モシェレス 第4回 ― あらゆる流派に精通した博識の作曲家
ピアニストと作曲家、学者の資質は19世紀にはしばしば一人の人格の中に集約されていました。ピアノに向かって古今の楽曲、あるいは自作から縦横無尽に例を引用し解説のできる大家―歴史への関心が高揚したこの時代、モシェレスの存在は音楽的教養の普及においても欠くことのできない存在でした。
モシェレスはピアノのエコールの古典的大家の中でも第一級の位置を占める。彼の作品に導入された様式、作曲手法、色彩ゆたかな和声、新しい諸要素は彼のライヴァルにして同時代人であるアンリ・エルツ、カルクブレンナーの作品に著しい影響を与えた。後者の大家カルクブレンナーはこの傑出したこの同僚を内心(in petto)、正当に評価していたが、しかし自身の個人的な美点を非常に強く意識していたので、モシェレスの想像力の豊かさ、練習曲、協奏曲の価値を認めるのは、彼にとって辛いことだった。だがアンリ・エルツは純粋に誠実で、フンメルとモシェレスがお気に入りの模範で、自分はこの模範に直接由来しているのだと何度も口にしていた。そして実際、モシェレスの地位はフンメルと並んで特筆される。大芸術家を形成する一門と教育の高度な美点は、この二人の才士の個性の相違にもかかわらず、同じものなのだ。
モシェレスの音楽的見識は極めて深く、あらゆる楽派を知り尽くしていた。彼は、どのような特徴によってその作曲家の技術の進歩と変化が様々な時期において目立っているのか、実例を引きながら学者然として証明することができた。彼はクラヴサンとピアノの大家たちの様々な作品に相応しい様式の美点を完璧なまでに我がものとする術を心得ていた。バッハ、ヘンデル、スカルラッティ、クレメンティ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、ウェーバーそして現代の作曲家たちは彼に対して何も隠しだてすることはできなかった。だが一方で、彼は非常に特徴的な自身の様式、すなわち力強さと気高さに溢れ、情熱的で色鮮やかで、神経質で劇的な様式を保持しており、そこにはしばしば大いなる霊感の息吹が通っていた。彼の見事な練習曲集、作品701、作品952、それから12の演奏会用練習曲集 作品1213、3つの素晴らしいカプリースである〈軽やかさ〉と〈力強さ〉作品504は作曲技術の模範であり、そこでは典型的な着想が大家のみが有する手腕で展開されている。
これらの楽曲はメカニスムと特別な難技巧という観点からすばらしい練習となるが、それらは音楽的な着想の選択、多様性と走句の構成、そしてその色調を際立たせ、それらの曲をエネルギッシュで表情豊かで劇的に彩っている点が非常に特徴的である。
- 《ピアノのための練習曲、あるいは様々な調性による一連の24曲を含む向上のレッスン》作品70(1827~1828)
- 《様式と華麗さを発展させるための新しい性格的大練習曲》作品95(1837)。作品95については過去の連載記事を参照。
- 作品121は実際にはチェロ・ソナタである。《4つの演奏会用練習曲集》作品111の誤認か。
- 作品50は第3曲から成る《3つのアッレーグリ・ブラヴーラ》で〈軽やかさ〉、〈力強さ〉、〈カプリース〉の3曲で構成される。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。