ルフェビュル=ヴェリー第4回:作曲家としての業績と彼の最期
第4回:作曲家としての業績と彼の最期
今回は、ルフェビュル=ヴェリーの作品を概観します。サロン用の音楽から交響曲まで、非常に多岐に亘る創作を手がけているところを見ると、彼の創作の器の大きさが理解されます。彼がローマ賞コンクールを受けていたら必ず大賞を得ていただろう、という、マルモンテルの憶測もあながち外れていないかもしれません。今回は引用されておりませんが、ヴァイオリンまたはチェロとピアノのための《劇的大ソナタ》作品157は、2台ピアノのための《劇的二重奏曲》作品163、171、34曲からなる《現代のオルガニスト》とともに、彼の創作の最良の成果に数えられます。
ルフェビュル=ヴェリーが書いたピアノ用、オルガン用作品は、かなりの量にのぼる。若い寄宿生たちの悦楽となっているサロン用の小品のなかでも、記憶を頼りに、以下の曲を挙げよう。
《祈りの時》1、《修道院の鐘》2、《サロンの花》、《バイア湾》3、《セギディーユ》4、《軍隊の帰還》5、《狩り》6、《上番歩哨》7、《グラツィエッラの夢》8、《ナポリの風笛》9、《お告げの祈りの時》10、《ミツバチの祭り》11、《潟》12、《打ち捨てられた花》13、《おしゃべりする女たち》14、《ティターニア》15、《ピッフェラーリ》16。これらの軽い作品の一方で、メヌエットが一曲17、ポロネーズが一曲18、《アルミード》による演奏会用幻想曲19などがある。
3つの大規模な練習曲集(作品23はオベールに、作品24はケルビーニに献呈されている)は、想像力と学識を湛えた作品で、この作曲家の真価がはっきりと示されている。サロン用の練習曲や、ありとあらゆる性格的な標題を持つ風俗画風の小品に関して、これらは愛らしい着想を内包しており、若き大家のしなやかな才能を示し得るものだ。
流行したが、束の間の成功に終わった数々のオペラによる、たくさんの連弾用編曲は、注文に応じて書かれた曲である。そこには、速筆にもかかわらず、常に熟練した音楽家、審美眼を備えた人物の姿を見ることができる。さらに、特筆して称賛すべきは、4手用の《協奏の学校》20である。
交響的できわめて多様な様式によるこれら12曲を書いたセンスたるや、非の打ちどころがない。着想は気品を纏い、創意に富んだ作法とたいへん豊かな和声によって、いっそう引き立っている。無意味な継ぎはぎもなければ、役に立たない裏地とてない。等しく興味を引く二つのパートは、この上ないバランスで協奏する。それは、学識と才気(エスプリ)とが一体となった、一貫した対話であり、音楽による雑談である。さらに、二つの傑作を挙げよう。《交響曲》作品163、17121である。これらは、作曲者自身の手で、二台ピアノ四手用に編曲されている。これらは現代のピアニストには十分に知られていないとはいえ、今日の演奏会プログラムにもっと頻繁に登場して然るべき作品といえよう。
さらに、ルフェビュルは幾つもの傑出した作品を書いた。ピアノとオルガンのための協奏的ソナタ、四重奏、五重奏、コンセール・パドルーで演奏された管弦楽のための三つの交響曲22。教会用に書かれた幾つもの声楽作品としては、《アヴェ・マリア》23、《ピエ・イェズ》24、《アヴェ・ヴェルム》25が挙げられる。これらの作品の大部分は、その異論の余地なき音楽的価値にも拘わらず、未出版のままになっている。
このオルガニスト兼作曲家――彼はバッハの前奏曲に基づくグノーの《瞑想曲》を何度も、たいへん見事に演奏した――は、アダンの《クリスマス》26、ストラデッラのエール《マリア賛歌》27をもとにして、同じような性格の編曲をいくつも書いた。だが、グノーの作品が途方もない大成功を収めたために、あらゆる同種の模倣作品は、暗がりに置き去られた。
ルフェビュルは大オルガンとハルモニウムのための特別な教本28、ならびに教会用の多数の独立した器楽・声楽小品を、幾つも出版した。こうして要約するだけで、人としての熱意、作曲家としての豊かな想像力が窺われる。仕事が彼を幸せにしていたのだ。私は、彼が熱を出して活動していたこの時期、たびたび彼に会うことがあった。彼は、健康、若さ、家庭の喜びが与えてくれる、自信に満ちた平静を保って、何も気にせず暮らしていた。だが、既に彼は、病に蝕まれていたのだ...!興奮、夜更かし、仕事のために、肺の病が芽吹いていたのだ。
この病は、はじめ、オー・ボンヌ温泉の治療と南仏滞在によって退治されたが、ぶり返して更にひどくなった。どんな薬も、しつこい咳には効き目がなかった。作曲家の献身的な妻と友人たちは、もうどんな幻想も抱くことができなくなっていた。私は死の床にあるルフェビュル=ヴェリーに会った。彼の意識はしっかりしていたが、自身の容体を見誤ってはいなかった。私が、今度の回復を誓い、請合ったにも拘わらず。その時、彼の肺結核は末期を迎えていたのだ。それから数日後、12月31日、1869年にルフェビュル=ヴェリーは帰らぬ人となった。
- 前回連載記事脚注2参照。
- Idem, Le golfe de Baïa, tarentelle pour le piano op. 74, Paris, A. Grus, 1852, 13 p.
- Idem, Le golfe de Baïa, tarentelle pour ce piano op. 74, Paris, A. Grus, 1852, 13 p.
- 楽譜は確認できないが、Grus社から出版された。
- 「ルフェビュル=ヴェリー第2回」脚注4参照。
- 「ルフェビュル=ヴェリー第2回」脚注3参照。
- Idem, La garde montante, caprice de genre pour piano, op. 71, 9 p.
- 「ルフェビュル=ヴェリー第2回」脚注6参照。
- Idem,« N° 2 - Les Binioux de Naples », Impressions de voyage, 3 morceaux caractéristiques pour le piano op. 113-115, Paris : Heugel, 1857, 9 p.
- Idem, Heure de l’angélus, fantaisie pastorale pour piano op. 136, Paris, Heugel, 1860, 9 p.
- Idem, La Fête des abeilles, caprice pour piano op. 127, Paris, Heugel, 1858, 9 p.
- 「ルフェビュル=ヴェリー第2回」脚注5参照。
- このタイトルでの出版物は確認できないが、次の作品である可能性が高い。Idem, Délaissée ! rêverie pour piano, op. 116, Paris, A. Grus, 1857, 9 p.
- Idem,Les Babillardes, caprice pour piano op. 117, Paris, A. Grus, 1857, 9 p.
- Idem, Titania, fantaisie de concert pour piano, op. 170, Paris, l’auteur, 1866, 9 p.
- Idem, Les Pifferari, aubade italienne pour piano op. 98, Paris, A. Grus, 1856, 7 p.
- Idem, Menuet, pour piano op. 105, Paris, Grus, 1880, 7 p.
- Idem, Polonaise pour piano op. 106, Paris, A. Grus, 1856, 9 p.
- Idem, Armide de Gluck pour piano op. 139, Paris, Heugel, 1860. 次の2曲からなる。N° 1 - « Morceau de concert varié avec prélude » ; N° 2 - « Morceau de Salon ».
- 12曲からなる二台ピアノ曲集。Idem, École concertante du piano op. 85, Paris : Heugel, 1855.
- これらは《交響的二重奏Duo symphonique》というタイトルの下で発表された。
- 交響曲はいずれも未出版(フランス国立図書館Ms 6664)。第一番は1853年作曲、第3・4楽章は1874年にピアノ連弾用編曲が出版された。第二番は自筆譜所在不明、1856年、1857年にそれぞれ第3・4楽章のピアノ独奏版が出版された。第三番の楽譜に関する情報は確認されていない。
- Idem, Ave Maria. Duos et chœurs avec accompagnement d'orgue, Paris, Graff, 1870.
- Idem, Pie Jesu à 2 voix, Paris, Régnier-Canaux, 1866.
- このタイトルの作品は確認されていない。
- Idem, Célèbre Cantique de Noël d'Ad. Adam, transcrit pour piano, harmonium, violon ou violoncelle, Paris : A. Grus, 1859, 5 p.
- Idem, Air d'église, de Stradella. (1667) pour piano et violon solo ou violoncelle avec orgue, ad lib., Paris, Heugel, 1854.
- ハルモニウムのための教則本には次の2点がある。Idem, Méthode théorique et pratique pour l'orgue expressif suivie de plusieurs morceaux appropriés à toutes les ressources de l'instrument op. 9,Paris, Canaux et Nicou-Choron, 1841, 17 p. ; Idem, Méthode pour l’harmonium, Paris, S. Richault, 1845, 25 p. 大オルガンに関して、メソッドは確認することが出来なかったが、重要な教育的曲集として、《現代のオルガニスト》がある。Idem, L’Organiste moderne, Collection de morceaux d'orgue dans tous les genres, Paris, Richault, 1868. 卓越したオルガニスト兼作曲家としてのルフェビュル=ヴェリーの存在は、アルカンの創作意欲も刺激した。アルカンは彼に足鍵盤のための超絶的練習曲《ペダリエ又はピアノの為の12の練習曲》(1866刊)を献呈している。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。