19世紀ピアニスト列伝

アンリ・ベルティーニ 最終回:内なる熱狂

2013/01/29
内なる熱狂

今日はマルモンテル『著名なピアニストたち』の第二章、「アンリ・ベルティーニ」の最終回。湧き上がる情熱と霊感を持ちながらも、神経過敏な性格から華々しいヴィルトゥオーゾの世界から距離をおいたベルティーニ。それゆえか、国家から勲章を受けることなく生涯を終えます。マルモンテルが賞賛するベルティーニへの正当な評価は、これから検証していく必要があります。

晩年、ベルティーニは好んでグルノーブルのグランド=シャルトルーズ修道院1を訪れた。彼はそこで宗教的感情から霊感を得た調べを即興し、神の慈悲を信じる心の祈りをささげた。この長い瞑想は78歳になるまで続いたが、その平穏と平静が打ち消されることはなかった。

私は人生の盛りにあるベルティーニに会ったことがある。美しく高貴な顔立ちで、思索家らしいエネルギッシュな横顔、大きくて禿げあがった額、深く瞑想的な眼差し。濃い口髭、房のようになった顎鬚は、彼の気概に似つかわしい決然たる性格をあの男性的な人相に与えていた。ベルティーニは慎ましく端正な外見を纏いながらも、その下に実際、芸術や政治が話題に上ると心の内奥に湧き出ずる熱狂的本質を隠しているのだった。実直だが神経質な体質のベルティーニは、著名な芸術家、ヴィトゥオーゾ、作曲家たちの才能に敬意を表してはいが、拍手喝采の喧騒が彼にはどうにも耐え難かった。そんなとき、彼は演奏会場から出て行ってしまうのだった。こうした奇妙な行動は神経過敏からくるのであって、狭量な嫉妬が原因ではなかったということを、私は何度も確認した。ほぼ同じころ、我々は目の当たりにしなかっただろうか?成功を収めていたライバルのタールベルクに対してリストが殆ど寛容ならざる評価を下していたのを。これは惜しむべき弱点であるが、しかし偉大な芸術家には共通の想像しうる現象だ。過度に高ぶった自尊心は、彼らの感性を病的で苛立ちやすいものにしてしまう。

ベルティーニは、芸術の歴史に栄誉ある名を残している。彼の重要な作品は筆者以前の世代2?の独特な記念碑として残り続けるだろう。現代の作曲家たちは別の仕方で作曲しているが、彼ほどは優れていない。先生にせよ生徒にせよ、我々はこの偉大な音楽家の優越性には頭を垂れなければなるまい。

ベルティーニは78歳でこの世を去ったが、何も勲章を受けることがなかった3?。それは理解し難い神秘であり、おそらくこの謎に答えを求めるべきではないのだろう。たが、この種の好意が惜しげもなく振りまかれる時代を我々が生きていることを考えれば、それは悲しい事実といえる4?。更に述べ添えておこう。才能に対する正当な報いによってこの著名なピアニストの心が励まされることはなかったにせよ、ベルティーニはあの世で美しく勤勉な生涯を有意義に全うしたという確信を得ることになるだろう。ゆえにこの芸術家に祝福を捧げ、墓石のほとりで善き意志を持つこの人物に最後の別れを告げよう。


グランド=シャルトルーズ修道院の入口
(Wikipediaより転載)
【脚注】
  1. グランド=シャルトルーズ修道院:フランス南東部イゼール県、人里離れた山奥にある修道院。縁起は11世紀に遡る。19、20世紀に閉鎖と保護が繰り返されたが、1941年以降、政府の正式な承認を得てカルトジオ会の修道僧たちが修行を営んでいる。Youtubeに紹介動画あり。
    Youtubeで検索:Grande Chartreuse Monastery?
  2. マルモンテルは1816年生まれなので、それ以前の世代の音楽家を指す。ベルティーニは1798年生まれ。
  3. フランス政府が政治、軍隊、文化功労者等に対して与える栄誉勲章レジオン・ドヌール勲章のことを指す。マルモンテル自身は教育的功績が認められ62年に受賞していた。
  4. 勲章授与の基準が甘くなった傾向への皮肉とベルティーニがその音楽的・教育的業績にもかかわらず受勲しなかったことへの疑問を呈している。

次回は原書の順番に沿って、「第三章 ステファン・ヘラー」の翻訳を始めます。ドイツ音楽とフランス音楽を融合したロマン主義の才士の物語を、どうぞお楽しみに。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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