ヅィメルマン 第5回(最終回)─作曲家としての業績と最期
すでに述べたように、ヅィメルマンは相当数の生徒を抱えていたにもかかわらず、想像力ある作品に関心を持とうとしなかったわけではない。彼のオペラ《誘拐》は、1830年にサル・ヴァンタドゥールで上演され、プラデール夫人、フェレオル夫人、ショレ夫人が歌ったが、この作品には真の美しさが含まれていた。だが不幸にも、その台本が聴衆を遠ざけた。聴衆は作曲者の名前に喝采し、台本作者の名前にやじを飛ばしたのだ。
ヅィメルマンはさらにオーケストラ付きの荘厳ミサ曲2作を書き、オペラ《ノジカ》を自筆譜のまま残した1。対位法の大家にしてケルビーニ2の愛弟子、ヅィメルマンの学識は、室内楽作品、合唱、管弦楽法にその痕跡がとどめられている。ピアノ作品に関しては、流行のオペラの主題、人気のロマンスに基づく多数の変奏曲、ディヴェルティメント、ロンドがある。例えば、オベールのオペラ《エンマ》と《誓い》に基づく変奏曲とロンド《二人でいることが本当だったなら》、《手遅れ》、《ローズマリーのブーケ》、《ガスコンヌ》、変奏コントルダンス、マリー妃に捧げられた非常に旋律的な2つの練習曲集 [作品21]、カテル3に捧げられた一曲のすばらしいソナタ [作品5]、2曲のコンチェルト―第1番はケルビーニに献呈―、そして最後に『ピアニストの百科事典』[1840年出版] がある。その中でヅィメルマンがその長きに亘る経験の成果とヴィルトゥオーソと作曲家の音楽的規範を凝縮した。第2部は、和声教程、対位法、高等作曲法を含んでおり、このメソッド全体は、卓抜なヅィメルマンの教育の証をとどめている。
すでに述べたように、輝かしい経歴の只中、レジョン・ドヌール賞を受け惜しみなく栄誉を授けられた時代に、1848年にヅィメルマンは教育と教授職の戦闘的な生活から退いたが、音楽院を後にしてわずか5年、つまり1853年の11月までしか命脈を保つことはできなかった。
ヅィメルマンの顔立ちは愛想がよく柔和で、親切心が滲み出ていた。一点の曇りもない生き生きとした眼差しには、太い眉が影を落としていた。筋の通った鼻、微笑みを称えた口は、確固たる意志と類まれな観察力を明確に示す全体を作っていた。この人物は、卓抜な教師であると同時に、親身な友人でもあった。それだけに、彼の葬儀の日は、芸術界全体が哀悼に包まれた一日となった。私は今でも集まった群衆のことを思う。その深い悲しみは、ヅィメルマン一家と彼の著名な娘婿、グノーとデュビュフとともにあったのである。この葬儀の想い出はその才能と名声をヅィメルマンに負っている多くの芸術家の心に根強く残っている。何人かの人は、彼の先を行くか、あるいは恒久的に注意深く彼に従っている。今なお生き残っているその一団は、まばらではあるものの、常に勇敢な人々を含んでいる。C.-V. アルカンと弟のナポレオン・アルカン、ラヴィーナ、ジョゼフィーヌ・マルタンがそうである。私は、この一団に加わるであろう、たとえ頭数を揃えるために過ぎないとしても、そしてこの肖像に彼に相応しい性格、つまり敬虔な想い出、そしてあらん限りの敬意という性格を与えるために過ぎないにしても。
グノー:《瞑想曲》(のちに《アヴェ=マリア》として普及。このピアノ版はヅィメルマンの弟子ゴリアに献呈されたが、オリジナル(ピアノ、ヴァイオリン、任意でオルガン)はヅィメルマンに献呈された。
- このオペラは二度の部分的な試演が行われ上演が検討されたが、最終的に審査委員会は興業的な成功を見込めないと判断し、レパートリーには含まれなかった。
- ケルビーニ Luigi Cherubini (1760~1842)はイタリア出身のフランスの作曲家。厳格な様式による作曲にかけては当代一の権威であり、ヅィメルマンは学生時代にケルビーニに対位法と作曲を師事した。1822年からパリ音楽院院長となったケルビーニの音楽院運営の下で、ヅィメルマンは自身のクラスから他のピアノ科よりも多くの優秀成績修了者を輩出した。当時ヅィメルマンはケルビーニ門下の一番弟子として名高く、作曲教授の資格試験にも合格している。
- 過去の連載注3参照。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。