フェルディナント・ヒラー 第2回
パリに到着したヒラーは、作曲家・理論家のアレクサンドル=エティエンヌ・ショロン(1771-1834)が校長を務めていた宗教音楽学校で教職を得ましたが、それもつかの間、ヴィルトゥオーゾ兼管弦楽作曲家としての自立を目指します。最初の段落では、1830年と31年(ショパンがパリに到着した年)に彼の合唱、オーケストラ、室内楽作品が演奏されたことに言及されます。この時ヒラーは20歳になるかならない年若き青年でした。その若者が老練な大家でパリ音楽院院長ケルビーニの目を引いたということは、大変なことでした。
続く3つの段落では、ピアノから声楽やオーケストラの音色を引き出すヒラーの比類ない演奏の奥義について語られます。
ヒラーはショロンの学校でしばらく教鞭をとった。私は原則として生徒としてそこに入門するはずであった。しかし、作曲とヴィルトゥオジティの追究に没頭したために、彼はほんのわずかしかレッスンを行わなかった。そのために家族は、彼に自立を認め、彼はすっかり自由に活動できるようになった。1830年と1831年の2回の冬、彼は作曲家として頭角を現した。パリ音楽院の一連の演奏会と室内楽演奏会では、彼の2つの交響曲、2つの協奏曲、ゲーテの《ファウスト》への序曲、1曲の合唱、2つのピアノ四重奏が上演された。作曲家の強い衝動をはっきりと示すこれらの初期作品で、ヒラーはケルビーニの好感を勝ち取った。ケルビー二はめったにお世辞を言わない人だったが、その実直で公正かつ毅然とした精神と確かな判断力は大変大きな権威を持っていた。この時期から、ヒラーは、形式を愛する不屈の勤勉家に仲間入りした数少ない特権的な音楽家の一人として認められた。彼はかくしゃくたる老人になってもなお、彼だけしかそこに見分けることの出来ない誤りを楽譜から削除することに力を注いでいた。
一流の作曲家、博学の音楽家、ヒラーは、さらに、その師フンメルのように卓越したヴィルトゥオーゾ、雄大な様式を持つ即興演奏家である。ピアニストのうちで、かの美しく豊かで、深遠な響きを持つものは殆どいなかった。それはピアノを一つの歌う楽器へと変え、多様な音色を備えたミニチュアのオーケストラに変えるような響きなのだ。タッチに神経を行き届かせ、鋭い指さばきのもとで触覚から音を出すこと、これこそが、まさにピアノ演奏技法である。単純かつ合理的なこの奏法を用いた場合、不要な動きは排除され、タッチと響きのあらゆるニュアンスは手の圧力のみに委ねられる。ヒラーはそれを最高のレヴェルで有していたのである。柔軟で敏捷な彼の指は、鍵盤をこねるように弾き、従順で御しやすくあらゆる効果を生み出すのに適した鍵盤を作り出し、乱暴な打鍵や訳もなくピアノを虐げるエキセントリックなヴィルトゥオーゾの元気旺盛な体操は必要としない。それゆえにヒラーは、依然、クレメンティ、フンメル、クラマー、モシェレスのすばらしい流派の数少ない、そしてもっとも著名な代表者の一人であり続けている。この流派はクラヴサンとピアノの巨匠たちの様々な美点を凝縮させ、既に成し遂げられた進歩と、よく使われたことで慣用化されたあらゆる[演奏法の]改善を、見事な統合のうちにまとめ上げることが出来た。
私はロッシーニの内輪の夜会やサル・エラールとサル・プレイエルの招待演奏会でヒラーの演奏を何度となく聴いた。私はその見事な演奏、高貴で純真な様式を高く評価することができた。彼は完璧な機転で響きを制御し、フレーズの性格や織り重なる走句に応じて様々にタッチを変え、響きのよい効果や力強い効果を引き出し、精彩と活気をもたらす術(すべ)を心得えているのだ。彼は、声楽的な抑揚をつけたりオーケストラの音色を引き出したりする、あの驚くべき技法を手中に収めていた。この技法は、管弦楽作曲家でもあるヴィルトゥオーゾにのみ属するものであり、彼らは専らピアノのためだけに書かれた作品を演奏するとき、絶えず声や楽器をほのめかす。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンのソナタは、その主だった効果と細部の随所に至るまでオーケストラを目指している。筆者の友人で生徒だった今は亡きジョルジュ・ビゼーは、フンメル、ヒラー、ショパンのようにピアノを弾いたが、彼の演奏にはあの完璧さの魅力と歌唱的技法に長けたヴィルトゥオーゾや巨匠たちに固有のあの機転が認められた。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。