19世紀ピアニスト列伝

エミール・プリューダン 第1回 ピアノの詩人と謳われたフランスのピアノ作曲家

2013/05/13
ピアノの詩人と謳われたフランスのピアノ作曲家
エミール・プリューダン

ショパンがポーランドのピアノの詩人なら、プリューダンはフランスのピアノ詩人。今日からマルモンテルによるピアニスト列伝『著名なピアニストたち』翻訳シリーズは第6章「エミール・プリューダン」が始まります。その優美な歌唱的な表現と自然の情景を彷彿とさせる絵画的な作風は36年にパリで旋風を巻き起こしたタールベルクの影響下から出発し、40年代にフランスを代表するピアノの個性として開花しました。

プリューダンの幼少時代に、これといって飛びぬけた特徴を見ることはできない。彼の中には、特別に恵まれた素質や著名な芸術家の列に加わることを約束されるような兆しを一つでも見せるところはなかったプリューダン(エミール・ブニエールEmile Beunier)は1817年4月4日、アングレームに生まれた。1826年7月12日、パリ音楽院のソルフェージュ科の生徒としてラリヴィエールのクラスに入り、2等賞を得た。彼は当時助教授だったローラン1のクラスに出席していたに過ぎなかったが、それは次にヅィメルマン2のピアノのクラスに入るためだった3。今は亡き我らの師が有する生徒選びの手腕は優れたもので、一目見るやエミール・ プリューダンの中に将来のピアニストの姿を認めたのだった。
 かくして私はプリューダンの仲間となりライバルとなった。我々の同門には、後の音楽院院長アンブロワーズ・トマ、ポティエ、ピッチンニ4の孫、ラヴィーナ、コディーヌ、ベゾッツィ、ラコンブがいる。プリューダンは1831年に2等賞、1833年に1等賞を獲得した。この成功の後、彼は芸術家の戦闘的な道に足を踏み入れ、そこで、世に認められるまで苦心した。習いに来る生徒の数は少なく、彼は両親に過度の負担をかけないように、彼はしばしば「舞踏会をする」、つまり、カドリーユ を演奏しなければならなかった。プリューダンは1836年、何度もタールベルクの演奏を聴く機会があった。我々と同世代の全てのピアニストと同様、彼はこの新しい流派の美点に感銘を受け、生み出される効果に感嘆した。そして、この著名なピアニスト・作曲家の流儀を我が物にせんとする考えと野心で彼の頭は満たされた。
タールベルクの演奏を聴いた芸術家は誰もが、彼のたっぷりとした美しい響き、ピアノの中音域に歌唱的なフレーズを配置し、親指でアクセント付けをしながらしばしば旋律を両手で交互に取り合う極めて特殊な奏法、そしあの斬新で、輝かしく、軽快な走句の感嘆すべき演奏法の兵器庫を高く評価した。この走句は、時に繊細なアラベスク模様となって、煌く音の打ち上げ花火となってほとばしり、また時に鍵盤上の音階の音域をくまなく駆け巡り、調和し、輝かしく透き通るような網のように主題の着想を包みこむのだった。ピアノを歌わせるこの驚くべき技法は、音を見事に御すことによって、あるいは未知の響きの効果をこの楽器から引き出しつつ、一つになった全ての美点は、愛好家と芸術家を幻惑し、魅了した。
フランスの若い芸術家の一団が演奏法と書法の点でかなりの影響を被ったのは当然だった。プリューダン、ゴリア、ゴットシャルク、オズボーンらは、これらの新しい表現形式に心を奪われた。この時期の彼らの作品はこのヴィーンの巨匠に直接由来しているのだ。しばしば大きな成功を収めたこれらの模倣は、しかし、文字通りの意味でのコピーではない。これらの模作は、巧みさや創意工夫を欠いているのではなく、そこには流行の大家の影響が非常に生き生きと感じられるのである。後に、この模倣熱が過ぎてしまい、この創案者が自らこの表現法に見切りをつけると、フランスの若き一派は、プリューダンを筆頭として、アルペッジョと分散和音で曲をしつらえようとする先入観にとらわれないピアノ音楽にもどっていった。

参考音源
『12の風俗画風練習曲』(1844年)より、第一番「昔の物語」(演奏:中村純子)

楽器製作者カミーユ・プレイエルに献呈。1830年代後半にデビュー後、20代後半にして才能は既に熟す。19世紀、「練習曲」は単に学習のために書かれるのではなく、高度な演奏技術と歌唱性を調和させた演奏会用の作品としても書かれた。ドニゼッティのアリアを思わせる中声部に置かれた歌が、多種多様な音型・音域で巧みにに伴奏される。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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