フェルディナント・リース 第2回―ベートーヴェンのもとへ
第2回:ベートーヴェンのもとへ
フェルディナント・リースはケルン選帝侯の職務に携わる優れた音楽家の息子であった。まだごく幼いうちから、リースは音楽に対する際立った趣味と例外的な素質を示した。また5歳のときから彼の父は自らヴィルトルオーゾ教育を始めた。リースはチェロ、ピアノ、オルガン、ヴァイオリンを立て続けに学んだ。彼の初期の和声の学習に関して、彼は理論的、実践的な著作の読解と分析を通して殆ど独学でこれを行った。ついで、彼は、ハイドンの四重奏曲を総譜にするという創意ある発想を得た。この有益な訓練はこの大作曲家の着想を彼の脳裏に焼き付けた。さらに、絶え間ない、注意深くまた思慮深い読書が、この大家の巧緻さと技法を彼の中にしみこませ、この熟練の技の秘密を彼に授けた。1801年、リースは[ハイドンの]オラトリオ《天地創造》と《四季》をピアノ用に編曲したのち、ミュンヒェンを訪れ、そこで彼はしばらくの間ヴィンター1という作曲家のレッスンを受けた。ヴィンターは博識ではあるが独創性を欠き、そのオペラは急速に時代遅れになっていた。ヴィンターがパリで自作オペラ《カストール》をパリで上演しに行くためミュンヒェンを離れたとき、リースもまた出発したが、それはウィーンに行くためだった。
彼はベートーヴェン宛の推薦状を持っていたが、彼の父はベートーヴェンの幼馴染でなおも熱烈な支持者だったのだ。彼の目的は、それまで一貫性、計画性、しっかりとした指導なしに行ってきた自身の音楽教育を継続する、いや、むしろ基礎からやり直すことだった。大変好意的にベートーヴェンに迎えられたリースは、4年間、自身の庇護者[のベートーヴェン]と親密な関係の中で暮らしたが、ベートーヴェンは長く彼を引き留めお気に入りの生徒とし、頻繁で長期にわたるレッスンを認めた唯一の弟子とさえしたのだ。これらの助言や実例は一つとなってこの生徒の様式、趣味、熱望する心に急速に影響を及ぼした。ベートーヴェンの指導の下で、リースは卓越したヴィルトルオーゾになる運命にあった。人々は彼の熱っぽい演奏の中に、彼の師の色鮮やかな演奏、精彩、激情を再び見出した。ピアニストとして、リースはクレメンティの流派には属していなかった。彼は、ある種の大胆な和声、響きの効果、当世のロマン主義の知識を備えていたが、これらは、フィールドとクラーマーがその様式を継承した絶えざる中間色に彩られたレガート様式のあの[クレメンティの]流派と袂を分かつには十分な特徴である。ベートーヴェンの影響下で、リースの演奏は師ほどの権威を獲得こそしなかったものの、少なくともその演奏はエネルギッシュで際立ったコントラストを持つ趣味を示していた。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。