25曲を斬る!第03回 Pastorale パストラル 愛と悲しみの牧歌
♪第3曲目 Pastrale パストラル YouTube 演奏 友清祐子♪
広報:さて、パストラルまたは「牧歌」、まいりましょう。実は私は、とくにこの曲に思い入れとか無かったんですけど、この前ぶるぐ協会で演奏会をやった際に(2009年3月)、ピアニストの人にこの曲では「ハイジになって下さい」と無茶なお願いをしてみたら、その一言に意外と効力があったらしく(笑)、急に最初の2小節の右手の旋律を一音一音歌ってくれるようになり、それからこの曲すごく好きになりました。
藤田:うん、なるほどね。確かに優美な曲ではありまさぁね。
会長:うん、最初の2小節、やっぱりここはいい。よく音が動いてます。
藤田:遠くの方から響いてくるような感じもしますね。ハイジだか、ペーターだか...すいません、よくわかりませんけれども(笑)。このタタタタタタタタタタタタ♪(すばやく1~2小節目を歌う)はどういう状況なんですかね。一音ずつ少しずつ視線をあげっていって、3小節目のタ~♪からは、山々が見えてくるような、そういう風にも感じます。
会長:ほんとだ。映像付けたいね。
藤田:で、そうすると、このタランっという前打音は、ちょっとこう、牛の鐘ですよ。
広報:あ~、カウベル、なるほど。
会長:ほぉぉぉ!牛。うんうん、絵が浮かびます。
広報:今ちょっと、中間部を見てたんですけど、「ラ~ ドミレシ~ レ♯ドレラ~ ドミレシ~」と来ます。で、次の・・・
藤田:そうっ!!
広報:「レミレ♯ド~」、左手「♭シシシラソ♯ファ~」のとこね。ここ、急に曲調変わって、どうかした?って訊いてやりたくなります。
会長:そう、よく考えたら、ここ何が起こったの?(笑)。
藤田:うん、この15小節目のCis(ドの♯)、何でコレ♯ついてるの?って感じだよね(笑)。「あれ?」みたいな、「あ、ゴメン、なんか気に障ること言っちゃった?」みたいな。
会長・広報:(笑)
藤田:ううむ。ここの和声、減七ですからねぇ(注:a-cis-c-g-bという属九の和音の根音省略型)。これ、強いですよ。ここは演奏上でも、ちょっと肝ですね。余裕と見せかけて、実は余裕のない感じ。
広報:見せかけておいて...どうしたんですかね。
藤田:牛がどうかしましたかね。
会長:心配です。
藤田:僕はこの、テヌートっていうのも気になりますよねぇ・・・(注:12小節目と14小節目のh。版によってはこのテヌートが無いものもある)。必ずしも長い音ではないじゃないですか。最初のテーマの3小節目のdなんかにもテヌートが付いていたらわかるんですが、そこには付いていないのに。
広報:うん、なんだろうね。
藤田:少しこう、内にこもった感じしますよね、このテヌートは。なんかちょっと、「思い出しちゃった...」的な。
会長:過去の暗い記憶をちょっと思い出しちゃったんですね?
藤田:やっぱりね、ベースに悲しみがあると思うんですよ、ブルグは。ベースの悲しみを全部、覆い隠すと、これになるんですよ、このテヌートに(声裏返る)!
会長・広報:おおお!
藤田:だけど、ちょっと気を抜くと、すぐ出ちゃうんだよ、悲しみは!それがこの15小節目のCis(ドの♯)なんですよ(楽譜をたたく)!テヌート・・・テヌート・・・ド♯―!!!みたいな!やっぱりこのCisは強い。ここはある種の高ぶりなんでしょう。
広報:(拍手)...すごい。この説、いただきます。
会長:なるほど、深い!テヌートはノーマークでした。版によってはないんだけれども(苦笑)。
広報:ああ、しかしもう私はテヌートなしには考えられなくなってしまいました。
藤田:でも、このテヌートの二つのhとCisは、長2度の関係じゃないですか。長2度だけの跳躍っていうのが、これまた慎ましいですよね。このCisの代わりに、もしオクターブ上で「♭シー!!」とか鳴らしてたら、それはもう、やりすぎだから。
会長:やりすぎやりすぎ!だって、そしたらもう牧歌じゃなくなっちゃう。戻れなくなっちゃう。まぁ長2度で、「あ」と思い直したように、戻っていくんですよ。それがいいんですよね。
広報:そっか。ブルグらしい。長2度で十分なんだね。
藤田:とはいえ、やっぱりここは表現としては、かなりキツい。減七の和音ですからね。
会長:減七っていうのは、やっぱり相当ですか?
藤田:(ため息まじりに)やっぱりそれはもう、調性音楽の中ではもう肝というか、かなり強い表現です。だってしかもここ、根音省略ですよ。属九和音の根音省略型ですよ!
会長:「ゲンシチワオン、コンオンショウリャク」、確かに並々ならない感じがします(笑)。
藤田:そうでしょ、根音省略、和声の記号書くときだって、横線入れるくらいの代物ですよ。
会長:ああ、確かに昔、和声学の先生から「こんなところでは使ってはいけない」などとよく注意されたものです、属九和音の根音省略。
広報:そうか、強い表現だけに、いたずらには使っちゃいけない...。
藤田:そう。強いだけに、飼いならすのは難しい和音。そんな強い和音をやっぱり抑えきれずに、ついぞ出してしまうあたりがブルグミュラー、生まれながらの音楽家ってやつですよ。
会長・広報:おおお!
藤田:そうですよ、こんなの意識的に使うようなものじゃないんですよ本当は!
広報:といいますと?
藤田:要するにね、減七の和音を用いると、システマティックにどんな調性にも転調できるじゃないですか。となると、リヒャルト・シュトラウスみたいな人間が「ほらどうよ、この減七から、ほらこんな転調、すごいだろー」みたいに使い出すんですよね。でもね、そういうんじゃ、だめなんですよ!そぉんなんじゃ!湧き上がって来た時にだけ、こうスッと使わないと。
広報:おお!必然ですね?!
藤田:そう、必然よ必然。だからね、深いよね、この15小節目もね。
広報:深く、そして強い。確かにブルグにしては、ここからテーマまで立て直すのに3小節を要して時間かかってますもんね。この3小節を経ないと、戻れない。
会長:それほどまでに、強い表現をもった曲だったとは!いやはや牧歌、恐るべし。
楽曲のポイントは、やはり出だしの2小節、そして減七の和声が現れる15小節目。それにしても、こんなにのんびりとして、おだやかな風景を漂わせる作品に、隠された悲しみとその開放を見出してしまうあたり、この鼎談ならではの顛末か。そんな意識であらためて弾いてみるのも、悪くはないだろう。
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。