19世紀ピアニスト列伝

アンリ・ベルティーニ 第2回 :伝統と前衛の狭間で

2013/01/17
伝統と前衛の狭間で

今日ご紹介するのはマルモンテル『著名なピアニストたち』の第二章、「アンリ・ベルティーニ」から、作曲家としての才能について書いた部分です。マルモンテルはワーグナーやリストの同時代人です。彼らを中心に新しい音楽の潮流が次々に台頭する中で、なおも古典的精神に根ざして作曲したベルティーニの手腕を高く買っています。音楽史は「新しさ」を基準に音楽について語りがちですが、「新しさ」は必ずしも作品の「美しさ」であるとは限りません。古典的作曲手法に基礎を置く音楽院側からワーグナーら「新しい音楽」がどのように見えたのかを知る上でも、興味深い言説です。

パリ音楽院でピアノ科女子クラスの教授だった尊敬すべきルイ・アダン1は、ベルティーニ対して好感を露わにしていたが、それはアダンが作曲家としてのベルティーニの美質を高く買っていたからだった。この大家の作品はかなりの数に上る。作品番号にして200近く、その大部分がきわめて大きな重要性をもっている。ベルティーニはその音楽的構想が自然で率直な点からして、旋律的な作曲家の流派に与している。常に上品な原初の着想ははっきりと提示され、決して凡庸な繰り返しをあれこれとごまかすような凝った節回しになることはない。もったいぶったところや気取り、忌むべきわざとらしさは微塵もなく、雄弁術という点にかけては巨匠音楽家、つまり己の才能に静かなる確信を持ち、自由な音楽の運び方で自らの着想を表明する大家の特徴を備えている。こうした音楽の運びは、楽曲の主題についての完全な知識と目的への直接的なヴィジョンを持つことによってのみ生み出すことができるものなのだ。

だがベルティーニのピアノ曲や二重奏、三重奏、四重奏、五重奏、六重奏、九重奏等の協奏的な作品は、単に言葉の狭い意味で旋律的な作品というわけではない。ベルティーニには霊感と形式がある。ベルティーニにあっては、もとより好ましく音楽的な着想は、巧みで賢明な均衡のなかに展開される。変奏され、重要性を多分にもつ挿入楽節の数々はしなやかかつ豊かで、しっかりとした研究に裏打ちされた想像力を示している。この大家の熱を帯びた色彩豊かな和声によって、彼を現代のロマン主義者たちの中に厳密に分類することもできるだろう。ただしそれも、もしベルティーニがあのロマン主義者たち2に比べてなおも調性感を保存しようと思わなかったとしたら、の話だ。調性感という重要な指標、「未来の」と呼ばれる音楽家たち3によって狂わされたあの真の羅針盤を―そして選ばれたモチーフの導き方と展開に認められる完璧な首尾一貫性を。これらのモチーフはいずれも原初の着想に関連付けられており、作品の中で多様性の中の統一を維持しているのだ4

飾り気がなく力強い性格、集中力の強い気質を持つベルティーニは、音楽的な空想に耽溺することはなかった。彼は決して妄想の国土や夢想の天空を彷徨うことはなかった。そこには大いなる芸術の厳格な側面とは何一つ共通点がないのだ5。正しい言語で人の関心を引き付け、魅了し、感動させ、着想の選択、霊感の純粋性に専心する―こうしたことが、彼の主な考え方だった。理想的な美を愛し、自らを育んだ手本をじっと見つめ、自らの道を逸れて趣味や流行の移ろいに身を委ねるということは決してなかった。

【脚注】
  1. ルイ・アダンLouis Adam(1758~1848)。フランスのピアニスト兼作曲家。フランス革命期、1795年に誕生したパリ音楽院に創設当初から教育に貢献。アダンのパリ音楽院公式メソッドはチェルニーによって翻訳されドイツでも販売された。18世紀末はまだチェンバロが広く流通していたが、アダンは音楽院にピアノ教育を積極的に導入、ピアノ教育の基礎据えた。
  2. ワーグナー、リストら19世紀後半に従来の調性システムの枠組みを超えた和声を実践に応用した作曲家たちを指す。1861年にワーグナーの《タンホイザー》がパリ・オペラ座で上演されたことは大きな物議を醸した。
  3. 注2に同じ。「未来の音楽/音楽家」という言葉は19世紀中葉に新しい音楽の潮流を指すためにベルリオーズら音楽家、批評家のあいだで用いられた。ワーグナー、リストと結び付けられることが多い。
  4. ベートーヴェンの交響曲のように、一つのモチーフに基づいて展開する手法を指すが、必ずしもソナタ様式を指すとは限らず、フーガもその典型。多様性の中の統一は和声、対位法、フーガの知識と実践を前提とするパリ音楽院において重視された。晩年のマルモンテルは後年の著書でもこの点をしきりに強調している。
  5. この二文は明らかに「未来の音楽家」に対する批判。ドビュッシーの師だったマルモンテルはしかし、将来の大家の新しい和声の実験を興味深く見守っていた。マルモンテルは必ずしも新しい潮流を認めない辺境な保守主義者ではない。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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