19世紀ピアニスト列伝

ムツィオ・クレメンティ 第4回 チェンバロとピアノ、モーツァルトとクレメンティ

2013/04/16
チェンバロとピアノ、モーツァルトとクレメンティ
ムツィオ・クレメンティ

今日はマルモンテルによる音楽家列伝は第5章「ムツィオ・クレメンティ」第4回。前回はクレメンティの伝記からやや脱線して、チェンバロ(フランス語ではクラヴサン)とピアノの比較に話が及んでいました。マルモンテルがこの本を書いていた1870年代にはまだクラヴサンは過去の「劣った」楽器としてみなされる傾向にありましたが、歴史的関心からその固有の響きを再評価する動きが丁度でてきた頃でした。今日のテキストの最初の段落はチェンバロがピアノに取って代わった過程についてざっと説明しています。続く段落は再び伝記に戻ります。特にモーツァルトクレメンティの比較は興味深いものです。

羽または金属で出来た撥弦用のツメの代わりにハンマーを用いることを最初に考えたのはバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコ1には違いないが、この試みは不完全な結果しかもたらさず、クラヴサンが優勢であることには変わりなかった。1716年、フランスの楽器製作者マリュス2とドイツ人のシュロレール3が行った新しい試みは実を結ばなかった。だが、いっそう巧みな技師たちがついに実践的に先人たちの発見を応用した。イギリスのツュンペ4、ドイツのジルバーマン5、フランスのセバスチャンならびにジャン=バティスト・エラール6、が重要なピアノ工房を設立し、クラヴサンの敗北を確かなものにした。多様な鍵盤のアタックによって音を変化させたり、芸術家の知的な意思をハンマーに伝達しながら、指の動作に対して鍵盤が敏感に反応するようにしたりする能力は、この上なく創意工夫に富む発明だった。音に力強さが与えられるのと同時に、鍵盤の音域は拡がった(1)。

1780年、クレメンティは始めてパリへ旅立った。パリで受けた歓迎振りは大変に熱烈なものだったので、彼は今なお心に抱き続けていたイタリアの熱狂振りを思い出し、祖国イタリアの映し鏡を見ているようだった。宮廷で演奏することを許された彼の完璧な演奏は、王妃マリー・アントワネットを魅了した。王妃はクレメンティを好感をもって歓迎し、彼女の兄で名高き音楽愛好家、皇帝ヨーゼフ8の庇護を彼に保証し、ウィーンに行くよう勧めた。1781年、クレメンティはミュンヘン、そしてウィーンを訪れた。ウィーンで彼は20歳年上のハイドン、4歳だけ年下のモーツァルトと友情を結んだ9。この二人の天才たちはこのヴィルトルオーゾ兼作曲家の類まれな美点を正当に評価し、ドイツの愛好家たちはこの芸術家に心からの喝采を捧げた。

打ち解けた夜会を好んだ皇帝ヨーゼフの最大の楽しみは、モーツァルトクレメンティの演奏を交互に聞くことだった。筆者はモーツァルトのたいへんな天才とクレメンティの類まれな作曲の才能を比較しようというのではない。だが、驚異的な即興家で並外れたクラヴサン奏者のモーツァルトクレメンティが根気よく追究した卓越したヴィルトゥオジティを持ち合わせていなかった。旋律的な作曲家の気質を持つ点ではいずれもイタリア的だが、彼らは別々の道を歩んでいた。モーツァルトはすでにはるか高い領域を滑翔しており、自身のライバルに演奏に関する栄冠は彼に譲ることができたのだ。

 このドイツ滞在は、クレメンティにとって勝利の連続となった。彼は1782年10にロンドンに戻ると、すぐに新たなパリへの遠征に着手し、そこで前回同様の熱狂を受けた。だが、芸術的観点から見れば、彼のドイツ旅行はなおもいっそう得るところの大きいものだった。自らが才能を買っていた大家たちと直接関係を築いたことで、作曲家クレメンティの様式は有益な影響を受けずにいるはずがなかった。注意深く、年代順にクレメンティの作品を研究してみれば、この点についての筆者の見解は容易に確かめられる上に、彼の書法に漸次的な変化がもたらされているのをはっきりと認めることができるであろう。

原注1)メロー7が著した専門的な一章は、大変興味深く読むことができるだろう。その一章は、『クラヴサン奏者たち』への序を成す一冊のなかに収められたもので、クラヴサンとピアノの歴史について書かれている。

  1. バルトロメオ・クリストーフォリ(1655~1732):イタリアのパドヴァ生まれの楽器製作者。33歳の時、フィレンツェにおける芸術の大パトロン、トスカーナ大公子の宮廷に雇われチェンバロの管理を任されていた。記録上、彼の発明した最初のピアノが登場するのは1700年、メディチ家の楽器目録において。この時は「アルピシェンバロ」という名で登場し、そこに付された説明には小さな音piano、大きな音forteが出るという表現がある。
  2. マリュス Jean Marus (1720~):フランスの楽器製作者、発明家。ハンマーアクション式のピアノ「クラヴサン・ア・マイェ(文字通りには「小槌付きチェンバロ」)」の他、三箇所で折りたためるクラヴサン、持ち運び用オルガンなどを発明。楽器以外の分野でも折りたたみ傘、折りたたみ式テント、種まき機など様々な発明で知られる。
  3. シュロレール:不詳
  4. ヨハネス・ツュンペ(1726-1790)ドイツ出身、イギリスで活躍した鍵盤楽器製作者。彼の開発したシングル・アクションのピアノはイギリスで広く用いられた。1780年代にはダブルアクション機構を発展させ、イギリスのピアノの発展に大きく貢献した。彼の楽器は大陸にも輸出されており、マルモンテルのいたパリ音楽院でも19世紀初期には幾つかのツュンペの楽器が導入されていた。
  5. ジルバーマン Silbermann:ドイツの著名な鍵盤楽器製作者の一族。ピアノについては、現存の多くのピアノはクリストーフォリのピアノをそのまま利用した構造。ゴットフリート・ジルバーマンはJ.-S. バッハ、その息子フリーデマン・バッハら多くの名手と関わりを持った。父バッハは彼の初期のピアノを試奏した最初の音楽家の一人。
  6. エラール:フランスの鍵盤楽器・ハープ製作者の一族。セバスチャン・エラール(1753-1831)はパリで初期のピアノの発展に大いに貢献したばかりでなく、20年代以降、同鍵上での急速な連打を可能にする「ダブル・エスケープメント」をはじめとする数々の特許でピアノ演奏の発展に大きく寄与した。兄のジャン=バティスト(1749-1826)とは1788年以降、一時共同経営者。
  7. メローJean-Amédée Méreaux(1802-1874) フランスのピアニスト兼作曲家。パリでアントン・レイハに作曲を師事した後、ルーアンで活動。卓越したヴィルトゥオーゾであると同時に18世紀以前の音楽に造詣が深く、1867年から本文で言及されている曲集『クラヴサン奏者たち(1637-1790)』を出版し始めた。これはピアノで演奏されることを意図した曲集で、装飾音は全て音符に置き換えられている。この曲集はマルモンテルの古典曲集シリーズ『エコール・クラシック』と並び19世期後半のフランスにおける古典音楽のイメージ形成に大きな役割を果たした。作曲家としては大変に厳格かつ技巧に関して妥協のない書法を特徴とし、フランス学士院の推薦を受けた『大練習曲集』作品63(1855)は19世紀に書かれた練習曲集としてはアルカンのそれとならび最も長大で厳格な作品である。
  8. ヨーゼフ二世(1741-1790):神聖ローマ皇帝(在位:1765-1790)。大変な音楽愛好家で、モーツァルトを宮廷音楽家に登用していたことでもよく知られている。
  9. モーツァルトは内心ではクレメンティを全く好んでいなかった。彼は後に父に「クレメンティは機械に過ぎない」などと悪評したり、「ペテン師だ」などと悪口を書いている。こうしたクレメンティに対する極端な反応は、すでに19世紀的な、あるいは近代的なピアノ演奏のメカニズムを体現していたクレメンティに対する無理解ないし不信感とも考えることができる。
  10. 実際には彼がロンドンに戻ったのは1785年。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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