この曲は、「前進」という邦題を付けている版もたくさんありますね。
会長:このタイトル、どうにも前衛的な感じがします。5番までの曲とはテイストが違う。それを前衛と言っていいのかどうかはわかりませんが・・・。
藤田:「進歩」と言われても、まったく意味不明ですよね。「進歩」を曲のタイトルにしようっていうのが、まずよくわからない。
広報:原題のProgrèsっていった場合、どうですか?
藤田:まぁ単に、進むっていうことですね。非常に抽象的です。
広報:楽譜によっては、この曲の挿絵に宇宙の絵が描いてあるんですよね。宇宙服着たキャラクターが付いていたりとか。
藤田:宇宙・・・やっぱり抽象的。
広報:いわゆるピアノのお稽古的な解釈をしようと思えば、今まで1から5番までを通して、音階も弾けるようになったし、スタッカートもできるようになって、進歩してきたよ、さぁこの曲もやってごらん、みたいなのはありそうね。
藤田:一番まっとうな解釈ですかね。進歩というのを自分に引き付けて、自分の領域だけ、ピアノだけに関して捉えた場合ですね。
広報:そうです。しかしこの鼎談では、ひとつの曲に「世界の縮図」を見てしまうこともあります。今回はいかがでしょう。
藤田:あまりに抽象度が高すぎてね・・・。
広報:曲の内容を見てみると、出だしの右と左が三度で駆け上がる音型はすごく印象的なんですが、実は全体に4回しか出てきてないんですね。それよりもスラーとスタッカートによる音型の方が多い。後半のシンコペーションのリズムとかも特徴的。
会長:ここ、ちぐはぐになるんだよね。
藤田:手ごわいですね。しかし、解釈もなかなか足をつかませてくれない曲だな。
会長:私が常々この曲に感じてきたことを申し上げてもいいですか?
藤田・広報:ええ、どうぞ。
会長:1番の「すなおな心」から5番「無邪気」までは、ヨーロッパの香りが漂うなぁと思うんです。
藤田:そうですね。
会長:しかし、この「進歩」を聞いたとき、急に「アメリカが来たな!」という感じが。
藤田・広報:アメリカ!!
会長:すごく違和感を覚えたんですよね。「あれ、ブルグミュラーって、いつのどこの国の人だっけ?」と急にわからなくなったというか。
藤田:なるほど。ちょっとニューヨーク気取ってる感じ?
会長:当時のパリから見たアメリカの印象、とでも言おうか。曲が書かれたのは1851年。アメリカは、発展途上だったかな。
藤田:かなり力をつけて来ている頃じゃないですか?ドヴォルザークがアメリカにわたるころにはもう、アメリカが交響曲の主題にもなるくらいですから。
となると、この「進歩」という曲、資本主義的なにおいがしてきましたね。ベルトコンベアー的な感じとか。
会長:資本主義的!そうですね。これらのスタッカートの音型もマシーンのような感じで、スラーの音型も、まさにベルトコンベアーで運ばれていくような。その意味で、宇宙の絵を付けたくなるのもわかります。
藤田:ああ、NASA的なね。じゃあ、タイトルは「資本主義」ということで。
会長・広報:(爆笑)
藤田:この曲はとっかかりのないところが、とっかかりのようですね。これまでの曲は人間的な解釈ができたんですが、この曲はそういう余地がない。このシンコペーションも非常に人工的な感じがするんですよ。
会長:そうなんです。ですから、ここに気持ち寄り添うことができないんです。最後の小節のミミミミミとかなんて。
藤田:チャップリンの映画の《モダンタイムス》で、機械に挟まれて運ばれちゃうシーンのイメージ。機械がカチカチいって。それがここのシンコペーション。
広報:勝手に運ばれて行っちゃう感じ。
藤田:ヨーロッパの古い世界から見た新しい世界が、どう見えていたかって言う。その意味でのProgrès。そういう裏の意味がある。
会長:つまりこれは、資本主義の機械的な流れに対して警鐘を鳴らしている曲なのでは?!
藤田:そうかもしれない!いや、そうですよこの最後のシンコペーションの意味が今わかりました。ここは弾きにくいよね。違和感あるよね。おそらくアメリカ文化の中で育った若者にとっては、どうということもないのかもしれない。しかし、もっとこう、人間的な文化の中に育ったからには、どうしても違和感がある。つまり、進歩には違和感が伴うんだっていうことを示している。強烈な政治的主張ですよ、これは!
会長:すっごいメッセージがこめられてました(笑)。
藤田:一種の、裏側からのアンガージュなんです。
広報:これ、シニカルな曲だったんすね。
藤田:しかしだね、ブルグとしたら、ここに非常に機械的な曲を配置することで、むしろ「音楽というのはテクニックじゃないんだよ」ということを、裏側から提示してるんですよ。6番まで来て、「君ちょっと、鼻高くなってない?」みたいな。「テクニックだけで作っちゃうと、こうなっちゃうんだよ!」という。
広報:シンコペーションだって、こんなに弾きにくくなっちゃうんだよ!と。
藤田:それで、次の「清い流れ」に行くわけ。
広報:おお。よどみなく流れる「清い流れ」ね。
藤田:これはすごいよ。もう、構成美だよ。
広報:私は今日、反省することがたくさんあります。私はある意味「アメリカ文化」の中で育ちましたよ。資本主義の流れの中で、音楽だって某音楽教室でシステマティックに合理的に学びましたし。ですから、正直この「進歩」は好きな曲でした。弾いていて気持ちよかったし。シンコペーションだって、のりのりで弾いてました。でも今気付きました。いやぁ、危なかった(笑)。
藤田:よかった、気付いてくれて。
会長:広報は北海道育ちで、ある意味アメリカンな文化あるよね?開拓的な、フロンティアな土壌。
広報:そうね。疑問もたずに。
会長:私は埼玉ですから、埼玉からすると、この曲は突然の「アメリカ」なんですよ。
広報:黒船が来ましたか。
藤田:そうね、合理主義という名のアメリカがね。
会長:だから、気持ちより添えない曲だった。前の「無邪気」までは気持ちで歌えてたのに。
広報:そうか。私は大人になってから、この曲弾きにくくなったな。子供だと、それこそ無邪気に弾けた。でも大人になって、資本主義の怖さがわかったのかな。格差も味わってね。負ける気持ちとかも知るようになって、弾きにくくなったのね。
藤田:大人になってからのほうが弾きにくい、っていうのはあるね。
会長:そう考えると、邦題は「前進」よりも、「進歩」がいい感じします。
広報:「前進」だと、ムダにポジティヴな意味が入っちゃうものね。
藤田:うん、「進歩」の方が、深い。
広報:警鐘を鳴らす批判的な曲ですからね。
藤田:人工的な香りに満ちた曲ですからね。
会長:この曲、表情付けるの難しいかも。
藤田:無表情でいくしかない。無表情であることがこの曲の表情、みたいな。恐ろしいね。だって、歌が消えた曲ですよ?
会長:しかも、ブルグなんて歌わせてナンボっていう作曲家でしょう?彼の曲から歌が消えたっていうのは、これはもう大事件ですよ!よっぽどのことですよ!
藤田:いかばかりの傷の深さか。ブルグらしからぬ、っていうところが大きいね。だからむしろレッスンとかでも「ここはもっと歌って」とか、先生が楽譜に書き込んだりしちゃどうか、っていう。「歌っちゃダメ」って書かないと。
会長:ノン・カンタービレ。
広報:「今歌っちゃったでしょ。ダメよ、歌っちゃダメ。」そんな厳しいレッスン、むしろすごい。
藤田:それできたら、むしろすごい表現の幅が広がるでしょう。なんでもかんでも「歌って」ですから。突然「歌っちゃいけない」なんて言われたら、子供にとっては青天の霹靂でしょう!
広報:感情を押し殺すような、そういうコントロール力を鍛えられますよ。
藤田:いやぁ。そこまでやらせるか、ブルグ・・・。やはり、真の芸術家たろうとするならば、本当に信じたときにだけ、歌う。「今は歌えないんだ!」っていうことがないとだめ。
会長:その主張ができるって、大事なことですよね?
藤田:だから、ブルグもここで試してきてるね。歌わなきゃいけないんだと思っているところに、歌えないような曲を持ってくる。これすごい。
会長:ある意味賭けですよ。
藤田:その意味では、これは前衛的な曲ですよ。なんでも歌歌歌歌って言われているロマン派の時代にあって、抽象的なProgrès って。自分のロマン性をいかに剥ぎ取れるかっていう実験は、なかなかできないことですよ。自らが生まれ育った文化を、自らが否定してるわけ。これは、相当芯が強くないとできない。また、そうした歌の文化に相当強い愛がないと、できない。
会長:25曲の中でもやっぱり異質ですね。挑戦状のようなものですね。
まさかの挑戦状を受け取った。これまでの鼎談の中でももっとも過激(?)な議論となったこの「進歩」。その人工的な無表情の「表現」に、「今は歌えないんだ!」という強い意志をもって臨みたい。(広報)
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。