ジギスモント・タールベルク 第3回:模倣されすぎた「模倣不可能」な芸術家
鍵盤の全音域をハープのように響かせながら中声部にくっきりと浮き出る旋律。タールベルクが示した新しいピアノ書法は、続く世代の典型的な表現手段として定着します。フランスではエミール・プリューダン(1817-1863)を筆頭に、タールベルクに続く若い音楽家が独自の領域を開拓していきます。しかし、あまりに模倣者が多く、タールベルクは作曲家としてよりも、「書法の発明者」としてしか認識されなくなり、その作曲家としての本領に目が向けられないことを著者マルモンテルは嘆いています。確かに、タールベルクのソナタやピアノ・トリオなどの大作には厳格さとスケール感を備えたタールベルク像を打ち出しています。
タールベルクの手法は―私はこう断言することを躊躇わないが―発明者の願望を超えて流派をなした。分散和音を使い濫用する大小の、巧みな、あるいは下手な模倣者たちは巨大な一団をなした。ピアノの中音域に旋律を置く配置法は新しい発見ではない。だがタールベルクに固有なもの、つまり彼によって見出され素晴らしい仕方で用いられたのは、次の点である。すなわち旋律を非常に浮き立たせて強調するために力の強い指[特に親指]を選んだこと、[旋律を] 両手に交互に割り振ったこと、そして節回しを変えることなく旋律に活気を与え、あらん限りの音域の中でピアノの音階を響かせる新しい形態をとる無数の走句を用いたことである。[だが] こうしたことは、作曲家としてタールベルクの卓越した美質の埒外にあることなのだ。作曲家という側面で彼は別格の創造者、流派の長、模倣不可能でありながらあまりに模倣されすぎた芸術家であり続けたのだ!
タールベルクはイタリアとフランスのオペラに基づく多数の幻想曲を書いた。もっとも人気の高いものは、次のオペラから主題をとったものである。『ストラニエーラ』1、『モーゼ』2、『ユグノー教徒』3、『湖上の美人』4、『悪魔ロベール』5、『ベアトリーチェ』6、『ノルマ』7、『ルクレツィア・ボルジア』8、『セヴィリアの理髪師』9、『夢遊病の女』10、『ポルティチの唖娘』11、更に『ドン・ジョヴァンニ』に基づく2つの幻想曲12、『ランメルモールのルチア』13の最後のアンダンテ[による作品]。筆者は多くの最良のものを書き飛ばしている。これらの重要な、非常に展開された編作に加えてタールベルクは極めて価値ある作品を出版した。それは『ピアノに応用された歌の技法』14である。この傑出したヴィルトゥオーゾは、声楽的な編曲を通して次のことを修得せんと願う全てのピアニストを教育すべく、細心の配慮を施した。あの[声楽]様式の美点、ゆったりとピアノを歌わせる手法、旋律と伴奏を様々な響きの中で、明快にはっきりと翻訳するために欠かせないあの豊かなアクセントと音色。この観点から、タールベルクは一線を画する完成の域に達し、『歌の技法』の傑出した教えの中でその秘訣を開示している。
12曲からなる演奏会用練習曲集とイ短調の練習曲 作品45は超絶的なヴィルトゥオジティの領域に所属する。これらの作品で、タールベルクは極めて無駄のない引き締まった様式の中でお気に入りの手法の創意を余すところなく実現した。大変に際立った特徴は認められない若書きの作品ではあるが、彼の協奏曲を黙って見過ごすわけにはいかない。タールベルクは2度、ロンドンとイタリアで舞台作品への取り組みを試みた。これらの2度の試みはいずれも不成功に終わった。―室内楽に関しては、我々は彼について次の一曲を知るのみである。ピアノ、ヴァイオリン、チェロの為の優れた三重奏曲 作品69。
- Fantaisie pour le piano forte, sur des motifs de l'opéra la Straniera de Bellini, op.9, Paris, A. Farrenc, s.d.
- Fantaisie pour le piano, sur des thèmes de l'opéra Moise de G. Rossini op.33, Paris, Troupenas, 1839.
- Fantaisie pour le piano sur des motifs de l'opéra les Huguenots de Meyerbeer, op. 20, Leipzig, Breitkopf et Härtel, 1857.
- Fantaisie pour le piano, sur des motifs de La Doma del Lago de Rossini, op. 40, Paris, M. Schlesinger, s.d.
- Robert le Diable de G. Meyerbeer, fantaisie pour piano op. 6, Paris, J. Meissonnier fils, 1867.
- Grand Fantaisie sur l'Opéra Beatrice di Tenda de Bellini op. 49.
- Grande fantaisie et variations sur des motifs de l´opéra Norma de Bellini, Vienne, T. Haslinger, 1834.
- Fantaisie sur l'opéra Lucrezia Borgia, de Donizetti, pour piano op. 50, Paris, B. Latte, ca 1837.
- Grande fantaisie pour le piano sur le Barbier de Séville, de G. Rossini op. 65, Paris, E. Troupenas, 1845
- Grand Caprice sur La Sonnambula de Bellini, op. 46.
- Fantaisie sur des motifs de l´opéra La muette de Portici d’Auber, op.52.
- Grande Fantaisie et variations pour le piano-forte sur deux motifs de l'opéra Don Juan de Mozart op. 14, Paris, A. Farrenc, ca 1835. ; Grande fantaisie pour le piano sur la sérénade et le menuet de Don Juan, op. 42, Paris, E. Troupenas, 1842.
- Andante final de Lucie de Lamermoor, varié pour piano op. 43, Paris, B. Latte, 1842
- L'Art du chant appliqué au piano, op. 70. 1re-4e séries, Paris : Heugel & Cie, 1853-1863.
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。