カミーユ・スタマティ 第4回:演奏・作曲・教授―亡き母、妻、弟子たちともに
作曲家、演奏家、ピアノ教師として活動を始めたスタマティ。キリスト教者としての強い自覚と生活の実践から人間としても人々の尊敬を集めるようにあります。今回は、父の没後自分をフランスに連れてきてくれた母の死、つづく幸福な結婚と家族について語られます。スタマティの家族への愛は深く、彼の作品にも娘ナニーヌや息子エマニュエルの名前が登場します(文末の参考音源参照)。
彼は弟子にも同じような愛情を注いだことでしょう。サン=サーンスとゴットシャルク―19世紀後半を代表するこの2人のピアニスト兼作曲家は、子どもの頃にスタマティの指導を受けながら育ち、前者はフランス音楽の巨人として大成し、ゴットシャルクはヨーロッパ・北米・南米を股に掛けてピアノ音楽の普及に貢献します。そんな2人を指導したスタマティの指導力にマルモンテルは賛辞を惜しみません。
この時期から、毎年カミーユ・スタマティはピアノのための特別な作品を作曲し、自身の演奏会でそれらをお気に入りの大作曲家の作品と並べて演奏した。この若い教師を支持する多くの人がこれらのすばらしい音楽会に押しかけたが、それは彼を導く慈悲心に好感を抱くのと同じくらい、師の才能に好感を持っていたからであった。というのも、スタマティは自身の演奏会の大部分を、慈善活動、とりわけ彼が活動的で献身的な会員の一人だったサン・ヴァンサン・ド・ポール教会の慈善事業のために行ったからである。
1846年、スタマティは母を亡くし深い悲しみに暮れた。母に優しく敬意を忘れない息子だった彼は、この思いがけない死にひどく打ちひしがれた。しばらくの間、一切の芸術活動を放棄し、彼はローマに赴き、そこでまる一年を過ごした。世俗の喧騒から離れたこの内省の時期に彼は少々平穏を取り戻し、心にわずかな悲しみと懐古の情は残されたものの、後に家族の喜びがそれを和らげてくれた。
1848年、スタマティは愛らしく献身的な人生の伴侶と結ばれた。彼女は芸術家ではなかったが芸術に理解があり、芸術の上品な趣味を子供たちに伝えることができた。[娘の] ナニーヌ・スタマティ嬢の大変優美で繊細な才能はその魅力的な証である。
作曲家の名声は大きくなっていた。高い評判と非の打ち所なき信望によって、彼はレジョン・ドヌール勲章[の候補]に指名された。この高貴の証は1862年に授けられた。ピアニスト兼教師たちの授章が予定されるようになった。同じ年に私が同じ栄誉に浴し、1861年、ラヴィーナがシュヴァリエ章を授けられ、1863年には私の同僚で友人のフェリックス・ル・クーペに順番が回ってきた。
カミーユ・スタマティは様式を備えたピアニストではあったが、熱狂的で精彩に溢れ、輝かしい演奏をする超絶的なヴィルトゥオーソではなかった。彼は少々控えめな色調の中にカルクブレンナーの美質を余すところなく反映していたが、開けっぴろげの表現や喜ばしい大胆さ見せることは全くなかった。その代わり、作曲家としてのスタマティはカルクブレンナーの教えの最も権威ある代表者であった。機能性、指の独立、完璧なまでにむらのない演奏という点で、彼のメソッドの極めて完全な継承者であった。
大多数の傑出した芸術家たちが彼から、この良き楽派の伝統を受け継いだ。中でも二人の芸術家が他を凌駕している。それはゴットシャルクとサン=サーンスである。これらの著名な作曲家の教育を指導するすべを心得えていた教師は、極めて腕のいい教師の部類に入る。スタマティは自身の弟子たちに、各々の才能を特徴づける個性の印も持たせておくことができたということも付け加えよう。それは類まれな資質、つまり教授という職業の大いなる技術である。どれほど多くの教師が、自身の感情を弟子の感情とすりかえ、多少なりとも教師自身の才能そっくりの複製を作ってばかりいることだろう!
スタマティは2つの上流階級の街区サン=ジェルマンとサン=トノレに多くの顧客を抱えていた。人々は彼の芸術家としての知識と才能、教師としての慎ましさと毅然とした物腰、立派な紳士としての完璧な気品と模範的な生活を高く買っていた。スタマティは模範的な家族の主人であった。彼が広く共感を持たれるようになったのは、キリスト教のあらゆる義務を実践することで自らのカトリック信仰を誠実に表明したからであった。
この図はカミーユ・スタマティの子ども時代の幸福な一家を描いている。作者は『トルコ風呂』や『オダリスク』などの名画で知られるJ.-A. アングル。カミーユ・スタマティが幼年期をすごしたイタリア時代に書かれた。スタマティは着座の母に寄りかかる女の子のような少年。音楽の指導を受けた母の他界はスタマティを深く悲しませた。
(演奏 :染矢早裕子)
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。