25曲を斬る!第04回 Petite reunion ~ 人生の縮図
♪ 第4曲目 Petite reunion 子供の集会:Youtube 演奏:友清祐子 ♪
会長:来ましたねー、「子供の集会」。好きなんですよ、非常に。
藤田:正直僕はね、この曲わからないところがあるんですよ。まず、原題のPetite reunionというのが、「子供の集会」なのかというのは、かなりひっかかりますよねぇ。
広報:ほう。どういう感じでしょうか。
藤田:reunionは、やはり「集会」になりますよね。ま、パリ・コミューンとは恐らく関係はないと思いますけど。で、「子供の」という言葉はどこにもない。Petiteはただ「小さい」と言っているだけだから。
広報:そうですね。各社版のタイトルを見ますと、まだ「子供」の姿があちこちに見られますが、新しい音楽之友社や全音さんの版では「小さな」と訳していますね。
会長:この「子供の」としちゃったのは、なぜでしょうね。曲の印象、イメージでやっちゃったのかな。
広報:もしも、普通に「子供の集会」をフランス語で表したらどうなりますか?
藤田:Reunion des enfantsでしょうかね。
広報:なるほど、じゃあやっぱり「子供の」というdes enfantsは付けたいですよね。そしたらこの原題はやっぱり、単に規模の小さな集会みたいな感じになるんですね。
藤田:そうですね。ふつうに「小さな集会」ですから。アパートの住人が集まる、みたいなね、小さめの。
広報:え、これ、サロン?(笑)しかし昭和ピアノ少年少女は、どうも「子供の集会」という昔ながらの邦題が染み付いているところがありませんか?もう刷り込まれちゃってて、子供が出てきちゃって出てきちゃってしょうがない。
会長:そう、もう、子供がワラワラしてるよね。
藤田:うん。「子供の集会」というは、決して悪い訳じゃないと思うんですよ。曲の感じは、まぁガッサガッサいますわねぇ子供が。会長のこの曲はどういうイメージなんですか?
会長:そうですね、「学童保育」。
広報:(爆笑)
藤田:学童保育??すみません、何ですか?学童保育って?
会長:え、ご存知ないですか?
広報:私の育った小学校では、「今日、学童?」みたいに省略形で使ってましたよ、みんな。
藤田:えええ??そんなに共通用語??
会長:そうです。そうだと思ってました。ええと、「学童保育」とは、授業が終わったあとに、子供たちが家に帰らないで、ちょっと預けられる所。学校の付属施設であったり、近くの民間の施設であったり。
広報:われわれの世代(昭和49年生)って、まだお母さんが専業主婦っていうのが多かったけれど、いわゆる「共働き」の家庭のために子供が2時~4時くらいまで預かってもらえたんだよね。「ねーねー、今日放課後あいてる?」「あ、ダメ、今日、オレ学童だからさ」とか(使用例)。専業主婦の家の子にしてみれば、「学童」ってなんだかよくわからない秘密めいた組織に思えた。「学童」じゃない子は「学童」の敷地内では遊べないの。それはタブー、みたいな。
会長:ええ、ええ、そんな、イメージです(笑)。
藤田:ああー、なるほどね。要するに一種の秘密結社っぽい感じですね?となると、このイメージもだいぶ湧きますよ。でも秘密結社だと、ちょっと曲にブラックな匂いもしてくるね。冒頭の旋律が、呪文に聞こえてくる。で、右手の降りてくる和音がキャッキャッキャッキャッっていう笑い声、みたいな。ごめんなさいね、ちょっと怖い感じが・・・。
広報:あー、ちょっと、ベルリオーズ、入ってますね!(笑)
藤田:そう、幻想交響曲の終楽章「魔女の夜宴」ですか、みたいな。いや、ごめんなさい、これは冒涜ですね!これは、ブルグに即した解釈ではないです!この曲に沿ったテキスト解釈ではないです!
広報:いや、でもそれも面白いですよ。もともと見えないものが、変なイメージが横から入ると読めてきちゃう、みたいな。
藤田:ウンベルト・エーコが言うところの「テキストの解釈と利用の違い」、ですね。今のは「利用」ですから。ちゃんと「解釈」はしないと。
会長:なるほど。でもわかります、この曲の少しブラックな感じも。
広報:ええ。「学童保育」の子は、お母さんと会えるのがちょっとだけ遅くて、寂しくなる感じ、とか。
会長:まぁ私の感覚では、7小節目のテーマが始まるところで、やっと「学童保育」の敷地に入った感じがある。その前までは、「学童」の敷地に入る手前の道。
広報:あ、ちょっと切なくなってきた。前奏部分は、学校終わってみんなお家に向かって「バイバイ、バイバイ」(右手の3度)って帰っていくんだけど、「学童」の子は残らなきゃならないから。左手の子、「ソーラシドーミファソー、みんなばいばーい、オレ今から『学童』あっから―」って言ってるような。
藤田:かなしいねぇ!その解釈は悲しいわ!今その解釈聞いて、この曲の深い悲しみに気づきました!なるほどね。そりゃあ声も低めになっちゃって、左手も低音から始まるわけだ。これが1オクターブ上だったら、他の子と一緒に帰るんだけど。
広報:いや~会長、言い得て妙ですよ、この曲が「学童保育」というのは。
会長:やっぱりそうですか?
藤田:かつて僕はどうもこの曲、うまくイメージが湧かなくて苦手でしたけど、「学童保育」というタイトルが付き、「学童保育」の何たるかを知れば、かなり接近できます。実はタイトル、「学童保育」だったんじゃないの?
広報:「子供の集会」、まぁ大人目線のタイトルですよね。でも自分が子供のころ弾いてたときは、自分も子供なわけだから、「集会」というところにだけ意識があったようにも思うんです。夕方にピアノの練習をよくしてたんですけど、西日がちょうど差してくる。「集会」の中で、スポットライトを浴びてるような気分。感動的な意見をクラスの前で発表して、みんなが「賛成!」と声をあげてくれているような、かなり大規模な子供の集会のイメージもありました。
会長:ああそうか、右手の三度、2と4の指だけで駆け上がっていって、スフォルツァンド! っていうね。
広報:そうそう。ピアノのレッスンでも「『子供の集会』なんだから、右手と左手の掛け合いは、子供たちが意見を出し合ってるのよ」なんて習ったものでしたよね。学級会みたい。でも、もしPetiteが単に「小さな」という意味なら、特に大人目線というわけじゃなくなりますね。内から目線という感じにもなる。
藤田:そうですね。ただ、「小さな」という割には、けっこうたくさん人がいすぎる感じがします、さっきから。たぶんPetite reunionを文字通りにとれば、2,3人の会みたいな感じですけど、それよりは、もうちょっと過密。少なく見積もっても、15人は超えてる。
会長:あ~やっぱり「学童保育」規模だな(笑)
広報:「学童保育」は年齢縦割りですから、1年生から6年生までの子が一箇所に集うのよね。小さな子なんて大きな子に「意見」したって消されちゃうよね。
藤田:それが、19~21小節目の左手「♭ラーソ、♭ラーソ」だね!!ここは「えー・・・意見言えっていわれてもぉ」みたいな音型ですよ。
広報:ああ、いるんですよね必ず。そういう子も。
藤田:しかもこの音形、2回出てくるけど、右手の応答はなく、2回ともスルーされてる。さらに3回目の「♭ラーソ」が左手に出てきてもよかったんですよね。もう一オクターブ下で。和声的に問題はない。しかし、3回目はなかった!ということは、これはもう、かき消されたんですよ!!(声、裏返る)
会長・広報:おおお!!
藤田:でしょ?3回目の「♭ラーソ」、これは心の中でしか鳴っていない。しかも、作者の心の中でしか鳴っていない。 21~22小節目左手の休符、これを単なる休符だと思ったら、大間違いだ!!
会長・広報:爆笑
広報:はい、そうです。そのとおりです。
藤田:だから、ピアノの先生は、この左手休符のところにさらに低い「♭ラーソ」を書き込めばいいのです。そして「心の中でちゃんと鳴らしなさい」と。「そうすれば、右手もどう弾けばいいか、わかるでしょ」と。「わかんなかったら、『学童』に行ってきなさい!」と。
広報:(苦笑)・・・わたし、身につまされる思いです。どっちかというとガキ大将だったので、「みんなー、おいでよ、いくぞー!」とか威張って仕切ってたんです。でもその間に、「僕は~・・・」とか弱々しく言ってる子の意見をスルーしてたかもしれない。その子はもう一回「僕は~・・・」って言ったのに、「ほら、もう、みんな上っていくぞー」って・・・。
藤田:だから、今気づいて!!そういう子が過去にいたってことを、今気づいて欲しいの!!
広報:そうか!!!それはすみませんでしたっっ!!いや、でも、ガキ大将だって、20小節目で「あれ、今だれか何か言わなかった?レミファ~」って、1回聞き返してるよ。
会長:そうね、フォルテからピアノに落として。耳傾けてる感じがあるよね。
広報: でも、聞こえなかったんだね。「あ、気のせいか、じゃ、行こう!」ってなっちゃう。
藤田:それがね!!また悲しいよね!!どうせね、聞いてくれないんだったら、最初っから気にかけてくれないほうが、こっちはまだ救われるのに!
会長:逆にね、少し気にしてくれちゃった分、余計グッと心の内にくるんだよね!
藤田:「気にさせちゃった~(焦)!」みたいな。
会長:それはもう、音出ないわ!もう、もう、無理!!
藤田:無理!!無理!!で、休符。
広報:そうだったんだー!ごめーん!!今気づいた!!
会長:・・・いっやぁ・・・あるよね。でも、こういうことは、子供の世界だけのことじゃない。人が集えばこういうことは起きます。
藤田:そうですね。子供だけじゃない。
広報:あ。となるとこれは、普遍的な曲なんですね?
藤田:もう、世界の縮図だね。
広報:そうかぁ!!!縮図だったんですね?!
藤田:いやぁ、もうこれは、子供の曲としては弾けませんね。もはや。厳しい曲ですよ。ちゃんとここの19~22小節目だって、「消えるやつは、消えるんだ!」という厳しさをもって演奏しないと。優しさだけではダメです。
広報:ここで学ばなければなりませんね。人生を。
会長:そんな厳しい曲だったとは知りませんでした。
藤田:そりゃもう、2と4で指固めていかなきゃ無理だよね。人生渡っていけません。これは、人生の縮図です。
毎回のことながら、これほど楽曲について見方が展開するとは驚きである。一見これほど明るい曲に、秘められた人生の厳しさを見るとは思わなかった。21、22小節目の休符には今後、抑圧され、かき消された声を心のうちに感じ取りたいものだ。
※コンサートのお知らせ
ぶるぐ協会では、来る2009年9月23日に第二回目のコンサートを開催します。今回はC.L.ハノンの生誕190周年を記念し、おそらく今日ほとんど聞かれることのない彼の練習曲以外の作品をお楽しみいただきます。ブルグミュラー作品は12と18の練習曲、そしてバレエ音楽にもなっている「レーゲンスブルクの思い出」など。連弾あり、トークありの盛りだくさんの2時間です。
とき:2009年9月23日(水・祝)午後1:30会場 2:00開演
ところ:東京文化会館4階音楽資料室鑑賞室(JR上野駅公園口すぐ)
入場:無料 (お席に限りがございます。整理券予約はburgmuller25@gmail.comまで)
演奏:友清祐子・須藤英子
お話:飯田有抄(ぶるぐ協会広報)
企画構成:前島美保(ぶるぐ協会会長)
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。