19世紀ピアニスト列伝

フェルディナント・リース 第1回―時の遠近法の中で浮かび上がるリースの個性

2015/02/17
フェルディナント・リース 第1回:
時の遠近法の中で浮かび上がるリースの個性

全30章からなる『著名なピアニストたち』は今回から第21章「フェルディナント・リース」にさしかかります。リース(1784~1838)はベートーヴェンの伝記に必ず登場する重要な人物です。ベートーヴェンと同郷で、この巨匠の14歳年下で音楽一家に生まれたリースは、家族の中でもとりわけ才能に恵まれた作曲家・ピアニストでした。ウィーンではベートーヴェンに師事したばかりでなく、彼の秘書としてコピスト(原稿を様々な要求に応じて浄書する人)を務めました。19世紀のパリではリースのピアノ協奏曲がよく知られており、パリ音楽院でも古典的な作品のモデルとして重視されました。
 今回訳出した3段落は文飾を駆使した文学的な文体で書かれているので少々分かりづらいかもしれませんが、要点はこうです。ベートーヴェンの後に来た作曲家とその作品は十分な時間な時間を経ないと正しく理解できない。リースの場合は死から40年あまりを経た今(この著作が書かれた1878年)、リースに固有の美点が明らかになる。それは「高貴さ」だ、ということです。

リース

完全な賞賛を即座に喚起せずにはおかない何名かの偉大な才人、不変の印象を残す幾らかの人相がある。その輝きは生前においてすら確固として永遠に向かい、後世の人々はその像に手を加えることはならず、歴史が既得の栄光を侵害することは一切ない。このような類まれな人相は別としても、芸術家の顔つき[正しく判断するに]は、芸術作品がそうであるように、時間的な距離感、遠近法、視点、時の試練が必要となる。

同時代人に対して判断を下すことはあまりに容易であると同時に危険すぎることでもある。この判断がはっきりとした影、光り輝くシルエット、批評の地平から切り離された逞しい横顔として無条件に認められない場合にはそうである。こうした例外がいわば必然的なものでなければ、忘却を免れることはできない。比較的中庸な人物たちは、まさに遠近法の中でひとつに交じり合い調和している。相反するさまざまな評価の中で揺れるこれらの人々は、この遠近法の中で彼らがいまだ知らなかったある種の平等な判断を受けている。極端な称賛は和らげられ、不当な批判は弱められる。それは全てが和らぐ穏やかな光なのだ。それゆえこのような芸術家とその作品は、それらがもつ関係性や血統、顛末を伴うことで、真実味を帯びた額縁の中に姿が浮かび上がってくる。根本にある諸原因―それらが影響を及ぼしているまさにその時代には、それらを把握することは非常に困難である―は、時と共に明らかにされる。名声の序列を上ろうが下りようが、この[時間を経なければその真価が分からないと言う]試練に置かれた芸術家は不平をもらすことにはならない。彼の思い出は最後には真の安定と確固たる最終的な居場所を見出すのだから。

我々にはフェルディナント・リースの時が到来したように思える。しばしば過度に大きく語られたり、また過度に小さく語られたりするこの人物を遠近法が正しい比率で縮小し、今や、彼についてはこの人物がごく芸術的中庸の慎ましやかな微光の中にいるというべきである。人々がとりわけ輝かしい事柄として彼に帰着させたことは、むしろベートーヴェンに属するものであったが、その[固有の]領域は容易に定めることができる。彼個人に属するもの、彼に固有のものが何に対応しているかといえば、それは純粋というほどは気高さのなく、傑出しているというほどは崇高でない霊感、天才の情熱と混同すべきではない信念の炎である。高貴な諸作品、こうしたものがリースの遺産である。高貴さこそが、彼の主たる特徴であり彼に相応しい賛辞である。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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