19世紀ピアニスト列伝

ルイス=モロー・ゴットシャルク 第5回 : 激動の人生の終焉と独自の音楽世界

2014/06/24
激動の人生の終焉と独自の音楽世界
ゴットシャルクのコンサートの告知
上図:最晩年、1869年10月5日に予定されたゴットシャルクのコンサートの告知。リオ・デ・ジャネイロでは巨大な音楽祭のディレクターとしても活躍した。オーケストラの編成は28台のピアノ、56人のピアニスト、112手、560の指、40のクラリネット、60のフルート、70のコルネットという「モンスターコンサート」が予定されたが、実際はそれよりも規模は小さかったという。

アメリカ大陸横断コンサートを敢行したのち、中米、南米におけるヨーロッパ音楽普及活動の中心的役割を担ったゴットシャルクは、長年たまった疲労が原因か、1869年、40歳の若さでこの世を去りました。著者マルモンテルは今回も、ゴットシャルクとショパンの気質の近さについて指摘します。40歳でなくなったゴットシャルクと39歳で没したショパン。喧騒の19世紀を生きるには、二人はあまりに過敏で繊細だったのでしょうか。

激動と身をすり減らすような活動で成りたつこの熱き生活は、青春の力をすっかり使い果たしてしまった。彼は黄熱に冒された。この恐ろしい病が、破滅の仕事を完成させた。ブラジルはリオ・デ・ジャネイロでのことだった。彼はそこで最初の災禍を被った。彼は戦いを望み、続けざまにコンサートと音楽祭を開催し、彼を賞賛する聴衆の喝采に興奮を掻き立てられた。[1869年]11月24日、彼は途方もない成功を手にした。26日、彼は精根付きていたが、二度目の演奏会を開こうと、大劇場に趣いた。だが、彼が美しい哀歌を引き始めた直後、「死が!」―彼は卒倒した。3週間後、彼は意識を失わないまま、彼と永遠とを分け隔てる時間を数えながら死んでいった。リオ・デ・ジャネイロの人々とすべての音楽協会が、遍く浸透した悲しみの只中で、立派な葬儀を挙げた。

ゴットシャルクの名は、彼の友人の思い出の中に生き続けるだろう。彼の作曲家としての仕事は彼をショパンに近い存在にしている。ヴィルトゥオーゾとしては、彼はリストタールベルクの中間に位置づけられる。彼はピアノから全く独特な響きの効果を得ていた。神経質になったり過度に繊細になったりする彼の演奏は、聴く者を驚かせ、魅了した。彼はたいへん巧みに、完璧な機転をきかせてペダルを用いたが、われわれの意見では、おそらく、ややウナ・コルダペダルを多用しすぎていた。細部にこだわる批評家たちは、彼が細やかな刺繍音、ピアノの非常に高い数オクターヴの音域で演奏される繊細なアラベスクを書いたことを非難した。この観察は正当なものではあるが、強調しなければならないのは、ゴットシャルクの多くの作品は、リズム、着想の性格から言って、電光の照射を思わせるいくつもの音の調和的な音階の中できらめく鋭い響きの効果に向いているということだ。

早世の予感にとりつかれたように作曲する、熱く激しい活動を展開したゴットシャルクは、僅かな年月の間に割合相当数の作品を出版した。それらは独創的で創意に富み、彫琢が施され、この芸術家の類まれな良心をはっきりと示す出来栄えを具えている。力強い音とタールベルクの流儀を目指す若き楽派の遍(あまね)き熱狂にもかかわらず、ゴットシャルクはアルペッジョの先入観1にほとんど全く追随することがなかった。この先入観は長いあいだ、その発明者[であるタールベルク]を疲れさせるほどに、まことの癖となっていた。ゴットシャルクはこの模倣熱を避け、自身の作品に詩的な夢想のあの全く特別な味わい、際立って独創的な個人的性格を保つすべを心得ていた。《イェルサレム》2、《ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン》3、《トロヴァトーレ》4に基づく大幻想曲はいくらかタールベルクの影響を浮き彫りにしているが、これは例外である。ゴットシャルクはもっともよく引き立たせたのは、もっぱら、自然な霊感、彼以前には不毛だった土地々々の思い出と印象、甘美な旋律、斬新なリズム。響きのよいざわめき、つまりこの芸術家によって豊かになった音楽の世界全体だった。

音源視聴コーナー
ゴットシャルク:《プエルト・リコの想い出》作品31(1853作曲)
演奏:ジーン・ベーレント

若きソプラノ歌手アデリーナ・パッティ(第3回参照)とその父とともにカリブ海のプエルト・リコにて休暇をとっていた53年末の作。

  1. ジギスモント・タールベルク(1812-1871)は鍵盤の幅広い音域でアルペッジョを響かせ、ピアノの中音域に旋律を置く書法をラディカルに発展させ、1830年代にピアノ音楽の革新をもたらした。この書法の影響は直ちに後続のピアニスト兼作曲家たちに及び、世紀中葉にはその新しさは失われていった。ピアノ曲事典作曲家解説の譜例参照。
  2. 《イェルサレム, ヴェルディのオペラ―ピアノの為の凱旋行進曲》作品13 Jerusalem, opéra de Verdi, fantaisie triomphale pour le piano op. 13, Paris, L. Escudier, 1856. 下の譜例は同曲におけるタールベルク風の書法の一例。左手の伴奏と右手のオクターヴの間を縫うように主旋律が左右の手で交互に演奏される。
    《イェルサレム, ヴェルディのオペラ―ピアノの為の凱旋行進曲》作品13 譜例
  3. 《ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン―演奏会用作品》作品41 God save The Queen, morceau de concert pour le piano. op. 41, Paris, L. Escudier, 1862. 「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はイギリスの有名な国民的アンセム。
  4. 《トロヴァトーレ―幻想曲》作品77 Il Trovatore, miserere pour piano op. 66, Paris, L. Escudier, 1866. 「トロヴァトーレ」はヴェルディのオペラ。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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