エミール・プリューダン 最終回 幻想の風景画家プリューダン:その美学と最期
今日は19世紀のピアノ教授マルモンテル著『著名なピアニストたち』から第6章「エミール・プリューダン」の最終回です。自然をモチーフにした多数の作品を書いたプリューダンは、実は実際の風景画や自然に惹かれているわけではなかったようです。それらは、自己の内面に広がる幻想世界に広がる秘境的自然の響きでした。
「ウィリアム・テル」[作品33]、「悪魔のロベール」[作品20, 38]「湖」[作品43]の三重唱ならびに『恩寵[?]』のアリアの傑出したトランスクリプション、『清教徒』、『夢遊病の女』による練習奇想曲―これらの作品を、我々は黙って見過ごすわけには行かない。プリューダンは、性格的小品においてこそ、いっそう独特な形でその個性を示している。音楽楽詩人プリューダンの気質は、とりわけ描写的な音楽と風俗画風の音楽を好んだ。夢の世界に属する自然を熱烈に愛したプリューダンは、しばしば田園風の主題や田園恋愛詩、牧歌からうまく着想を引き出した。『小川[作品16-2]』、『草原[作品54]』、『田園[作品39]』、『森[作品35]』『家路に着く羊飼[作品42]』、『ナーイアス(水の精)[作品45]』『さらば、春よ [作品53]』『孤独Solitude[作品65]』といった作品のタイトルは、この芸術家を支配する感情、この作曲家の好み、そして牧歌的なジャンルにおいて彼が実際に卓越していたことを際立たせている。
プリューダンは、単純で素朴な展開をもつこれらの小さな詩を強く愛した。そこでは自然さが支配的で、音楽のフレーズは決して気取りを見せたり誇張されることはない。しかし、私が彼と音楽について親しくおしゃべりをしているときに彼から聞いたのは、これと著しく矛盾することだった。プリューダンは風景画家を好まず、大きな水平線を称賛する平凡な人々には属してはいなかった。自然を模倣する和声、自然の甘美なざわめきが彼の中に響いていたのだ。これらは霊感の時にこの作曲家の想像力によって喚起はされるものの、現実世界では、彼はこうした神の創造の驚異を観想したいいう欲求に駆られることはなかった。プリューダンにとって、田舎の理想的な幸福といえば魚釣りだった。おそらく、この無邪気な気晴らしのおかげで、彼は、いっそう魅力的な幻想を心ゆくまでめぐらせることができたのであろう。おそらく『ナイアード(水の精)[作品45] 』、『妖精の踊り[作品41]』、『鬼火[作品16-6]』、『三つの夢[作品67]』は、この芸術家の脳内から舞い立つように出てきたのであろう。彼の視線が、釣り糸と魚をおびき寄せる疑似餌の動きを注意深く追っているその間に。
1863年6月5日、成功の只中で突然の死が彼のふいを襲った。彼がつらく忍耐のいる活動で実らせた果実を収穫しようとした、まさにその時であった。数日間だけ病床に伏したプリューダンは、まれにしか治らない病、偽膜性アンギナの発作で亡くなった。この病が事故の如く突如として訪れたために、プリューダンは臨終に先立って満足に多くの友人に別れを告げることができなかった。かくも早く我々の愛情から奪い去られたこのすばらしき同僚、竹馬の友に、永久の敬礼を捧げよう。それは美しき死である。死はこの芸術家を、闘いの最中にあるこの兵士を捕らえてしまった。まさに最初の熱狂に包まれ今勝利を手中に収めんとしているそのときに。熱狂に包まれ今勝利を手中に収めんとしているそのときに。
1844年、ピアノ製造者C.プレイエルに献呈した練習曲集。12曲として構想されたが、最初の6曲しか出版されませんでした。第2番「小川」はたっぷりとした歌唱的旋律を中音域で響かせながら、これを右手の爽やかなアルペジョが飾ります。ちょうど、旋律が小川の主流、右手が石に砕ける飛沫のようです。息の長い旋律と高度な演奏技術の両立はプリューダンの世代(1810年生まれ)の音楽家の最大の関心事で、いかに新しく表情豊かな作品に仕上げられるかをピアニスト兼作曲家たちは競い合いました。
プリューダン30代半ばの成功作。トッカータ風の序奏に絶え間なく動く軽やかで急速な旋律が続く。この作品は当時音楽家たちに高く評価され、しばしば公の場で演奏された。本作品を献呈されたエクトール・ベルリオーズは1853年にオーケストラ付きで演奏された《妖精の踊り》をパリで聴いて次のように述べている。
「彼の《妖精の踊り》という作品は、昨年ロンドンでオーケストラなしのを聴いたが、私の知る限り最も詩的で甘美なものの一つだ。[...]これは詩であり絵画である。オーケストレーションは甘美で穏やか、神秘的な響きのする和声、陽気な旋律の戯れ、すべてがそこにはある。ピアノの走句は意味の空虚な線ではない。それは妖精的旋律の連鎖であり、それらはとめどなく流れきらめき、ピアノだけが完全に表現できる着想に他ならない。プリューダンの《妖精の踊り》は全体として音楽界に導入された新しく夢想的な作品だ。認めるべきこうしたことがあるということは、私にはそうしばしば起こることではない」。
(訳・文:上田泰史)
金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。