19世紀ピアニスト列伝

シャルル=ヴァランタン・アルカン 第3回:作品概観

2014/04/14
シャルル=ヴァランタン・アルカン
シャルル=ヴァランタン・アルカン
作品概観

伝統的な形式の均整を意図的に破り、曲を肥大化させるアルカン独自の楽曲構築の手法は、著者マルモンテルを困惑させました。一方向的な展開を見せるというよりは、特定の楽想を様々な演奏技法を駆使して変容させたり、突然それまでとは関係のない新しい楽想を挟んだりする彼の作品は、伝統を尊重しつつも前人未到の境地を一人踏破しようとする不屈の人、アルカンの意志の現れと言えるかもしれません。

しかしながら、すでに述べたように、[彼の作品に]批評を加えるべく括弧を開いて、次のことを認めるべきである。ヴァランタン・アルカンの多数の重要な諸作品において、多くの小品やソナタ、コンチェルトにもたらされたあの尋常ならざる展開を再び議論の俎上に載せるは可能だ。これらの作品で、この大家は、長い即興にまかせて自身の思考をぼかすのを楽しんだ。我々は次のことを認める。それは、あらゆる[音の]組み合わせが創意工夫に富んだものであるにもかかわらず、二次的な着想が占める極端な割合も、新しい効果を見せることなく結びを延々と引き伸ばす、折り重なった楽節も、我々には理解できないということだ。簡潔さが欠如していること、いくつかの作品の和声的均衡にのみこうした保留をつけながらも、アルカンはそれでもなお、語のもっとも美しい意味において、大家であり続けている。
 我々はヴァランタン・アルカンの全作品一覧を提示する必要はないが、彼の最も重要な作品の中から以下の作品を特記しておく。《25の前奏曲》作品31、《全長調による12の練習曲》作品35、《全短調による12の練習曲》作品39、練習曲《友情》[作品31-2]、《片手ずつと両手の3つの大練習曲》、《3つのロマンティックなアンダンテ》作品18 [実際には作品13]と《3つの詩的な小品》作品151、《3つのスケルツォ》作品16。―《葬送行進曲》作品26、《凱旋行進曲》作品27、《サルタレッロ》作品23。―《ジーグとエール・ド・バレエ》2、《オーヴェルニュのブーレ》作品29、《ドイツ風メヌエット》[作品46]、《4つの即興曲》作品32、全き人生の詩3である《大ソナタ》作品33、4手の《3つの行進曲》作品40、《室内協奏曲》第1番、第2番。 [《全短調による12の練習曲》[作品39]の協奏曲・交響曲は主要作で、この芸術家は高度な様式と非常にエネルギッシュで独創的な個性とを、12の性格的な楽曲にまとめ上げている4。― 12の詩的な曲集《12ヶ月集》は魅力的で、中級程度のピアニストでも取り組みやすい小品集である。《シュタイベルトの主題に基づく変奏曲》[作品1]、独奏ピアノ用の《ソナチネ》[作品60]、《ピアノとチェロのためのソナタ》作品47、ピアノ独奏用に編曲されたスコア《音楽院の想い出》5、《室内楽の想い出》6、ピアノ独奏用でカデンツァつきの ベートーヴェンベートーヴェンの協奏曲のピアノ独奏用編曲スコア7、オルガンとピアノ・ペダリエ8のための多数の小品。
 この簡潔な要約を見れば、アルカンを現代的な流派の傑出した大家たちの列に加えている諸作品の重要性がざっと理解される。彼はまた青年期と壮年期には演奏で大成功を収めたが、とはいえ、厳密に言えば大衆と相変わらず距離を取り続けてはいた。彼を賞賛する人々は、コンサート・ヴィルトゥオーソのありふれた[演奏]効果の眩惑に身を任せることのない芸術家と愛好家で構成された特権的な階級に所属していた。64歳9になってなお、この大芸術家は威厳ある演奏は衰えを見せなかった。悪趣味を敵視してはばからない彼の揺ぎなく正確で律動的なタッチには、厳格(ピュリテーヌ)で確信に満ちた彼の本性に相応しい権威と峻厳さが宿っていた。彼は耳に障る紋切り型の表現を注意深く避けつつも、無尽蔵の演奏技法によって自身の演奏する作曲家の様式がもつ非常に多様なニュアンスに順応することができる。それは各々の巨匠の美点を深く、かつ絶えず研究したことを証明する類まれな成果である。クープランラモーは、飾らない気品という点においては、優しくも熱っぽい詩情に包まれたフィールドショパンのようには演奏されえぬものだ。スカルラッティクレメンティの華麗(ブラヴーラ)さは、モシェレスウェーバー のそれとは別物である。モーツァルトフンメルベートーヴェンメンデルスゾーンは、大変に異なった性質を持っており、表現技法に精通した偉大な巨匠のみが、唯一これを自分のものとし、翻訳することができるのだ。

視聴コーナー

アルカンの作品の中には、本文で批評の対象となっている大規模作品以外にも、旋律的で優美な小品も少なからずあります。

『歌曲集 第3集』 第3曲 イ長調 十分に生き生きと「1オクターヴのカノンで」(演奏:中村純子)

また、風刺的な小曲集『48のモチーフ』には大胆な表現手法と独自の視点が凝縮されています。

48のモチーフ(エスキス)より 45番 小悪魔たち(演奏:森下唯)

*参考
過去の連載:森下唯『驚異の小曲集 エスキス~アルカン・ピアノ作品世界へご招待』より、「小悪魔たち」

  1. 正確なタイトルは《悲愴的ジャンルの三曲》。フランツ・リストに献呈された。
  2. 《ジーグと古風な様式のエール・ド・バレエ》作品24(1844刊)
  3. 4楽章からなるこのソナタは、第1楽章〈20代〉、第2楽章〈30代:ファウストのように〉第3楽章〈40代:幸せな夫婦〉、第4楽章〈50代:縛られたプロメテウス〉と題されており、人の生涯の4つの時期に対応している。
  4. 12の練習曲のそれぞれには標題がついている。1. 〈風のように〉2. 〈悪魔のスケルツォ〉3. 〈モロースのリズムで〉、4-7. 〈交響曲〉、8-10.〈協奏曲〉、11.〈序曲〉、12.〈イソップの饗宴〉。
  5. 《音楽院の想い出》はパリ音楽院ホールで行われたコンサートのレパートーから抜粋し編曲したもので、それぞれ6曲からなる2集が1846と1861に出版された。
  6. 《音楽院の想い出》の姉妹作で、1866年に出版。
  7. ベートーヴェン《ピアノ協奏曲 第3番》作品37の第1楽章、モーツァルト《ピアノ協奏曲 第20番》ニ短調の全楽章をピアノ独奏用編曲したもので、それぞれ60年、61年に出版された。
  8. ピアノ・ペダリエはピアノ製造者エラールが1840年代に開発した足鍵盤つきのピアノのこと。シューマンリストアルカン、ボエリー、ブラームスらがこの楽器のために作品を書いている。PTNA サイト内の記事参照。
  9. 著者マルモンテルがこの文章を執筆していた1877年現在のアルカンの年齢。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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