19世紀ピアニスト列伝

ルフェビュル=ヴェリー 第5回(最終回):家族愛と一家の不運

2016/08/15
ルフェビュル=ヴェリー
第5回:家族愛と一家の不運

 ルフェビュル=ヴェリーに対する音楽家の尊敬は、オルガン、作曲の技量ももとより、彼の人柄の良さにあったようです。第2段落では、お決まりの人相描写に続き、決して人をねたまず、家庭的なルフェビュル=ヴェリーの姿が描かれています。最後の段落では、再び、厳格な様式しか認めない「謹厳な」批評家に対する逆批判を展開し、ルフェビュル=ヴェリーの才能を弁護しています。

ド・モンジュルー夫人

サン=ロック教会のかつてのオルガニストは、ペール=ラシェーズ墓地で、ロッシーニの墓の近くに眠っている。無欲な心遣いから、学士院会員でシュヴァリエ章彫像家のバルタール1氏が、彼の想い出に建立した墓石は、健気な作曲家の、詩的で公正で洗練された才能にたいへん相応しいものである。この記念碑を建てるために、ルフェビュル=ヴェリーの友人と信奉者たちが音頭を取って始められた募金額は、7000フランを越えた。マドレーヌ寺院の助任司祭ラマズー神父と我らが高名な院長アンブロワーズ・トマは、二人で読み上げた弔辞の中で、宗教的哀惜と芸術的哀惜を重ね合わせた。彼らはこの弔辞で、豊かな想像力と霊感を受けた指でフランスの教会の天蓋の下でこだまの如く天なる調べを呼び出した、かのヴィルトゥオーゾ、かの作曲家の驚くべき才能の真価を認めた。

ルフェビュルの人相にはたいへん気品があった。ほっそり、くっきりとして、完全に均整のとれた顔立ちは、貴族の典型的な特徴を再現している。好ましい才能をもつ彼の愛らしい娘たちは、父が作曲した2台ピアノ用や連弾用の交響曲を演奏して、私たちを幾度となく魅了したが、彼女たちの顔の輪郭もまた、父と同じく理想的なまでに完璧なものだった。機知に富み、愛想が良く、愛情あふれるルフェビュル=ヴェリーは、どんな芸術家の幸福をも妬むことがなかった。彼はどれだけ成功を重ねても、無邪気で、気取ったりせず、彼が大黒柱だった愛すべき家族が晴れ晴れとして暮らすのを見るのを、嬉しく思っていた。ルフェビュルは、若くしてレジョン・ドヌール勲章とシャルル三世勲章を受けた。

この美しく溌剌とした家族は、絶えず悲しみに打たれた。結婚して間もない長女、二十歳の長男、そして彼の愛する妻であり、健気な芸術家でもあったルフェビュル夫人は、殆ど間をおかずに、我々の中にぽっかりと穴を残して去ったあの傑出した作曲家の後を追った。つまり、運と不運とが、すべて一体となって、ルフェビュル=ヴェリーの名に永遠の栄光をもたらしているのだ。一流のオルガニストたる彼は、作曲家としても、着想の魅力、気品、自然さを、好ましく、才気にとんだ学識に結び付けられる大家として、これからも認め続けられることだろう。彼はオベール[アドルフ・]アダンの流派に属している。いっそう狭い枠組みの中で、いっそう慎ましい着想の次元においてではあるにせよ、彼は、優美さ、才気、編曲に見られる工夫、和声の創意――これらはフランス音楽に妙味、意外性、精彩を添えるものだ――と不可分に結びついている。もしかすると、軽音楽の作曲家なのかもしれないが、彼は少なくとも、全く抽象的で、気取った、そしてしばしば危険ですらある理想の探究へと現代の流派を押し流してしまう、あの危うい流れのはるか外側にいるのだ!人は、彼の愛想がよいといって非難した。ならば我々は、彼が自然体であったことを称賛しよう。これはあくまで、音楽的悲愴や、全くの支離滅裂な言葉に対して言われるような、陳腐なお世辞ではない。

下図:ルフェビュル=ヴェリーの墓(ペール・ラシェーズ墓地) 下図:ルフェビュル=ヴェリーの墓(ペール・ラシェーズ墓地)
  1. 訳者注:Victor Baltard (1805-1874)。フランスの建築家。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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