ジギスモント・タールベルク 第4回:幻想曲以外のジャンルでなお自由に羽ばたいた才能
タールベクルの作品の多くは、演奏会で劇的な効果を発揮するオペラや交響曲の主題に基づく幻想曲ですが、独自の主題による幻想曲以外の作品も多く書いています。複数の主題を巧みに変奏したり、独自のエピソードを挿入したりと構成力の試されるジャンルではありますが、タールベルクの作曲家としての才知はノクターンやバラードなど小中規模の作品、ソナタのような大規模作品で示されたのでした。本文の後半では、タールベルク流の手法を引き継いで独自の境地を拓いた名手と、タールベルクから離れて独自の表出的音楽に身を捧げたピアノ音楽の担い手たちについて触れられています。
タールベルクは、数多の幻想曲や編作とは別に、通常の彼の手法とはっきり異なる多くのオリジナル作品を書いているが、それらの作品において彼の着想はそれほど一様に明示されているわけではない。2つのカプリース 作品151, 192、[2つの]ノクターン 作品163、スケルツォ 作品314、アンダンテ 作品325、無言歌集 作品426、ポジリッポの夜会7、葬送行進曲8、舟歌9、タランテッラ10、バラード11、それに壮大で美しいソナタ12。これらの作品が証明しているのは、タールベルクが望めば、彼のヴィルトゥオーゾとしての見事な才能が大変に流行らせたお決まりの様式から自由になることができたということだ。これらの作品の読譜をすれば、タールベルクのなかに、既存の着想を上手にアレンジする編曲家のみを見る嫉妬深いライバルたちの批評に応えることになる。しかしながら、良い幻想曲というものについて書く事は容易なことではない。扱われる着想の選択、それらの連続性、配置、いくつかのモチーフに割り当てられた重要性、挿入楽節の面白み、様々な着想のあいだで諸々の発想を関連付ける手法、入念に調整された対比の効果、どんどんと注ぎ込まれる努力は、作曲家の側に少なからぬ機転、巧みな手腕、創意工夫を要するものである。
エドゥアール・ヴォルフ、デーラー、ヘンゼルト、プリューダン、コンツキ13、ゴリア14、ゴットシャルク15、ヤエル16、フマガッリ17、その他のヴィルトゥオーゾは、たいへん長いあいだタールベルクの歩んだ道を辿ったが、その成功はタールベルクと同様のものではなかった。同じ手法の濫用で、しまいには音楽的な耳はくたびれてしまった。趣味は変わり、流行はもはや30年前に聴衆を熱狂させたあの際限なき幻想曲には存在しない。プリューダンは自身のために、《草原》18、《森》19、《ナイアード》20など、生き生きとした風景[描写]の中で一つのジャンルを創り上げた。ヘラーは《孤独者の散歩》21、《眠れない夜》[参考音源参照]22、《ヴェネツィアの情景》23で、シューマンは多数の性格的でロマンチックな性格小品で、ビゼーは《ラインの歌》24中で、そして着想を効果よりも高く位置づける全ての作曲家はあの古びた紋切り型の表現を捨て去った。絵画的、模倣的、描写的な音楽は完全にかつての大仰なヴィルトゥオジティを廃れさせた。表出的な芸術、[音の]彩色法においては著しい進歩が見られる。だが、反対に独創的と自称するわりにはセンスや着想がからっぽで意味の通じない音楽のことばで書かれた小品に、なんとまあ滑稽味のあるタイトルや気取ったラベルが付けられていることだろう!
- Sigismond Thalberg, 1er Caprice pour le piano op. 15, E. Troupenas, 1836.
- Idem., 2e Caprice pour le piano op. 19, Paris, E. Troupenas, 1836.
- Idem., 2 nocturnes pour le piano op. 16, Paris, J. Meissonnier, 1836.
- Idem., Scherzo pour piano op. 31, Paris, M. Schlesinger, s.d.
- Idem., Andante pour piano op. 32, Paris, E. Troupenas, s.d.
- Idem., 6 Romances sans paroles pour piano, M. Schlesinger, 1843. 実際には作品番号なしで出版された。
- Idem., Les Soirées de Pausilippe, 24 Pensées musicales pour piano op. 75, Paris, Heugel, 1862.
- Idem., Marche funèbre variée pour le piano op. 59, Paris, E. Troupenas, 1845.
- Idem., Barcarolle op. 60, Paris, J. Meissonnier, 1845.
- Idem., Tarentelle op. 65, Lyon, Benacci et Peschier, 1844.
- Idem., Ballade op. 76, Paris, Heugel, 1862.
- Idem., Grande Sonate pour le piano en ut mineur op. 56, Paris, M. Schlesinger, s.d. Cotage M.S. 4090.
- コンツキ (1817-) Anton DE KONTSKI (1817-1899):ポーランド出身のピアニスト兼作曲家。クラクフの下級役人の家から出た5人の音楽兄弟・姉妹の第3子で、ワルシャワおn音楽高等学校以外に、ロシアでフィールドに個人指導を、ウィーンでゼヒターに作曲の個人指導を受けている。ポーランドからウィーンを経由してパリに来るが、これはショパンやエドゥアール・ヴォルフといった同郷人の辿った道筋と同じである。パリではタールベルクのレッスンを受けた。51年から53年はベルリンの宮廷ピアニストとして仕えたのち、54年からはサンクトペテルスブルクに移った。67年までこの年にとどまり、同地の音楽協会興隆に貢献、83年から96年は高齢にも拘らずアメリカを旅するという壮健ぶりだった。恐らくその帰路、明治28年には日本に立ち寄り、神戸の居留地劇場で演奏していることは、日本の洋楽受容史においても興味深い事実である。(Cf. 塩津 洋子 「明治期神戸のピアノ演奏記録」、『音楽研究』、大阪音楽大学音楽博物館年報、第26巻、2011年12月。
- ゴリア Alexandre-Edouard GORIA (1823-1860):フランスのピアニスト兼作曲家。1830年から36年までパリ音楽院に在籍し、ソルフェージュ、ピアノ、和声を履修。ピアノはヅィメルマンに師事し、35年に一等賞を得た。1854年にサン=ドニの女子教育機関、レジョン・ドヌール館の教授に任命され、教育に従事した。多数の練習曲、マズルカ、ノクターンなどの100点以上の性格小品を出版し、演奏家としては世紀後半のパリを代表する才人と目されたが、37歳の若さで没した。
- 過去の連載記事参照
- ヤエルAlfred Jaëll (1832-1882):イタリア生まれのオーストリアのピアニスト兼作曲家。ウィーンでチェルニーとモシェレスに師事。56年からハノーファーの宮廷ピアニストに任命された。66年にパリに移住し、パリ音楽院出身のピアニスト兼作曲家のマリー=クリスティーヌ(1846-1825)と結婚。欧米でその演奏は高く評価された。ことにリストは彼のショパン作品の演奏を高く評価している。
- フマガッリについては訳者による次の記事「19世紀前半のイタリアとピアニスト・コンポーザーたち 5」を参照。
- Émile Prudent, La Prairie 2e concerto pour piano et orchestre op. 48, Paris, Ledentu, 1856.
- Idem., Les Bois, chasse, Paris, Brandus, 1850.
- Idem., Les Naïades, caprice-étude op. 45, Paris, Ledentu, 1855.
- Heller, STEPHEN, Promenades d'un solitaire, 6 mélodies sans paroles pour piano op. 78, 2 vol., Paris, J. Maho, 1851. ; Nouvelle suite de Promenades d'un solitaire, Op. 80, 2 vol., Paris, J. Maho, 1852. ; Idem., 3e Suite de promenades d'un solitaire op. 89, Paris, J. Maho, 1857.
- Idem., Nuits blanches, 18 morceaux lyriques op. 82, Paris, J. Maho, 1853.
- 《イタリアの情景―幻想曲=タランテッラ》作品87の誤りか。Idem., Scènes italiennes, fantaisie-tarentelle op. 87, Paris, J. Maho, 1855.
- Georges Biezt, Chants du Rhin, Lieder pour piano, Paris, Heugel, 1866.
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。