19世紀ピアニスト列伝

ムツィオ・クレメンティ 第6回 19世期ピアノ音楽の基礎の確立者

2013/04/30
19世期ピアノ音楽の基礎の確立者
クレメンティ

「大家の系譜」に連なるクレメンティ。チェンバロ(クラヴサン)の演奏技法、音楽様式に変化をもたらし、19世期ピアノ音楽の基礎を築いたことを著者のマルモンテル(1816-1898)は高く評価し、その作品について所見を述べています。

伝記作家たちは、クレメンティの様式が不正確で、その着想が凝り過ぎていると非難している。純粋な旋律作家で大家の系譜に属するクレメンティは、作品の大部分において高尚な様式を備えた確かな手腕と健全な霊感、精彩、ハイドンモーツァルト的な活気とを結び付けている。クレメンティが[古典時代からロマン主義時代への]過渡期に作曲したことを考慮すれば、彼の作品は全体として重要であり異論の余地なき価値を有するものである。彼の同時代を生きた大家たちと自分を比較したり、どんなときも彼らと同等になろうとは思わなかったクレメンティだが、彼はピアニスト兼作曲家たちの中でも最高の地位を占めている。彼は、エマヌエル・バッハと共に現代的なソナタの創始者であり、フィールドクラーマーフンメルモシェレスカルクブレンナーエルツ兄弟が彼に続いて栄光に満ちた伝統を継承したピアノの大いなる流派の確立者なのである。

クレメンティの作品一覧には次の作品が含まれる。100曲のソナタ、内40曲余りはヴァイオリン、フルート、チェロの伴奏付き。二台ピアノのための大二重奏曲が一曲、二曲の4手用二重奏。数あるソナタから、次のソナタを挙げる。作品2,7,8,9,10,14,17,22,26,33,40,42,46。これらの作品が書かれた時代に目を向ければ、これら殆ど全ての作品に表現技法上の美点、溢れんばかりの斬新な想像力、極めて多様な旋律的着想、鍵盤の隅々まで駆け回る多種多様な走句を認めることになるだろう。これらの作品は巧みに響きを配置し、旧弊を排しているが、それは形式をおろそかにしているということではなく、新しい楽器、すなわちピアノに著名なクラヴシニストたちによってもたらされた進歩を適用した結果なのである。

クレメンティはしたがって、当然のようにピアノの現代的な技法の偉大な推進者として見なされうるのであり、キンベルガー1、シュタイベルト2ドゥシーククラーマーたちはクレメンティの通した道を辿ったのだ。しかし、百年来、殆どフーガのジャンルや装飾的な舞曲、変奏奏曲、序曲―それは非常に濃密で確固たる豊かな和声で織り上げられてはいるが、崇高なまでに統一されている―の中に閉じ込められてきた音楽の流れを変えた名誉は、クレメンティの元に戻るべきである。言うまでもなく、これらの旧来の音楽の一覧からは、バッハヘンデルスカルラッティクープランラモー、マルティーニの作品は除外する。これらの偉大なる創造者たちは、あらゆることを試み敢行に及んだのだ。彼らの作品を注意深く読むと、萌芽としてのみならず、全体として熟練の音楽家のみが手にしているフレーズ、旋律、色彩豊かで劇的なレチタティーヴォを認めることができる。

更に、有名になったソナタ作品50、『リーズに会った』という唄に基づく幻想曲、有名な主題「月の光」に基づく幻想曲、著名な大家たちの様式によるいくつもの性格的小品、24のワルツと12のモンフェリーヌ、前奏曲とエグゼルシス、そして『ピアノ演奏法序説』(グラドゥス)3。真の芸術的記念碑たるこの著作は、繰り返しになるが、それだけでクレメンティの名を不滅のものにするのに足るものだ。それは想像の及ぶ限り最も完全な形で現代様式を要約している。非常に声楽的な旋律的着想は色彩豊かに提示され、クラヴサン奏者たちにとって非常に重要な装飾の耐えざる伴奏を伴わずしても明確に際立っている。『グラドゥス』は真面目な生徒たちに、そして偉大な技法を愛する芸術家たちに、この上なく見事な趣味の模範、あらゆるジャンルの中から選りすぐられた実例、そして高貴な、厳格な、優美な、表現的な、悲愴的な様式を示している。メカニスム、リズム、装飾の非常に専門的な練習曲もまた、クレメンティが非常に正確にその規則を書き表したあの指の独立と音楽の自由な足取りが両手に備わるよう、見事に構想されている。

  1. Kimbergr : 不詳
  2. シュタイベルトDaniel Steibelt(1765-1823)ドイツ生まれのピアニスト兼作曲家。ピアノのヴィルトゥオーゾとして18世紀末から19世期初期にかけて名声を博すが、オペラ、室内楽、序曲、8つのピアノ協奏曲等、ピアノ以外のジャンルでも多くの作品を手がけた。
  3. 『ピアノ演奏法序説』Introduction to the Art of Playing on the Piano Forteは1801年に書かれた課題曲集つきの教則本。マルモンテルは「(グラドゥス)」と書いているが、実際には『グラドゥス・アド・パルナッスム』と『ピアノ演奏法序説』は別の作品。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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