ヨハン・バプティスト・クラーマー 最終回:世代間のギャップを越えて守り続けた美学
J.B.クラーマー
同じ時代を生きていても、親子ほど歳が開けば物事の考え方は自然と異なってくるものです。19世紀前半、楽器としてのピアノ、演奏技法、演奏される場所が変わるにつれて、求める音や演奏についても、世代間で大きく好みが分かれました。大音量で聴き手を圧倒する若手、虚飾を嫌い静かな音と形式を守る18世紀生まれの音楽家。わけても繊細な18世紀世代のクラーマーは、19世紀も半ばを過ぎた晩年、若い世代が何を言おうとも、一つの美学を守り通しました。
クラーマーは、アンダンテの楽曲を演奏することにおいては群を抜いていたし、いかなるヴィルトゥオーゾも彼以上完璧かつ魅力的にモーツァルトのアダージョを弾くことは出来ないであろう。彼の演奏は、両手の驚くべき均質性と完全な指の独立という点で傑出していた。彼のフレージング、ピアノを歌わせる手法は、表現と自然さの見本であった。
1832年ころ、クラーマーはイギリスを離れパリに住んだ。それからブーローニュ=シュール=メールに定住し、そこで何年も過ごした。彼は音楽の潮流から外れて隠居生活を送り、ボエリー1、カルクブレンナー2、プレイエル3といった数名の親友だけを客人として迎えた。もし、それでも敬うべきピアノの「長老」を知りたがる一人の若い音楽家が思い切って彼の質素な室内に足を踏み入れ、彼に[自分の演奏についての]意見を求めたなら、彼は喜んで大胆さ、響きの質、自身の力を自慢する現代の演奏家たち、彼らの芸達者、しなやかさ、巧みな奇術について列挙し、こう口にするだろう。「こんな音楽は私の哀れな耳には音が大きすぎます、老いさらばえた私の指には大きすぎるのです。」しかし、現代のヴィルトゥオーゾの中で、バッハとヘンデルのフーガに遡るまでもなく、クレメンティとクラーマーの練習曲を望ましい完璧さで演奏できる人はどれほど少ないことだろう!
つまるところ、ピアノの音を微妙に変化させることに長けたクラーマーは、騒々しく騒ぎ立てるような流派に対しては、至極当然の反感を抱いていたのだ。判断において冷厳で控えめな彼は、流行のピアニストの才能とヴィルトゥオジティに対して意見を述べなければならない時には、こういう述べるにとどめた。「Z、Y、Z各氏はとても音が大きい、彼らの演奏は目が眩むようだ、彼らは向う見ずな大胆さで私を仰天させる。だが私には、もっと輝きの少ない響きを好むという弱点があるし、危険な跳躍や音楽の高度な体操は趣味ではありません。私は自分のピアノの平凡さの方を好むのです」。
我々はこの大家の理論を、諸手を挙げて分かち合う。超絶的なヴィルトゥオジティは不可欠な手段ではあるが、目指すべき目的ではない。真の規範は魅了し、感動させ、心を捉えることなのだ。[技巧上の]難しさにはそれなりの存在意義はあるが、それは副次的な地位に留まるべきであり、驚き―あるいは懸念―を引き起こす目的で第一線に位置づけられるべきではないのだ。
J.-B.クラーマーの人相には冷たく厳格な側面があった。面長の顔、整った顔立ち、引き締まってしっかりとした眼差しは、それは非の打ちどころのない身なり、すぐれてきちんとした振る舞い、作法通りの、しかし少し杓子定規な、全き紳士の物腰と調和して、全体として、非常に上品なタイプの人間を形作っていた。クラーマーは、パリとブーローニュ=シュール=メールに何年か滞在したのち、第二の祖国、愛しきイギリスに戻った。彼はこの国に対し深い信仰心と熱烈な愛国心をもっていた。この地で、彼はロンドン近郊にて84歳で他界した。クレメンティと同様、矍鑠(かくしゃく)たる老年、見事な演奏の質を失わないままに。
- ボエリーAlexandre-François-Pierre BOËLY (1785-1858) : フランスのピアニスト、オルガニスト、ヴィオラ奏者、作曲家。ヴェルサイユの宮廷音楽家の家に生まれ、1796年、創立間もないパリ音楽院に入学、ヴァイオリンとピアノを学ぶ。作曲は公的な機関では学ばなかったが、ピアノ、オルガン、室内楽、ミサ曲、歌曲など多くの分野で質の高い作品を書いている。
- 『ショパン時代のピアノ教育』第7回参照。
- オーストリア出身で、パリで活躍した作曲家、出版者、楽器製造者のイグナース=ジョゼフ・プレイエルは31年に亡くなっているので、恐らくプレイエル社二代目のカミーユ・プレイエル(1788-1855)のことであろう。カミーユ・プレイエルはカルクブレンナーを共同経営者に迎え、会社の隆興に大きく寄与した。クラーマーもプレイエル社とは長年の交流があったはずである。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。