19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第3回:ヨーロッパに吹き荒れたリスト旋風

2016/09/16
フランツ・リスト
第3回:ヨーロッパに吹き荒れたリスト旋風

 1830年代から40年代にかけて、リストが、ヨーロッパ中に熱狂的なファンを生み出したことは、よく知られています。今回は、多くの女性をとりこにした「リスト・フィーバー」の様子が描かれます。第一段落では、少々回りくどい比喩を用いて、リストの女性関係に言及されます。第二段落は、リストが旅行先で巻き起こした熱狂が回想されます。

チェルニー リストの「リサイタル」(1840年頃)

 宗教心は遠のいていた。オペラ座の著名なヴィオラ奏者、友人のユラン1の如く、禁欲的に生きることを諦めたフランツ・リストは、それまで教会に足しげく通っていたのと同じくらい熱心に、社交界に身を投じた。ここから、我々は急ぎ足で、彼の内面生活の書を繰ることになる。彼は自ら、あの長きに亘る数々の愛情と、行きずりの関係――それらは彼の人生譚のプライベートな部分を含んでいる――を白昼の下に晒した。ただ、次のように述べておこう。リストは、いくらかの流星よろしく、ヨーロッパ中をさまよい走りまわる中で、一つならぬ衛星、一つならぬ地上の星をお供に導きいれた。それは光輝く行列をなしており、その中では小遊星が極めて明るく輝いている。詩人であり音楽家である彼の、豊かで力強い体質、彼の精神に宿る抗い難い魅力、途方もない名声の威光、彼を満たしていた名誉、彼の周囲に漂う追従の雰囲気、そして魅惑的で情熱的な彼の本性――こうしたものが、熱烈な愛情を彼にもたらし、彼の人生の幸運と不安定を同時に生み出したのである。彼は、華々しいとはいえ、小説じみたこの波瀾の人生――そこでは情熱的な動乱が非常に大きな部分を占めている――を描くこの肖像2の限られた額縁には、収まりきらない。これほど私的なベールをまくり上げるということは、いつでもデリケートなことだが、ただ、回想を記すというこの使命において、この大芸術家ならば、事実をよく承知した上で、次のことなら、必要な話題として採り上げるかもしれない。リストの名前と優れた才気をもつ女性の名前を関連付けるにとどめておこう。彼女は、現代文学の第一線で輝かしく、恒久的な地位を占めた女性、ダニエル・ステルン3である。

 1837年から1848年にかけて、リストは、絶えずヨーロッパ中を旅行して暮らした。ヴィーン、ロンドン、マドリード、モスクワ、ベルリン、ミラン、ローマ、パリ、コンスタンチノープル、リスボンを訪れ、主要諸都市に数ヶ月滞在し、いたるところで同じような熱狂を目の当たりにした。同時期にハンガリーに滞在していたルイ・エノー4は、熱狂に似た喝采を見たと私に証言した。狂喜の度合いたるやたいへんなものだったので、この著名な芸術家は、感激を吐露する人々から逃れるために、一体どこへ隠れたらよいやら分からなかった。旗、花束、使節団、演説、凱旋アーチ――この至上権力者に相応しい壮麗さに、何一つ欠けたものはなかった。リストは、20都市でこの人気を再び目の当たりにしたはずだ。いたるところで受ける、過剰な称賛の只中にあって、慢心に狂わされぬよう、彼は、真の心の強さ、つまり、しっかりとした自己制御が不可欠だった。

  1. クレティアン・ユランChretien Urhan(1790~1845)はフランスのヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者、作曲家。1804年ころパリに出て、パリ音楽院作曲科教授ジャン=フランソワ・ルジュールの家に住み込みで学びパリ音楽院では1811年から翌年までピエール・バイヨにヴァイオリンを師事。1816年から23年までオペラ座で主席ヴィオラ奏者、次いで第一ヴァイオリン、1825年にバイヨの後任として主席ヴァイオリン奏者となった。経験なクリスチャンだった彼はサン=ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストも務めていた。若きリストは、1827年、この教会の向かいに母と住んでおり、ユランの演奏を頻繁に聴いていた。アルカンはユランにヴァイオリンとピアノのための《大二重奏曲》作品21を献呈しており、二人のピアノの大家は、ユランを通して交友を始めたかもしれない。
  2. 本章のことを指す。
  3. ダニエル・ステルンDaniel Sternは、マリー・ダグー伯爵夫人(1805-1876)のペンネーム。高度な教養と知性をもつ彼女は、作家、ジャーナリストとして名を馳せていた。リストやヒラーなど、ピアニスト兼作曲家たちと親交をもった。夫人は離婚後、リストと内縁関係を築き、一男二女を設けた。このうち、次女のコジマはヴァーグナーと結婚する。
  4. ルイ・エノーLouis Énault(1824-1900)はフランスの小説家、ジャーナリスト。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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