19世紀ピアニスト列伝

ド・モンジュルー夫人 第2回:生活苦の中でも心は高く

2016/03/07
ド・モンジュルー夫人 第2回:生活苦の中でも心は高く

 フランス革命の混乱を逃れ、ドイツに移住したド・モンジュルー夫人。かつての貴族らしい生活から、質素で苦しい生活へと暮らしが激変します。それでも彼女は生来の気品、知性、寛容さを発揮して健気に行き続けました。第2、3段落では、ドイツで下宿した貧しいオルガニストの家でのエピソードが語られます。

ド・モンジュルー夫人

 この時期、ド・モンジュルー夫人はドイツに生活の拠点を置いていた。彼女1796年からベルリンにおいて、すでに教養の類稀なる美点、大家たちの様式に関する造詣をはっきりと示す一曲のソナタを出版していた。『芸術家の人生の素描集』と題する我々の亡き友エドゥアール・モネがポール・スミスという筆名で繊細に語った感動的な逸話は、当時まだエレーヌ・ド・ネルヴォードだったド・モンジュルー夫人の生活が苦しかったこの時代のことを扱っている。

 ド・ネルヴォード嬢はベルリンに行く前、ドイツの小さな町でシュラムという名のオルガニストの家にひっそりと身を寄せていたという。この勇敢な人物はこの移住者の身分、自身の下宿人の優れたヴィルトゥオジティを知らなかったが、彼女の知性、気品、好ましい人の良さを高く買っていた。それゆえ、彼はしまいに、彼女に自身の心配事や苦難を打ち明けるようになった。ひどい痛風に見舞われ、彼は直近の宗教儀式で自らオルガンを担当できる状態ではなかった。危険なライバルが彼の地位を切望していた。彼は自らの障害を告白しつつ全てを失ってしまうことを嘆いた。それでも関節硬直症になった指が再び使えるようにして欲しいという彼の望みを、天は聞き入れずにいた。

 しかしながら、神は心配されたその日に、「慈悲深き救いの貴婦人」ド・ネルヴォード嬢を彼の地位に付け、奇跡を起こした。粋な歴史家として振舞うエドゥアール・モネ1は、小説じみた言い回しでこの冒険譚を語り、実際にはなかったかもしれない生来の魅力をこの若きオルガニストに与えている。彼女が普段シュラムの演奏を聴いている人々に認められたのは、彼女の才能に備わった生来の優雅さと、慈善心に備わる寛大さ自体によるものだったのであり、それ以上のことではない。これは、恐らく次の小話から着想を得たのだろう。プラデール2夫妻は後に、道端で歌う人の窮状に心を打たれ、ある晩、大通りの真ん中で、彼の預金のためにと、彼に代わって演奏会を開いた。感嘆した聴衆は尋常ならざる素晴らしい収益でもって自身の熱狂を表した。私はこの冒険譚が本当にあったことだと断言する。それに、これは当時の寛容で少々劇場じみた風潮の中ではあることなのだ。

 だが、いっそう良い時代が亡命者たちに近づいていた。革命の動乱に続いて、総裁政府、すなわち、オベールが「共和制の管理者」と一言で定義した、あの祝祭と気晴らし好きの政府が来たのであった。ド・モンジュルー夫人は亡命者リストから除名され、フランスに戻ってピアノ教育に身を捧げたが、資金はもう取るに足らないほどしかなかった。彼女の音楽家としての才能、輝かしいヴィルトゥオジティ、上品さ、亡命者としての立場は、いずれも彼女が最初に経験した数々の困難を取り除き、活発な人生の長きに亘り、大変流行の教師となるのに貢献したのだった。

  1. エドゥアール・モネ:次の過去記事脚注17参照
  2. 次の過去記事脚注2参照

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

【GoogleAdsense】
ホーム > 19世紀ピアニスト列伝 > > ド・モンジュルー夫人...