アレクサンドル・ゴリア 第1回:誕生からパリ音楽院入学まで
第1回:誕生からパリ音楽院入学まで
今回から、アレクサンド=エドゥアール・ゴリアの章を5回に分けてお届けします。ゴリアもまた、ルフェビュル=ヴェリーやマルモンテル、アルカンと同じ、ヅィメルマン教授の門下でした。初回は、誕生からパリ音楽院入学までを扱いますが、初期の経歴に先立って、マルモンテルは先天的な「天才」と「才能に恵まれた音楽家」の違を説明しています。マルモンテルは、1848年に教授になって間もなく、ドイツ・ロマン主義やフランス独特のスピリチュアリスム哲学の影響を受け、超越的な天才という概念をしばしば用いています。そして、そのような天才のワンランク下に、「天才ではないが優れた音楽家」というカテゴリーを設けました。ゴリアはこのカテゴリーに分類されています。それでも、マルモンテルは亡き友人を懐かしみ、またその才能を積極的に評価しています。
名声というものは、一つの一般的な分類であり、そこには一つ以上の等級が含まれている。つまり、一連のニュアンスと区別をすっかり含み込む、幅広い用語である。まず、純粋な天分、神与の才があり、これらが人を大家、創造家たらしめる。着想を抱くことにおいて、また、それらのイデーが纏う形式においては、独創性は、天分に似通ったものであり、やはり特別な美点である。歴史の中には、たくましい個性の持ち主が存在する。彼らは推進力と勢いよく羽ばたく力を宿し、完璧な勝利は手にしないまでも、既に拓かれた道から外れて彼らなりに克服し、創造せんとする意志を持っている。もっとも高い階級とは、天才と先駆者のそれである。想像力豊かで趣味が良いけれども、これといって際立った個性のない芸術家は、それほど少なくない。このような芸術家は第三のカテゴリーに属し、またもっとも数が多い。創造者たること、新しい道を拓くこと、そして[後に続く]全ての世代が辿ることとなる溝を掘ることは、ごくわずかな特権者たちにしか許されていない。一方で、天才的な個性は持ち合わせないが、健気で勤勉な人々は、自分たちの秘密の理想に相応しい手本を模倣するに留まっている。彼らは、その理想像に似せて自らを形づくり、その流派に編入され、その伝統を引き継ぎ、時には拡大する。彼らは継承者であって、剽窃家ではなく、第二流ではありながら、しばしばすばらしい才能に恵まれ、常に本物の美点を持っている。そのような芸術家がゴリアであった。魅力的なヴィルトゥオーソ、熟練の作曲家、想像力ある音楽家でありながら、彼の精神は、稀にしか大いなる芸術的着想に達することがなかった。彼には力強さも、そしておそらくは、創造欲もなかったとはいえ、少なくとも、彼は極めて巧みに、繊細に、完璧な見本とした巨匠の手法をものにする術を心得ていた。
ゴリア(アレクサンドル=エドゥアール)は、1823年1月21日、パリで誕生した。彼の家族や幼少期について、個別的な詳細は一切知られていない。唯一特筆すべき点は、彼が受けた教育の特別な性質ある。彼の資質はといえば、消極的で、全く情熱的なものではなかった。かよわく繊細な性格で、早熟で病的な感性に恵まれた多くの神童たちとは対照的に、ゴリアは快活な少年で、頬がふっくらし、丈夫で、気晴らしを好み、音楽の学習に抑えがたい魅力を感じてはいなかった。そのかわり、彼は非常に恵まれた才能を持っていた。流暢な演奏、尋常ならざる大きな手、指の柔軟さと本能的な敏捷さのお蔭で、申し分ないヴィルトゥオーソ・ピアニストとなり、音楽院に紹介された。1830年11月、8歳で我々[フランス]の国立大学校[(パリ国立音楽院)]に入学し、翌年、ローランのクラスからヅィメルマンのクラスに進んだ。並々ならぬ成長を遂げただけに、彼は、我々の師[ヅィメルマン]の愛情を受けた。ヅィメルマンは、子どもたちにたいへん好感を抱いており、古参の生徒たちの悩みの種である若いヴぃルトゥオーソの一団を、常時、自分のクラスに受け持っていたので、彼らは、こう悲鳴を上げずにはいられなかった。またしても神童が、我々の賞を持っていってしまう!と。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。