19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第8回:摸倣すべからざる天才、著述家としてのリスト

2016/10/03
フランツ・リスト
第8回:摸倣すべからざる天才、著述家としてのリスト

 教育者マルモンテルは、リストのような、独自の道を進む音楽家をどのように見たのでしょうか。彼は、彼が教育を受けてきたパリ音楽院の規範を基準としながら、リストという、当時の常識では捕らえ難い存在を評価しています。マルモンテルの基本的な見解は、彼の過剰な部分には目をつぶり、その強靭な創造的衝動によって、リストを天才的芸術家と位置づける、というものでした。最後の一段落で、著者は文筆家としての才能を評価しています。一方で、訳者は、リスト研究の専門家から、ドイツ語の文章は大変分かりにくい、という意見を耳にしたことがあります。

チェルニー 『半音階的大ギャロップを弾くリスト』(作者不詳、1843年、Gallicaより転載)

 こうした無謀なまでの打鍵を実践して見せることができるのは、ただリストだけである。甲高く、霧がかったようなざわめきの後に続いて、ペダルによる補強によって得られるあの響き、悩ましい嘆きに対置されたあの野生的なアクセント、どぎついコントラストを絶えず生み出すあの手法、 学校エコールのあらゆる原則を逸脱して追究されたあの効果。リストがこれほど変則的なシステムを適用することができるということは、尋常ならざるヴィルトゥオジティの証であるが、これを摸倣することは、著しく危険なことである。偉大なる芸術の進歩とは何の関係もない、これらの力技を摸倣することが、なおのこと不毛であるということを言い添えておく必要があるだろうか?あの晩、リストの演奏を聴きながら、私は大変華麗な技巧をもつピアニストに、恩寵による神の加護が存在するということを確信したが、かといって、その確信から、趣味の規則が改変されるべきだという帰結を導くことはしなかった。規則は不変なのだ。これらの規則の本質は、ピアノを虐待する、つまり、自分たちの馬を酷使するジョッキーのように、猛然とピアノを扱ったりすることにあるのではない。体力をすり減らすこの運動をして、成功する場合もあれば、失敗する場合もあるだろう。だが、失敗しようが成功しようが、これほど極端な体操には、正しいヴィルトゥオジティとの関連において、見るべきところがない。

 リストの如き例外的人物を前にして、生徒たちに「聴き、そして摸倣しなさい」などという凡庸な決まり文句を言うべきではない。生徒にはこういうべきだ。「聴き、そして称賛しなさい、力強い意思が成しうることを。見なさい、すばらし手段を用いてなされた練習によって得られた、驚くべき成果を。自在さと尋常ならざるエネルギーを伴う成果の数々を。だが、くれぐれも同じ道は歩まないように。」二、三名を除いて、全てのヴィルトゥオーソはリストをモデルとし、演奏の理想型とした。彼らはリストの美質をもじり、彼の欠点を誇張し、彼の常套手段を、強調しつつも歪めた。

 こうは言っても、公正に、熱くならずに、全く冷静にリストの驚くべき特徴を評価するには、道理に反した称賛的先入見をすっかり取り払わなくてはならない。熱狂的な信奉者たちは、新芸術の救世主だと宣言した。手厳しく、しばしば不公正な批評家たちは、彼のヴィルトゥオーソとしての驚異的な才能は否定せずに、彼に対して創意を認めず、彼をうぬぼれた、着想を見出すことのできない音楽家と位置づけた。敵も味方も、どちらも真実から外れている。リストは偉大な芸術家であり、豊かで力強い知性の持ち主であり、理想を愛し、理解し、芸術的崇高にたいへん強く憧れていた。だが、彼はいつでも、独創性という断固とした考えを持っていた。通用している形式に対する嫌悪、新しさへの情熱、エキセントリックなものへの愛が、本道から彼を逸らし、ごつごつした険しい道へと誘ったのだ。ある言語の天才の本分は、皆と同じように考え、話すということにあるのではなく、まさに新しく、独創的で、明確に表現された着想、つまり高貴で純粋な語彙に宿る 優雅さエレガンスにあるのだ。リストは、別の道を歩むことを欲したのだ。その結果として、相当数のバランスを欠く作品が生み出されたのだ。

 教養あり、博識で、数ヶ国語を操るリストは、ドイツ語、イタリア語、フランス語で類まれなほど優雅に文章を書いた。彼はドイツでゲーテとリヒャルト・ヴァーグナーについての書籍を出版したが、その中で、このもったいぶった文士は、熱烈な信念をこめて、音楽的信条を主張している。ドイツとフランスの専門紙は、リストを長らく共同執筆者に迎え、彼の手になる、音楽美学についての興味深い記事を刊行した。ショパンについての専門書は、一人の友人としての心情、詩人の心をもって書かれたすばらしい研究である。

  1. 正しいタイトルは《ある旅人のアルバム》である。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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