19世紀ピアニスト列伝

ルイ・アダン 第3回:弟子たちとアダンの業績

2015/12/21
ルイ・アダン 第3回:弟子たちとアダンの業績

ルイ・アダンは多くの教育者を育てました。第一段落では、カルクブレンナー、マサール夫人を筆頭とするフランス・ピアノ教育の功労者たちの名前が列挙されます。第二段落では少し話題が逸れ、マルモンテルがこの著作を書いた当事のピアノ科の状況が報告され、ピアノ教育の普及が非常に進んだパリ音楽院ピアノ教育の様相が提示されます。第三段落でアダンの人柄、教育者としての評価についてマルモンテルの個人的な見解が述べられたのち、続く段落ではアダンの業績、とくに彼の《ピアノ・メソッド》の価値について語られます。

アダン

 ルイ・アダンの男子生徒にはカルクブレンナー1、ショリュー2、アンリ・ルモワーヌ3エロール4らが含まれ、女子生徒にはベック夫人、ルノー・ダラン夫人、ブレッソン夫人、コーシュ夫人5、デルサルト夫人、ヴィエルラング夫人、ヴァルテル夫人、マサール夫6人がいる。10年間私の生徒でもあったマサール夫人は今日、パリ音楽院でアンリ・エルツがたいへん見事に後任を務めたかのルイ・アダンのクラスを受け持っている7

 この点に関して、30年来、ピアノ教育にもたらされた相当な拡がりに注意を促しておこう。[音楽院の]教授数は留まることなく増加していった。現在、副次クラスの教官は次の通りである。女子クラスはルティ夫人8、シェネ夫人9、タルペ夫人10。男子クラスはドゥコンブ11、アンチオーム12。ピアノ上級クラス(男子)はローラン13の後任G. マチアス14、そして1848年に我が師ヅィメルマン15のクラスを引き継いだ私である。女子クラス(上級)はマサール夫人、フェリックス・ル・クーペ16、ドラボルド17各氏。合計10のピアノ・クラスがあり、うち5つが準備クラス、5つが上級クラスで、聴講生を含めないで150人の生徒が在籍している。声楽科学生と和声科学生の特別教育クラス18は廃止された。というのも、ピアニストによる和声・伴奏クラスと、数字付きバスと総譜伴奏19が出来ない学生のための和声のみのクラスが別々に存在しているからである。

 若い同僚に対して親切で世話好きなルイ・アダンは、同僚にとって有意義な機会を決して見逃すことはなかった。いくつかの状況下で、彼は私に善意と愛情を示してくれたが、それは私が彼の教育を受けていなかっただけに、なおさら称賛すべきことだった。だが、彼の生徒の復習教員としてしばしば推薦された私は、自ら彼の教育の高く重い価値を確かめることができた。

 もっとも長く痕跡をとどめ、あらゆる世代のピアニストたちにその思い出を蘇らせるルイ・アダンの作品は、異論の余地なく、音楽院のために書かれた理論的かつ実践的な大メソッド20である。この重要作は、非常に明快かつ完全な形でこの名教授の知識と経験を要約しており、約60年前に出版されたにも拘わらず、ピアノ教育に関するもっとも見事に整理された教程の一つである。生徒たちはそこに自らの学習を導かずにはおかない規則と助言、非常に多くのメカニスムの定型、難易度順に選ばれた大家の小品、のみならず、一般則と例外を提示する傑出した運指の規則を見出す。響き、表現、様式にもまた、非常に興味深い章が割り当てられている。こんにち[音楽雑誌]『[ル・]メネストレル』の出版社が版権を所有しているこのすばらしいメソッドを締めくくる数々のページは、ピアニスト、良き音楽家、和声家、伴奏家が持つべき知識に関する簡潔な要約に捧げられている。

 ルイ・アダンはまた、いくつものソナタを曲集として、あるいは個別の作品として書いた。これらの作品は秀でた仕事の一部をなしており、エマヌエル・バッハクレメンティドゥシークの特徴を備えている。[出版者]アシル・ルモワーヌ氏のカタログには、まだこれらの作品ならびに《ダゴベールの王》の人気のエールに基づく変奏曲21が残っている。この主題変奏はショリュー、エロルド、モシェレスの《月の光》に基づく変奏曲、そして《ああ、お母さん、貴方に申し上げます[きらきら星]》に基づくモーツァルトの有名な変奏曲に匹敵する人気を博した。

参考

アダンのピアノ・メソッドについては、訳者による次の連載記事も参考になります。
『ショパン時代のピアノ教育』「第02回 アダンの《音楽院ピアノ・メソッド》1:概要」

  1. カルクブレンナー:本連載の過去記事参照(第10章「フレデリック・カルクブレンナー」
  2. ショリューCharles-Martin CHAULIEU(1788~1849):パリ音楽院に学んだフランスのピアニスト兼作曲家、批評家。1805年にカテルが受け持つ和声のクラスで1等賞を得、翌年にアダンのクラスでピアノの1等賞を得た。1840年からはロンドンで活動。
  3. アンリ・ルモワーヌHenri LEMOINE(1786~1854)は現代まで続く老舗楽譜出版社ルモワーヌの家系に属するピアニスト兼作曲家。パリ音楽院教授レイハとルジュールに師事。1816年から1820年にかけて、アドルフ・アダンとショリューの手を借りて父の起した会社を継ぎ、音楽教材を中心に出版した。
  4. エロールLouis-Joseph-Ferdinand HEROLD(1791~1833):パリ出身のピアニスト兼作曲家。1806年にパリ音楽院に入学し、1810年にアダンのクラスで1等賞を得た。ピアノに留まらず、彼は音楽院でヴァイオリン、和声、作曲も学んだ。
  5. コーシュ夫人Marie-Anna COCHE(旧姓MAZELIN, 1811~1866):パリ音楽院でソルフェージュ(1826)、ピアノ(1829)、和声・伴奏(1828)クラスで1等賞得た。1829年から51年までパリ音楽院の女子クラスで教鞭を取った。夫はフルート予科の教授、ヴィクトール=ジャン=バティスト・コーシュ(1811~1866)。
  6. マサール夫人
  7. アンリ・エルツは、院長ケルビーニ引退後、オベールがその後任となる1842年に、アダンの引退によって空席となったピアノ科女子クラス教授任命された。1874年、その後を継いだのがマサール夫人である。
  8. ルティ夫人émilie-Charlotte RETY(旧姓LEROY, 1828~ ?):パリ音楽院出身のピアノ指導者。エルツのクラスで1845年に2等賞を獲得し、1867年から1888年まで、鍵盤楽器学習クラスの教授資格者として教えた。
  9. 原文ではMadame Chenéと記されているが、正しくはシェネ(Chéné)夫人である。シェネ夫人(Sophie-Louise-Charlotte Chéné, 旧姓Muller, 1847~1898)はパリ音楽院に学び、1866年にソルフェージュの一等メダル、1869年にピアノ科で1等賞を獲得し、鍵盤楽器学習クラスで教鞭をとった。
  10. タルペ夫人Aimée-Félicie TARPET(旧姓Leclercq, 1839~ ?):彼女はソルフェージュ科(1855)、ピアノ科(1858)、和声・実践伴奏科(1861)で1等賞を獲得し、鍵盤楽器学習クラスで教えた。
  11. ドゥコンブémile decombes(1829~1912): 1846年にピアノ科(ローラン教授のクラス)で1等賞を得、1875年から1899年まで鍵盤楽器学習クラスを受け持った。門下生にはラヴェル、レイナルド・アーン、コルトーらがいる。
  12. アンチオームEugène-Jean-Baptiste ANTHIOME(1836~ ?) : アンチオームはパリ音楽院に学び、和声・実践伴奏で第2次席(1856)、ローマ大賞の次席(1861)を獲得した。1863年から鍵盤楽器学習クラスの復習教員を務め、1888年からは教授資格者として同クラスの一つを受け持った。
  13. ローランAdolphe-François LAURENT(1796~1867):パリ音楽院ピアノ予科の担任として1828年から音楽院で教えていたローランは、1835年までピアノ予科の無給名誉教授、1835~1843年にかけて助教授、1844年からは正教授として任にあたった。1846年から初めて有給の正教授となった。門下にはドゥコンブ、マスネがいる。
  14. マチアスGeorges MATHIAS:ポーランド系フランス人のピアニスト兼作曲家、ピアノ教授。カルクブレンナーとショパンにピアノを師事し、パリ音楽院に対位法・フーガの第1次席(1847)、ローマ賞の第二グランプリの次席(1848)を獲得。1862年にロッシーニの後ろ盾を得てパリ音楽院教授となり、1887年まで男子クラスを受け持った。後の音楽院教授プーニョやイシドール・フィリップがいる。
  15. 過去の連載記事参照
  16. フェリックス・ル・クーペFélix Le COUPPEY?(1811~1887):日本では専ら教材《ラジリテ(敏捷さの練習曲)》で知られるが、ピアニスト兼作曲家、『ピアノの教育』に代表される著述家でもある。ル・クーペはパリ音楽院に学び、プラデール教授のクラスで1等賞(1825)、次いで和声・実践伴奏クラスでも1等賞(1828)を獲得した。1853年から1886年に亡くなるまで女子クラスを受け持つ。
  17. ドラボルド:過去の連載記事注6参照。
    このクラスは「鍵盤楽器学習étude de clavier」クラスと呼ばれ、専攻外の学生がピアノを学習する目的で設置されていた。
  18. このクラスは「鍵盤楽器学習étude de clavier」クラスと呼ばれ、専攻外の学生がピアノを学習する目的で設置されていた。
  19. 総譜伴奏:スコア・リーディングの事を指す。
  20. Jean-Louis ADAM, Méthode de piano du Conservatoire, adoptée pour servir à l’enseignement dans cet établissement, Paris, Imprimerie du Conservatoire de Musique, 1804.
  21. Jean-Louis ADAM, Air du Bon roi Dagobert avec douze variations précédé d'un prélude où [sic] introduction,Paris, Duhan, 1808.

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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