特別番外編 祝!ハノン生誕190年記念 第01回
ハノンの肖像画
~はじめに~
このところ作曲家の記念年について話題になることが多いように感じます。2009年の今年、微妙に記念年にあたるのが、ブルグミュラーと同様、我々にとっておなじみのハノン(C. L. Hanon: 1819~1900)。当サイトでは、この完全ノーマーク(?)のハノン生誕190年を記念して、番外編の記事をお届けしたいと思います。(全3回)
第1回 日本における『ハノン』現象:嫌よ嫌よも好きのうち |
のっけから告白しますが、私は二十数年来、ハノンを、そして日本における『ハノンピアノ教本』(以下『ハノン』)受容を誤解し続けてきました。あの『ハノン』を、自分を含め、みな嫌いなのだとばかり思っていたのです。思い起こせば子供のころ、ピアノの練習の最初に『ハノン』のトンネルをくぐり抜けなければブルグミュラーは弾けない、とばかりにとり憑かれたように音階練習をしては、親から「早く・曲を弾いて」と言われたりしたもので、そんな一コマもどこかで遠因しているのかもしれません。高校時代にハノンの指示通り毎日1番から60番までさらっていた、なんて奇特な御方も存知あげてはおりますが(365日、『ハノン』を聞かされ続けた親御さんの心中は如何ばかりかとお察しいたします)、大概の場合、『ハノン』は嫌いな練習曲の代名詞だと今日まで認識して参りました。しかしながらよくよく振り返って考えてみると、嫌なら練習しなければよいものを、強迫にも似た力で我々をそこへと向かわせた『ハノン』には、ブルグミュラーとはほぼ真逆の魅力に包まれているのではないかとも思われてきたのです。無機質、機械的、同じパターンの繰り返しには、ストイックで変化に乏しいがゆえの恍惚感が漂います。ある種のミニマルな時空間が生まれ、結果として、我々は何ものからも解放されていたような気すらします。'究極的肉体の苦痛からくる精神的解放の極致'とでも言いましょうか。事実、そのことを自覚してか否か、『ハノン』を遮二無二弾きながら一日の出来事を振り返って内省したり、明日の予定をたてたり、これからの未来を夢想していたなんて経験を持つ人は案外多いのではないでしょうか。技術的レベルでの向上はもちろんですが、我々を「無」にし、リセットし、解き放ち、強力なベクトルでもって音楽へ集中させる装置(=精神修行・鍛錬)として『ハノン』が機能していたと、その存在意義を認めることはあながち不自然ではないように思われます。
このハノンの術中にはまってしまっているのでしょうか、我々は今なお『ハノン』から離れられずにいます。それは楽譜コーナーに佇めば一目瞭然。『ハノン』に依拠した練習曲は店頭に驚くほど並んでいます。『おとなのハノン』『こどものハノン』『はじめてのハノン』『よくばりハノン』等々。『たのしいハノン』『やさしいハノン』『あきない!ハノン』『コンパクト・ハノン』からは、『ハノン』それ自体はこれらタイトルとは正反対の性質のものだ(内実はどうであれ、少なくとも一般認識として)という印象を容易に与えますし、『コードで楽しむハノン』『ブルース・ハノン』『ぐるぐるハノン』『トンプソンのハノン』などは、『ハノン』を十二分に活用・応用した作品集と見えます。それだけではありません。『ベース・ハノン』「コントラバス・ハノン」など、その影響はピアノ以外の楽器にまで及んでいます。それだけハノンの曲集にそもそも汎用性が備わっていたということでありましょうが、しかし一方で、そろそろ『ハノン』から離れて全く新たな指の練習曲を作ってもよいような気もするのです。つまりは「嫌よ嫌よも好きのうち」。我々はあの手この手で『ハノン』を好きになろうとし断念してはまた向かう、ということを繰り返しています。結局のところ、気になって仕方のない存在なのだとも言えるでしょう。こうした現象に我々がブルグミュラーとはまた別の魅力で『ハノン』に惹かれている証をみても、それは決して見当外れではないのではないでしょうか。
次回は、人としてのハノンと『ハノン』以外の作品に触れます。
『ハノン』のいろいろ
写真一番上は、ご存知全音の『全訳ハノンピアノ教本』。一番下は、昭和21年10月に好樂社から出版された『ハノンピアノ教本』第一巻(全三巻のうち)。 |
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。