ヅィメルマン 第4回 ― 華麗な弟子たち
才気に富んだピアノ指導者であると同時に作曲教師でもあったヅィメルマンの門下からは19世紀パリの音楽シーンを彩った数々の才能が輩出されました。今回の記事からは、生徒たちの音楽的素養の深さ、ピアノ音楽にとどまらず、ヴィクトール・マッセやA.トマといったオペラ作曲家、ルフェビュール=ヴェリーやセザール・フランクといった名オルガニストにも及んでいることが分かります。
その伝統の厳格さは相対的なものであるとはいえ、それ以上揺ぎなく、また魅力的な伝統は存在しなかった。博識と繊細かつたいへん折衷的な趣味をもち、革新的な傾向に対しては敵意に基づく偏見を一切持たないヅィメルマンは本当に価値あるあらゆるであればどんな作品でも教えたが、その場合、作曲者の名前も、その曲がどの流派に由来するかも気にかけなかった。彼は、称賛に値するにもかかわらず顧みられない芸術家の名を明るみに出すことを、名誉にかけてしなければならないと考えていた。彼のクラスとサロンは、数多の名声のよりどころとなったのである。
Ch.-V. アルカン、マッセ1、シャルロ2、G. ビゼーは、ヅィメルマンから対位法と作曲のレッスンを受けた。ヅィメルマンの最もよくしられた弟子たちの中でも、さらに次の名前を挙げておこう:デジャゼ兄弟3、ルイ・ショレ4、コディーヌ兄弟5、フェシー6―彼らは雄雄しきピアニストであり、有能な作曲家である―グラツィアーニ7、オノレ8、ドゥマリー9、コリニョン10、それにショパンの作品を大変驚くべき奏法で弾いたアンブロワーズ・トマ11。プリューダン、ゴリア12、ルフェビュール13―彼らは3人とも若くしてこの世を去った。アンリ・ポティエ14、プティ15、ピッチーニ16、レキュルー17はエリート音楽家である。ラヴィーナは優美な作品を書く音楽家で、ルイ・ラコンブは、壮大な様式の作曲家でピアニストである。なんとなれば、ヅィメルマンの教育の伝統を継承する名誉にもっとも浴した人として、私自身を挙げることができる。私はとりわけ、ジョセフィーヌ・マルタン嬢18の名も特筆しておかねばならない。彼女はヅィメルマンの愛弟子であり、ヴィルトゥオーソとしての才能を磨いたばかりでなく、和声と作曲の指導にもあたった。ガンスルマン19、マリスコッティ20にかんして、彼らは同じくヅィメルマンの弟子であったし、両者とも私の弟子でもある。
- マッセVictor Massé(1822-1884):オペラ・コミックの作曲家として活躍したマッセは音楽院では傑出した秀才だった。39年にピアノ科で一等賞、40年に和声・伴奏科で一等賞、43年に対位法・フーガで一等賞、1844年にはオペラ作曲の登竜門ローマ賞でグランプリを獲得。オペラ座合唱団の指揮者、パリ音楽院作曲教授を歴任、1872年には学士院に入会を許された。
- シャルロJoseph-Auguste Charlot(1827-1871):シャルロもヅィメルマン門下から輩出されたローマ賞受賞者。ローマ賞に至る過程で輝かしい成績を収めた。38年にソルフェージュで一等賞、41年にピアノで一等賞、和声・伴奏で一等賞、50年にローマ賞グランプリ。
- デジャゼ兄弟Amédée Déjazet(1806-?), Jules Déjazet(1812-1846):2人は1830年代にピアノ演奏と作曲で頭角を現したヅィメルマン門下の逸材で、24年に兄弟で一等賞を得た。弟には30点余りのピアノ作品、ピアノ三重奏曲がある。
- ショレLouis-François Chollet(1815-1851):ショレはピアニストであり、また作曲においても力量を発揮した音楽家だった。27年にソルフェージュ科で一等賞、28年にピアノ科で一等賞、さらにオルガン科にも在籍し、33年に一等賞を得ている。ローマ賞も挑戦し、37年に二等賞という好成績を収めた。数は少ないが、ピアノ小品を残している。
- コディーヌAndré-Jules-Vincent Codine(1817-?):コディーヌに関しては1840年に二等賞を取ったという以上の成績はない。但しピアノ作曲家として活躍し、同時代の趣味に迎合しない超然とした態度で性格小品を書いた。
- フェシィAlexandre-Charles Fessy(1804-?):フェシィはヅィメルマン門下では初期に輝かしい才能を発揮した。1821年にピアノ科で、26年にオルガン科で一等賞を取った。職業としてはガルド・ナシォナルの第5憲兵隊の楽長、劇場指揮者を務めた。
- グラツィアーニLouis-Gaëtin-Marie Graziani(1816-1869):ブーローニュ出身の彼は32年にピアノ科で二等賞を取った他は際立った成績を収めていない。作曲家としては、サロン向けのロマンス、ピアノ編曲に身を投じた。
- オノレLéon Joseph Honnoré(1818-1874):オノレは35年にピアノ科で一等賞を得た才人だが、その作品は殆ど今日に伝わっていない。アルカンやアントン・ルービンシテインといったピアニストたちから献呈を受けている点、大変信頼を集めていた音楽家だったのではないかと推察される。
- ドゥマリー Guy-Félix Demarie(1819-?):1839年にピアノ科で一等賞。対位法・フーガのクラスにも在籍し、40年に次席を得ている。
- コリニョンFrançois-Michel-Gustave Collignon(1818-?):レンヌの生まれ。1837年にピアノ科で一等賞を得た生徒で、ピアノ作曲家、そして恐らく教師として生活した。
- トマAmbroise Thomas(1811-1896):後にオベールの後を襲い音楽院院長に就任するトマが優れたピアニストであったことは余り知られていない。彼は29年にピアノ科で一等賞を得て32年に和声・伴奏科、32年にローマ賞グランプリを得た。彼のピアノの技量のほどはマルモンテルが本分で述べている回想から理解される。
- ゴリアAlexandre-Édouard Goria(1823-1860)ゴリアは1820年代に生まれたヅィメルマンの生徒の中では最初に輝かしい成功を収めたヴィルトゥオーゾである。1835年に一等賞を取り、タールベルクの技法を体得して種々の練習曲、舞曲を書いて国際的な名声を確立したが、キャリアの只中、60年に病死しその才能は音楽家たちに惜しまれた。
- ルフェビュール=ヴェリーLéon-James-Alfred Lefébure(dit Lefébure=Wely )(1817-1869):彼は今日もカヴァイエ=コルが制作した近代的なオルガンのために多く作曲した近代フランス・オルガン楽派の立役者として作品が演奏される。1835年にピアノ科で一等賞、35年にオルガン科で一等賞を得た。オルガニストの息子で、若くして父の後を継いでパリのサン=ロック教会オルガにスト、マドレーヌ寺院オルガニスト、サン=シュルピスのオルガニストを務めた。創作という見地から見れば、彼はオルガン曲よりもピアノ曲の方を多く書いている。参考記事:『ピアノ・ブロッサム』より
- アンリ・ポティエHenri Potier(1816-1878):1831年に一等賞、32年に和声・伴奏クラスで一等賞、35年に対位法・フーガで佳作のタイトルを得ている。彼は卒業後オペラ=コミック座及びオペラ座のコレペティトゥールを歴任。音楽院では声楽の伴奏者、後には声楽教授の座を占めた。作曲家としても数々のオペラ=コミックを書いている。
- プティCharles-Auguste Petit(1818-?): アナトール・プティという名で活動した彼は1831年にソルフェージュ、36年にピアノ科で一等賞を得た。少数ではあるがピアノ曲を出版している。
- ピッチンニJules Piccinni(1809-?):ヅィメルマンの初期の生徒の一人で、1829年にピアノ科で一等賞を得、卒業後はオペラ座のコレペティトゥールを務めた。
- レキュルー Théodore-Marie Lécureux(1829-1891):レキュルーはヅィメルマンの後期の生徒で、卓越したヴィルトゥオーゾだった。47年にピアノ科で二等賞を得た後、幾つかの野心的な作品を出版、地元ブレストでピアノ教師をして生計を立てた。
- ジョゼフィーヌ・マルタンJosephine Martin:当時の音楽シーンで注目を集めたにもかかわらず、マルタン嬢については多くのことが不明である。リヨン出身の彼女はファランクやサルヴァディ夫人といった古典的な作品の演奏で名を成した女性ピアニストたちとは異なり、自らも技巧的な作品を書く作曲家だった。生涯未婚だったのか、彼女の名が言及されるときにはいつも「マドモワゼル」が付く。音楽院には在籍せず、ヅィメルマンの個人的な生徒だった。
- ガンスルマンJean-Louis Gunselmann(1828-1849):1843年にソルフェージュ、47年にピアノで一等賞をとったヅィメルマンの後期の生徒。
- マリスコッティAlfred-Louis-Sauveur Mariscotti(1827-82):46年にピアノで一等賞を得た。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。