19世紀ピアニスト列伝

フェルディナント・リース 第3回:高まる作曲家としての名声

2015/03/09
フェルディナント・リース
第3回:高まる作曲家としての名声

ベートーヴェンの下での勉強は、大陸全土を巻き込んだナポレオン戦争が激しさを増すなかで打ち切られ、リースは自ずと音楽家としての自立の道を歩み始めます。今回はやがてヨーロッパ中を駆け巡るようになるリースの出世時代についてです。

リース

それ[ベートーヴェンのもとでの学習]は独特で非常に親密でありながら非常につらいもので、愛情と荒々しさが交互に訪れた。この教育についてはリースとボンのヴェーゲラーが出版した伝記に、時に痛ましい詳細が綴られている。沈みがちで不機嫌、心配性で疑い深く、苦悩で苛立ち、家族の困惑の種で生来の人間嫌い、そんなベートーヴェンの気まぐれや奇癖は、彼の弟子からほとばしる優しさやその類稀な献身によって補正された。

和声の学習について、リースベートーヴェンの助言により著名な対位法作曲家アルブレヒツベルガーのもとでこれを継続した。

第一帝政の戦争の厳しい状況により、リースはドイツを離れロシアへ行くことを余儀なくされた。だが滞在場所を変える前に、彼は2年間(1807~1809年)をパリで過ごした。この時期に出版された高度な様式によるいくつもの作品によって芸術家サークルにおける彼の評価は高まり、彼は最も熟練した大家の中に列せられた。パリを離れると、彼は立て続けにカッセル、ハンブルク、コペンハーゲン、ストックホルム、サンクトペテルブルク、キエフ、リガ、ルヴェルを訪れ、チェロの旧師ロンベルクと協演した。二人の音楽家にとってロシアでの旅行は輝かしい成功の連続だった。だがロシアは戦争の打撃を被っており、リースは計画を変更して戦火に包まれた我々の大陸を離れイギリスに隠れ家を求めた。

今度は長びく滞在となった。リースはロンドンでたいへん美しい女性と結婚したが、私は後にパリのローゼンハインの自宅で彼女に会ったことがある。繊細で上品で芸術的な性格で、才気あふれるこの女性はまた、リースにとって献身的な伴侶であった。リースは10年間イギリスに留まり多くの演奏会を開きそれよりも多くのレッスンを行い、教師として人気を博すと同時に作曲家としても称賛の的となった。それは持続的でしかも実り多い一時期で、この時にリースは世に知られ財を成し、また確固たる名声を築いた。出発が彼を呼んでいた。彼はロンドンを離れ、家族を連れ立ってボンに近いゴーテスベルクの居心地良い所領に居を定め、そこであらゆる心配事から解放され作曲熱に身をゆだねることができた。

この隠居生活のなかで、リースは3幕のオペラ《山賊のフィアンセ》を書いてドイツで全くの成功を収めた。1831年、リースはロンドンとスコットランドを旅行しフェアリー・オペラ《リスカ》を上演し、複数の音楽祭の監督を務めた。ドイツに戻ると、イタリア旅行に乗り出した。彼はイタリア半島の全ての大都市を訪れ、その後はエクス=ラ=シャペルとフランクフルトを交互に行き来して居住した。エクス=ラ=シャペルの音楽祭でオーケストラと声楽の指揮を担ったリースはしばらくの間これらの役職に留まったが、結局は辞表を出して新たにブリュッセル、ロンドン、パリを旅行した。このロンドンで、彼は見事なオラトリオ《東方三博士の礼拝》を書き上げ、1839年にエクス=ラ=シャペルの音楽祭で自らの指揮で上演した。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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