19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第2回:俗世への回帰

2016/09/14
フランツ・リスト
第2回:俗世への回帰

 パリでの学習時代、10代半ばのリストは、パリ、ロンドンでピアニスト、作曲家として着実なキャリアを積み始めます。ロンドンから帰国してほどなく、父を亡くし、若くして宗教的瞑想の生活に入ります。この内省期間のエネルギーは1830年代半ば、一気に表面化し、私たちのイメージするあのヴィルトゥオーソ、リストが社交界に颯爽と姿を現しました。今回は、ロンドン旅行から、この「再デビュー」までが話題になります。

チェルニー 図 少年時代のリスト(A. ドゥヴェリアの画に基づくシャルル・モットのリトグラフ、フランス国立図書館、Gallicaより)

 その上、このピアニストの数々の勝利は、彼を酔わせるような性質を帯びおり、また彼はその音楽的素質によって、非常に強力な後援者を得、王立音楽アカデミー1 は、リストの一幕オペラ《愛の城》を1825年10月17日に上演した。聴衆はこの大胆なデビューを歓迎したが、玄人受けしただけだった。

 宗教的傾向は、この感受性豊かな精神の持ち主の中で、影響力を強め続けていた。輝かしいヴィルトゥオーゾは、しばらくの間、極端な信心に身をゆだねたが、彼の指導者[たる父]も、これを制することはできなかった。彼の父は、音楽的使命から彼を脱線させてしまうこの理念的傾向から、彼をむりやりに引き離すため、彼を三度目のイギリス旅行へと連れて行った。

 ロンドンから戻ると、リストは、父を失う悲しみを味わった。少々権威的だが献身的で、最初の教師だった父の監督姿勢は、愛情を注ぎ過ぎているという点――それは神童の父にはよくある性質だが――だけが欠点だった。これらの愛しい神童たちは、結局は、財産を成すための道具か、両膝をついて崇めるべき救世主かの、いずれかになった。リストは、早すぎる父の死を深く悲しみ、再び宗教的な思考を巡らせるようになった。この傾向は、時宜を得ていた。[当時、]布教団や大赦2がフランスを深く感動させていたのである。かくてリストは、数年間、仕事と宗教的実践に明け暮れつつ、歓迎してくれたエラール家が所有する館で、母と暮らした。彼のヴィルトゥオジティは、既に尋常ならざる水準に達し、内省的なこの時期、更なる力強さと並ぶものなき集中力、何でも大胆にやってのけるだけの、比類なきメカニスムを獲得した。彼にとって、もはや難しさというものは存在しなかった。恐らく、私の生徒で若いドイツ人のヴァイガント3と比類なき伴奏者ジュール・コーエン4を除いて、私はリストに比較しうる読譜者を見たことがない。

 疲労のせいか、思考の質が変わったためか、はたまた人間的情熱の時を告げる鐘がなったのか、1835年ころ、リストは神秘的な孤独を破り、再び戦闘的な社交界に足を踏み入れた。そこでは、真の勝利が、彼の再登場を歓迎した。ほどなくして、彼はスイスに遠出、というよりも、そこに長く滞在した。この巡礼の歳月がすべて、自然を観照することに捧げられたのか、また、この大芸術家が、他に音楽的霊感の源泉を見出さなかったのかは、知る由もなかったが、パリに戻ると、リストは一連のピアノ作品を出版し、これがセンセーションを巻き起こし、演奏会で多大な効果を生んだのだった。

  1. パリ・オペラ座のこと。
  2. 1826年、前年に国王の座についたシャルル10世によって出された大赦を指す。大赦は翌年にも延長された。
  3. ヴァイガントErmest-Georges-Henri-Cornelius Weigand (1844)は、ドイツのヴァイルブルク出身で、マルモンテルの門下で1862年に二等賞を獲得した。卒業後はケルン音楽院で教鞭をとった。
  4. 過去記事脚注1参照

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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