19世紀ピアニスト列伝

アンリ・ベルティーニ 第4回:動乱の30年代と隠退

2013/01/24
動乱の30年代と隠退

 今日は少し長めの導入で始めます。
 一般に「音楽史」は作曲家が書いた楽譜、音の構築体としての「作品」の歴史と見做されています。しかし、飛行機が離陸して上昇するときの景色のように、これまで「ズームイン」して見ていた音楽を「ズームアウト」していくと、作品の周囲にはまだ見たことのない景色が拡がっています。やがて別の作品が見え始め、そして作品群になり、作曲家の人生が現れ、さらに上昇を続けると作曲家群が現れます。そして作曲家同士の間を結ぶ音楽家以外の人物(例えば出版社、楽器製造者)や作曲家を取り巻く社会、習慣、生活、時代を次々に俯瞰することになるでしょう。

 もし作曲家とその作品が直接的・間接的にこうした大きな文脈と関わりを持っているとするなら、私たちは何処までを「音楽」の枠の中で語るべきなのでしょうか。過去に書かれたほんの一握りの作品を糸で紡いで語ることだけが「音楽史」なのでしょうか。このような視点から、今日では作品のみに特化するのではなく、ジャンルや他芸術との関わりで音楽を扱う研究や演奏会企画は盛んに行われています。特にフランスの大学や音楽院ではその傾向が著しいと感じます。

 音楽を歴史=文化的な総体の一部分として見ることで、絵画、芸術、文学、政治その他さまざまな分野に関心のある方々とのコミュニケーションが可能になりますし、「クラシック」畑を越えてより多くの人と協力し関心を共有していくことは公益に資するものであり「PTNAピアノ曲事典」の趣旨に適うことでもあります。

 さて、今日ご紹介するのはマルモンテル『著名なピアニストたち』の第二章、「アンリ・ベルティーニ」から、人物像を描いた部分です。長い前置きの理由は、今回のテキスト理解に重要なポイントである「歴史・社会的文脈の中で音楽家を見る」という視点に注意を促すためでした。一体、作品がどのように「時代意志」を体現しているのかということに関心を持つことが、ベルティーニ(に限らずですが)作品を楽しむ出発点です。まだ録音がない間はもどかしいですが、今後、具体的に作品を紹介・録音する機会も作っていくことが出来ればと思っています。

ベルティーニは大掛かりなピアノ・メソッドを出版した。この書物にあっては、彼のピアノ教育の基礎知識が類稀な論理的精神とうまく結びついている。それぞれの新しい事柄はしかるべき時に、きわめて明快に提示される。どの部分も、完璧に段階的になるように関連付けられているので、筆者はこのメソッドをもっとも完全なもので現代のピアノ演奏法に関して最も成功した例だと考えている。

世を忍び、ありふれた友情は殆ど好まず、いくらか厭世的な人物であったベルティーニは人生も終わりにさしかかった頃、何人かの側近が示す愛情のなかに愛着や優しさを感じた。彼の心は彼らの愛情に飽きることがなかった。筆者は光栄にも45年前に自身のキャリアをスタートさせた時分からこの大音楽家を存じ上げている。彼は当時勇敢で情熱的な性格の人で、強烈な1830年世代を代表する多くの詩人や芸術家と並んで堂々たる位置を占めていた。あの頃、なんと豊かな熱気が社会のすみずみまで満ち満ちていたことだろう。それはラマルティーヌ1、ユゴー2、ミュッセ3、ウジェーヌ・ドラクロワ4、ラムネー5、ラコルデール6、エロール7、オベール8、アレヴィ9等々の栄光の時代であり、勝利の絶頂期だった。人々は大いなる芸術的革新の夜明けを目の当たりにし、それが政治的・社会的大改革の驚異を照らすと信じていた10。無数の色あせた栄光、奇抜な企て―それでもなお、幾許かの目新しい発想、そしてとりわけ崇高な想い出は今なお消えることなく残っている。

30年ほど前、ベルティーニは人生の喧騒に疲れ、彼の落ち着かない性格には一見似合わない休息を求めて親友たちが近くに住むメイラン11の近郊に居を定めた。もう長いこと、彼は永遠の世界への門口に立って、果てしない地平をじっと観想していた。ベルティーニは好んでその地平の神秘を探究し、死が信仰の平穏とともに訪れるのを見ていた。彼は過去の想い出の中にある種の憂鬱な悲しみを見出し、死を迎える前から永遠の光のなかに憩っていた。つまり、彼は生の極限、信仰、青春時代の憧れ、魂の高揚、そしてキリスト教の哲学に帰ったのだ。芸術家気質の人々にとって、おそらくこれらは芸術的気質を持たない人々以上に欠くべからざる要素であろう。こうした人々は実際、人生の波乱、彼らの栄光と幸福の夢を打ち砕く失望によって、幾多の長い試練を受ける。彼らは見極め、そして夢にみたいっそう崇高な祖国を必要としている。それが彼らの慰めとなり、隠れ家となるのだ。


アンリ・ベルティーニの肖像
【脚注】
  1. アルフォンス・ラマルティーヌ(1790-1869):フランス・ロマン主義の詩人、戯曲・散文作家。七月王政下の1830年代、政治家としても活躍。フランツ・リストの交響詩『前奏曲Les préludes』はラマルティーヌの『新瞑想詩集』から霊感を受けている。
  2. ヴィクトール・ユーゴー(1802-1885):フランスの詩人、小説家、劇作家、政治家。とりわけ多作な作家で、『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』は日本でも広く知られている。七月王政期は君主ルイ・フィリップの厚遇を受けたが1852年から始まる第二帝政期はナポレオン三世の独裁に断固反対し英国に長く亡命した。音楽愛好家で、シューベルトの歌曲、ベートーヴェン、ウェーバーを賞賛。フランスの作曲家ルイーズ=アンジェリック・ベルタンのオペラ『エスメラルダ』の台本(『ノートルダム・ド・パリ』に基づく、1836年初演)を手がけるなど ユーゴーは音楽家とも親しかった。このオペラの作曲にベルリーズが助言を与え、リストはこの曲をピアノ用に編曲。いずれもユーゴーの友人。
  3. アルフレッド・ド・ミュッセ(1810-1857):フランスの詩人、作家。19歳で詩集を発表。30年『ヴェネツィアの夜』で挫折し劇作からは遠ざかる。ルネサンス時代のフィレンツェの史実に取材した『ロレンザッツィオ』(1834)はジョルジュ・サンドの着想に基づいて書かれた主要作。ミュッセはパリ音楽院ピアノ教授ヅィメルマンの主催する音楽サロンに出入りしていた。
  4. ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863):フランス・ロマン主義の代表的な画家。1822年に官展に入選。1830年の革命を象徴する『民衆を導く自由の女神』は一般にも良く知られている。音楽家との関連ではショパンの友人として知られ、彼の描いた肖像画がルーヴル美術館に保存されている。このショパンの肖像画はマルモンテルの養子アントナン・マルモンテルからルーヴルに遺贈されたものである。
  5. フェリシテ=ロベール=ドゥ・ラムネー(1782-1854):著述家、聖職者、後に政治家。カトリックの聖職者だが、1830年の七月革命で権威的な王政が打倒されルイ・フィリップを王とする立憲君主制が敷かれると、30年に創刊した『アヴニール(未来)』紙で教皇至上主義と同時にリベラルな政治思想を展開。自由を保証するために政教分離を不可欠と考え、教育、出版の自由化、普通選挙など、社会主義に与する一連の言論で教皇との関連が悪化、34年『信者の言葉』で教会と決別。当時芸術界をも席巻していた社会主義思想、サン=シモン主義(注10参照)に傾倒していたフランツ・リストは『旅人のアルバム 第1巻』の「リヨン」をラムネーに捧げているほか、ラムネーのテキストに作曲した合唱曲も書いている。
  6. アンリ・ラコルデール(1802-1861):フランスの宗教家、政治家、著述家。30年にラムネーの『アヴニール』紙に参加、ラムネーと共にキリスト教社会主義の旗手となるが、34年ラムネーの『信者の言葉』に対してはあくまで教会側を支持。芸術に関しては、教会音楽の復権を主張。
  7. フェルディナン・エロール(1791-1833):フランスのピアニスト兼作曲家。1806年にパリ音楽院に入学、J.-L.アダンにピアノをメユールに作曲を師事。レオン・クロイツァーの下ではヴァイオリンも学んだ。1812年に学士院作曲賞(ローマ大賞)受賞。オペラでは『ザンパ』(1831)がよく知られているが、ピアニストとしても卓越し、二つのピアノ協奏曲がある。
  8. ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール(1782-1871):19世紀フランスを代表する作曲家。若くしてピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声楽に秀でる。作曲では弦楽四重奏やピアノトリオなど室内楽から出発し、数々のオペラ・コミック、グラントペラ(『悪魔ロベール』、『ポルティチの物言わぬ女』)で知的な作曲法と舞台音楽のエッセンスを発揮。42年からはパリ音楽院教授に就任。
  9. ジャック=フロマンタル・アレヴィ(1799-1862):バイエルン出身のフランスの作曲家。パリ音楽院でケルビーニに師事、1819年にローマ大賞受賞。オペラ・コミック、グラントペラで成功。1835初演の『ユダヤ人』、41年の『キプロスの女王』 、43年の『シャルルVI世』などはピアニスト兼作曲家たちがその主題を元に優れたピアノ用パラフレーズを書いている。40年にパリ音楽院作曲科で対位法・フーガの教授となりグノー、ビゼー、サン=サーンスらが彼のクラスで学んだ。サン・シモン主義に傾倒。
  10. サン=シモン主義を主流とする30年代の社会主義思想を指す。サン=シモン主義の運動は哲学者サン=シモン(1760-1825)とその門弟たちによって確立され拡大した。その主張は優れた指導者の下で社会を組織し、産業階級をベースとした生産力向上を実現することで社会全体の幸福が獲得されるというもの。ルイ・フィリップを君主とする七月王政下では労働者階級は軽視されていたため、サン=シモン主義者の主張は実際の政治には殆ど反映されず、また理想を実現する手立てが示されないため空想的社会主義とも言われる。1852年に始まる第二帝政下で皇帝ナポレオン三世はこの理想の実現を推し進めた。芸術は運動普及のための有効な手段とされ、理想に共感した多くの音楽家たちがこの運動に関与した。交響曲作家ではベルリオーズ、フェリシアン・ダヴィッド、ピアニスト兼作曲家ではリストヒラーエミール・プリューダン、名テノールのアドルフ・ヌーリなど。
  11. メイラン:スイス、ジュネーヴ州の街。フランス南東の国境付近に位置する。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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