エッセイ:第01話 ブルグミュラーとの熱い再会
「もしブルグミュラーの25の練習曲の中で、どれか一曲しか弾いちゃダメっていわれたらどの曲をえらぶ?」
この質問は、ある日私の同僚である前島氏が、職場の食堂で、突如なにげなく、しかし大マジメな表情でたずねてきたものである。職場とはいえ、そこは会社ではない。都内の大学だ。仕事を終えて、私たちは学生のなかに混じってほっと一息ついたところだった。
「えっ!!ブルグミュラー?!25のって、あの練習曲だよねぇ?」
突然の質問に私は驚きながらも、遠い過去の記憶に思いを馳せた・・・。 ブルグミュラー。そうだ思い出した。あの青い表紙だ。ぼろぼろになるまで使い倒した「黄色いバイエル」。それを卒業したら、うやうやしく迎え入れることができたブルーの表紙。小学生のころはなんともそれがオトナっぽく見えたものだ。開けば一曲一曲にタイトルが付いている。「すなおな心」「アラベスク」・・・。「アラベスク」?小学生だけに意味はわからない。でも速くてかっこいい曲なのはよく知っている。隣のお姉さんがいつも練習していたし、「黄色いバイエル」のうしろの方にも載っていた。「やさしい花」・・・「タランテラ」・・・最後は「貴婦人の乗馬」かぁ、かっこいいなぁ!がんばって早く弾けるようになりたいな・・・!
私は前島氏からの質問を受けて、すっかり昭和ピアノ少女のノスタルジー世界にひきこまれていた。いかん、いかん、時はすでに20年は軽く越えていたのだった。そうだ、質問に答えねば。
「そうねぇ、一曲しかだなんて、かなり厳しい質問だけれど、私は『アベマリア』かな。」
「っく~っ!!そうくるかぁ!!私はね・・・」
前島氏はなぜか悔しそうな表情をうかべたあと、また大まじめな顔に戻って私の耳元でそっとささやいた。
「『子供の集会』だよ。」
さてそれからの一時間ほどは大変だった。私と前島氏はその場にピアノがないにもかかわらず、妄想の空中鍵盤でブルグミュラー25の練習曲をノリノリで弾きまくり歌いまくった。恐ろしいことに、ほぼすべての曲を覚えていた。あんな曲も、こんな曲も、次から次へと思い出しては歌った。のどはカラカラに枯れ、顔はすっかり高揚し、前島氏はまるでスポーツの後の心地よい疲労感のような空気を漂わせながらさらに続けた。
「いっや~・・・いい曲だったよね。全部。『さようなら』なんかは泣けるよね。あれはオトナの恋愛した人にしか、わかんないんじゃないの?」
「そうそう、あの前奏がね。ミ♯レミ レー(※3小節目)の、あのレーがなんかさぁ、恥ずかしいんだよね、あれ、4の指で弾きたいよ、絶対に!!途中のハ長調に転調したあそこ(17~24小節)、絶対思い出してるんだよね、楽しかったあの頃を・・・。時間の超越だよ。でも最後はイ短調で決然と別れを感受するという・・・。」
「でさ、『さようなら』で別れを痛感したあと、なんと『なぐさめ』がくるんだよ!泣けといわんばかりだよ、ブルグミュラー。やってくれるよなぁ・・・あの達観したようなハ長調・・・。ソレミレミレミレ・・・」
「だいたい『舟歌』なんてさぁ、憧れの変イ長調、当時びっくりだったでしょ、主音が♭なんて!でも前奏でまたしてもハ長調の主和音(※8小節目)いきなり鳴らしちゃうんだから、ブルグ様なんてことを!だよね・・・。そして、ドー♭ミーラーだよ(13~14小節目右手)。主和音第一転回形歌ってるだけなんだよ!笑っちゃう!だのになんですかっ、あの優しき哀愁は!」
こんな具合で、私と前島氏の会話は終わることを知らなかった。場所が大学の敷地内でなければ、完全に怪しいところだった。学内はいろんなところでいろんな音がしている。オペラアリアをまっとうに歌いながら廊下を歩く学生や、防音じゃない講義室のピアノで、渾身の熱演を繰り広げる学生もいる。だから我々がどんなに楽曲について熱っぽく語っていたとしてもそう浮きはしない。だがひとつ違うのは、歌っている内容だ。それがブルグミュラーなのだ。ショパンでもバルトークでもショスターコヴィチでもタケミツでもない。ブルグミュラーなのだ。おそらく、この学内にいる大半の学生の記憶では、少なくとも15年ほど眠っている名前だろう。
しかし気づけば私と前島氏の間では、そんな会話がその後何日にも渡って続くことになったのだ。あるときは仕事が終わった後のひとときに、あるときは上野公園を横断中に。そして事態はおそろしいことに展開していくのであった。そう。我々はそれこそ大マジメに「ブルグミュラー研究」に乗り出すことになるのである。 気付けば私は前島氏を「会長・・・」と呼んでいた。「ぶるぐ協会」誕生の瞬間である。 (第1話 おわり)
音楽ライター、翻訳家。1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同大学院音楽研究科修士課程修了。マッコーリー大学院翻訳通訳修了。ピティナ「みんなのブルグミュラー」連載中。