シャルル=ヴァランタン・アルカン 第2回:誰とも似ない、独自の美学
1830年代のパリの芸術界は、30年の七月革命を期にロマン主義の意識が高揚します。リスト、ショパン、ヒラーたち音楽家ばかりでなく、ヴィクトル・ユゴー、ジョルジュ・サンド、ドラクロワ、ラムネーといった文壇、画壇の名士や宗教界・政界の論客たちがともに語らい、時に反目しながら、自由を求める風潮を醸成しました。30年代の加熱したフランス・ロマン主義の風潮のなかで、独自の方向性に向かったアルカンは、音楽家としていかなる活路を見出したのでしょうか。アルカンとショパンの精神的な絆についての証言にも注目です。
すでにヴィルトゥオーソとしての名声をすっかり手中に収めていた彼は、和声の勉強に加えて、ヅィメルマン1から受けた対位法とフーガの揺るぎない厳格なレッスンを受けた。ヅィメルマンは非常に熟達した対位法作曲家であり、この教育に熱心だった。
ヴァランタン・アルカンが彼のひいきの生徒であったことは述べてきた。これは、勤勉で、探究心旺盛で、偉大なる芸術を愛し、はかない名声には決しておもねらず、凡庸を嫌い、評判には目もくれずにわが道を行く芸術家の鏡として、ヅィメルマンが我々に示した生徒でもあったということだ。それに実際、霊感と作曲における、あの無垢なる誠実さからして、ヴァランタン・アルカンはヒラー、ショパン、ステファン・ヘラーの陣営に位置づけられる。しかし、加えて言うなら、同語反復や常套表現に対する嫌悪感から、彼は時々、逆の極端へと流されることがあった。彼はいくつかの枠組みを過度に押し広げた。彼は協奏曲とソナタを、複数の部分に分割された全き詩へと変容させ、かくして通常のバランスを崩し、均整のとれた和声の枠組みに変化を加えたが、なぜこうした革新をもたらしたのか、彼はその動機の根拠を必ずしも説明してはいない。このような保留を付けるにせよ、アルカン作品は、ヅィメルマン理想と予言によく応えている。彼の作品は、彼が語の「精神的」な意味で、一人の大家の姿、深い信仰と不屈の信念を持つ人の姿を示している。そのような人物の作品は第一級の美しさで強く輝きを放つものである。
ショパンに付き従っていた文壇・芸術界の名士集団は、アルカンを思想上の同志としてその列に加えた。このサークルでは、相互の賞賛はいくぶん直感的になされていたが、文学と時間芸術に多大な影響・作用を及ぼしていた。ユゴー2、ラムネー3、デュマ4、ジュール・サンドー5、ジョルジュ・サンド6 、アリ・シェフェール7、ドラクロワ8の名前を挙げるのは、つまり、これらの輝かしい中心人物たちがロマン主義に属し、新しい道を探求し、古典の旧弊と手を切ろうとしていた、ということを言わんがためである。創意溢れる形式、特異な表現手法に対するアルカンの情熱はこの潮流に合致し、ロマン主義に受け入れられることを運命づけられていた。ショパンは愛情を振りまく人ではなかったし、ほんのわずかな芸術家にしか、友人たることを自称するだけの好意を示さなかったが、しかしアルカンのことはヴィルトゥオーゾ、作曲家として極めて高く買っていた。二人の共感は、因習的でありきたりな美に優る美しさに対する信仰、凡俗でありふれたものへの嫌悪に由来しており、これによって二つの一流の魂は結び合っていた。ショパンの死後、彼の愛弟子たちが何人も亡き師の伝統を継承するべくアルカンの下にやってきた。
しかし、二人の大家の気質には本質的かつ根本的な違いがあった。彼らが等しく抱いた理想への希求は、全く別の形式の下で示された。とにかく、ヴァランタン・アルカンは全く独創的で個性的な[音楽的]容貌を見せている。この傑出した人物の評価に際しては、比較に基づいて論じることを避けざるをえない。ショパン、ヘラー、リスト、タールベルクの輝かしい流派のいずれにも関連してはいるものの、彼はこれらのモデルのいずれをも直接的には反映していない。彼は彼自身であり、その美点と欠点によってのみ、唯ひとり、彼なのである。彼は彼のものであるところの言語で考え、話す。彼の上品な着想には精彩と信念があり、しばしば音楽的霊感は深い劇的な感覚を示している。たとえば豊かで色彩感ある和声は不自然なところが全くなく、走句は極めて多様な形式をもち、その輪郭は創意にあふれ、巧みに描かれている。
したがって、ヴァランタン・アルカンには高い音楽的価値、読書と偉大なる伝統への瞑想によって形作られた芸術家の気質を認めなければならないが、それは彼自身に依拠しているのであり、別個の流派をなしている。彼は孤独な道を求め、先人によって辿られた道に従うことよりも、険しい傾斜をよじ登ることを好んだ。英雄的な自覚と雄々しき不断の努力のおかげで、作品の美点を既得の名声によってではなく、こうした本質的で常に実りある分析によって判断するのに慣れている芸術家たちは、アルカンのような作曲家が問題となるときには、確実に彼を賞賛し評価することができるのだ。
- ヅィメルマンについては連載『ショパン時代のピアノ教育』第20回を参照。
- ユゴーVictor Hugo(1802-1885)はフランス・ロマン主義を代表する文壇の巨人。詩・小説家として膨大な作品を残した。熱烈な共和主義者として七月王政、第二共和制下では政治家としても活躍した。日本では『レ・ミゼラブル(邦訳:あゝ無情)』、『ノートルダム・ド・パリ』などで広く親しまれている。ユゴーの詩はフランスのピアニストたちにもしばしば引用され霊感の源となった(例:アルカンの友人アンリ・ラヴィーナ《静観曲集―12の芸術的大練習曲》(1863)は同名のユゴー詩集から4曲を選び連弾作品としている。本来12曲で構成する予定だったが4曲のみが出版された)。ユゴーはアルカンの師ヅィメルマンに娘のピアノ指導を依頼したことがある。
- ラムネーFélicité Robert de Lamennais (1782-1854)はフランスの聖職者、政治家。ナポレオン第一帝政期に反体制的な教皇至上主義者として言論界で頭角を表す。フランス・カトリックが教権から自立することを主義とするガリカニスムを批判し、王政復古期はフランスの体制を批判し物議をかもした。30年の七月革命を経て政教分離、信教の自由、出版の自由を主張し、自由主義的傾向を強め教皇と対立するようになる。30年代にはフランツ・リストらとの縁でマリー・ダグーのサロンの客人となり、彼女やジョルジュ・サンドとの交流の中でサン・シモン主義の流れを汲む、独特なキリスト教社会主義思想を構築した。
- デュマ父Alexandre Dumas père(1802-1870)はフランスの小説家、劇作家。日本では『三銃士』が広く知られている。30年代にはアルカンの師ヅィメルマンの隣人となり、国王ルイ。フィリップに対抗して大規模な仮面舞踏会を開くなど華々しいブルジョア文化の担い手だった。
- サンドーJules Sandeau (1811-1883)はフランスの小説家、劇作家。ジョルジュ・サンドとは友情で結ばれ、一時はバルザッックの秘書も務めた。
- ジョルジュ・サンドGeorge Sand (1804-1876)はフランスの作家、記者。日本の音楽愛好家の間では作家というよりはショパンとの恋愛関係で広く知られる。男性風の名前は筆名で、本名はアマンティーヌ・オロール・リュシル・デュパン, デュドヴァン男爵夫人という。上記注釈のJ. サンドーとの合作『ローズとブランシュ』(1829)を「J.Sand」の名義で出版したのを機会に、G. サンドを名乗るようになった。36年10月にパリに戻ったリストとダグーと同じ建物に住み、上述のラムネー、ショパンらが集うダグーのサロンで自由な思想的風土に身を置いた。
- アリ・シェフェールAry Scheffer (1795-1858)はオランダ出身のフランスの画家。1811年にパリに定住し新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲラン(1774-1833)のアトリエで学ぶ。ドラクロワたちが主導したロマン主義には与さず、「冷たい古典主義」の画家と評された。ショパンの肖像画の一つは彼が書いている。1830年から彼が居住した建物は現在パリ市のロマン主義美術館として公開されている。
- ドラクロワFerdinand Victor Eugène Delacroix(1798-1863)はフランス・ロマン主義の代表的な画家。上記シェフェールと同じくゲランのアトリエで研鑽を積む。色彩よりもデッサンを重視する新古典主義の教育風土の中で厳格な訓練を受けながらも、20年代半ばからは画家として成熟し、度々官展に作品を出品した。上述したV. ユゴーとも親交があり、絵画におけるフランス・ロマン主義の旗手として画壇をリードした。ドラクロワは幼くして音楽教育を受けたこともあり、音楽家の友人も多かった。著述家としても健筆を振るったドラクリワの日記には、ショパンやG. サンドとの親密な関係がたびたび描かれている。
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。